【多聞第一】ブッダの従者アーナンダ(阿難)の物語(3)

仏教

五百枚の布の布施

ある時、コーサンビー国に赴いたアーナンダはウデーナ王の花園の辺りで王の侍女たちに教えを説きました。教えに感動した侍女たちはアーナンダに五百枚の衣を布施しました。

これを聞いた王は五百枚という数の多さに驚き、それを平然と受け取ったアーナンダの真意を問うため、彼のもとにやって来ました。

「アーナンダ尊者よ、この多くの法衣を何に使うのですか?」と王が尋ねました。

「大王よ、衣が古くなり傷んだものを着ている比丘たちに分け与えるのです」とアーナンダは答えました。

「では、その古い法衣は捨ててしまうのですか?」と王が続けて尋ねました。

「大王よ、それは上覆(うわおおい)として用いるのです」とアーナンダは答えました。

「では、その古い上覆はどうするのですか?」

「大王よ, それはよく洗って寝具のカバーにします」

「では、その古い寝具のカバーは?」

「それは地面の敷き布にします」

「その古い地面の敷き布は?」

「それは足拭きの布に作り直して使います」

「古い足拭きの布は?」

「雑巾にして使います」

「古い雑巾は?」

「よく叩いて、泥に混ぜて、地床を塗るのに使います」

これを聞いたウデーナ王は、ブッダの弟子たちが布施された物を尊び、最後まで生かして使い切ることに深い感動を覚え、さらに五百枚の布を布施しました。

ブッダ最後の旅

アーナンダがブッダの専属の従者になってから25年、大過なくその務めを果たしてきました。ブッダも齢八十になりました。

その年の雨季を竹林村で過ごしていた時、ブッダは深刻な病に倒れました。死ぬほどの激痛に襲われながらも、ブッダは深い瞑想に入り、この苦しみを耐え忍びました。

アーナンダは、ブッダの身体をマッサージしながら言いました。「師よ、あなたがこのように衰弱されたのは初めてのことです。私は心配で身体が震え、途方に暮れました。『師はまだ最後の教えを説いていない。このまま涅槃に入るはずがない』と自分に言い聞かせていました」

このときブッダは遺言ともとれる重要な『自灯明、法灯明』の教えを説きました。
「アーナンダよ、これ以上私から何を望むのか。私はもう十分に真理の法を説いた。私に隠している奥義や秘伝は存在しない。この肉体もすでに老い朽ち、古ぼけた車のように、あちらこちらが傷み壊れている。

アーナンダよ、そなたらは自己を灯明としなければならない。自己をよりどころとして、他をよりどころとしてはならぬ。そなたらは法を灯明としなければならない。法をよりどころとして、他をよりどころとしてはならない

ブッダは病身でありながら最後の旅に出ようとしていました。それを察したアーナンダは慎ましく提案しました。「師よ、各地を説法して廻るよりも、この地で静養しつつ、ここに人々を呼び寄せて法をお説きになられたらいかがでしょうか?」

「アーナンダよ、法を説くには人と場所と時の縁が合わさらなければならない。私が一つ処に留まらないのはそのためだ。一人でも多くの人に教えを与えるために、この肉体が動く間はそれをするだろう」

雨季が明けると、ブッダはアーナンダを連れてヴェーサーリーへ托鉢に出かけました。そこを去る時、ブッダは峠の上からふり返り、巨象の王のような眼差しでヴェーサーリーを眺めました。

「アーナンダよ、ヴェーサーリーは本当に美しい。これが私のヴェーサーリーへの最後の眺めとなるだろう」とブッダは言い、それからまっすぐ前を向いて「さあ、バンダ村へ行こう」と言いました。

バンダ村で心のままに過ごした後、ブッダはハッティ村、アンバ村、ジャンブ村を経由して、ボーガ市に到着しました。その後、ブッダはパーヴァーへと旅を続け、鍛冶屋の息子チュンダが所有するマンゴー林にやってきました。

ここでチュンダから『スーカラ・マッダワ』という料理の供養を受けた後、ブッダは出血を伴う激しい腹痛に見舞われました。ブッダは念正智をもってこの苦痛を耐え忍び、翌朝、病気にもかかわらず、ブッダは最後の旅を続けました。

旅の途中で、ブッダは道を外れ、木の根元に座りました。そして「アーナンダよ、水を持ってきてくれ。私は喉が渇いている。私は飲みたいのだ」と言いました。

「師よ、いましがた牛車の一隊が川を渡り、水は泥で濁っています。ここから遠くない場所にカクッター川があります。あそこの水は澄んでおいしいです。どうかそこまでお待ち下さい」とアーナンダは答えました。

しかしブッダが三度も水を求めたので、アーナンダは小川に行き、泥水をすくいました。すると驚くべきことに、水は澄んで清らかに変わりました。

ブッダはカクッター河に向かい、そこで最後の沐浴を行い、さらにもう少し水を飲みました。その後、近くのマンゴー林へ行き、右脇を下にして横になり、休息を取りました。

ブッダはアーナンダに次のように語りました。

「アーナンダよ、鍛冶屋の息子チュンダの家で食べた食事が、私の最後の食事となった。誰かが『ブッダに悪いものを食べさせた』と誤解して、チュンダを責めるかもしれない。だからチュンダに伝えてほしい。『私の人生で最も価値ある二つの食事がある。それは悟りを開く直前の食事と、涅槃に入る直前の食事である。この最後の食事を提供したチュンダは、大いなる功徳を積んだのである』と」

ブッダ最後の言葉

ブッダはヒランニャワティー川のせせらぎを渡り、クシナガラ近郊のマッラ族の沙羅の林に到着しました。ここがブッダの般涅槃はつねはんの地になります。パーヴァーからクシナガラまでの道のりでは、ブッダは衰弱のために25回もの休息を必要としました。

「アーナンダよ、沙羅の樹の間に、頭を北に向けて寝床を用意してくれ。私は疲れた。横になりたい」とブッダは言いました。アーナンダが涙を堪えながら寝床を整えると、ブッダは右側を下にして、右足の上に左足を重ね、集中した意識を保ちながら身を横たえました。

アーナンダは木陰で涙を流していました。「ああ、師はこの世を去ろうとしている。これほど私を慈しみ導いてくださった師が…。これからは、暁に水を捧げ、夜に床を伸べ奉る師はいなくなる」と嘆きは激しくなり、断腸の思いとなりました。

ブッダはアーナンダを呼び寄せました。「アーナンダよ、悲しむことはない。全てのものは無常である。生があれば死がある。愛されるもの、楽しまれるものとの別れは必ず来る。滅びるものが、永遠に存在するはずがない。

アーナンダよ、そなたは長年にわたり私に忠実に仕え、私に尽くしてくれた。そなたの功徳は計り知れない。精進を続けなさい。そうすれば久しからずして煩悩から解放され、解脱を得るであろう」と言葉をかけました。

それからブッダは他の比丘たちに話しかけました。

「アーナンダほど立派に侍者を務めた者はいない。アーナンダの前の侍者たちは私の衣や托鉢椀を地面に落とすことがあったが、アーナンダにはそういったことは一度もなかった。

アーナンダは常に私の心を察し、私が何も言わなくても、私が望むことを行ってくれた。人々が私に会いたいと望む時も、アーナンダは巧みに時間と場所を調整してくれた。

比丘や比丘尼たちも、在家の信者たちも同じように、アーナンダの姿を見て喜び、彼の親切な言葉に喜び、彼の説法を聞いて飽きることがなかった。アーナンダはまさに敬虔なる侍者であり、素晴らしい徳の持ち主である」

ブッダはアーナンダにクシナガラの町に行き、マッラ族の人々に今夜ブッダが涅槃に入ることを伝えるように指示しました。その知らせを受けて、マッラ族の人々は、悲嘆しながら次々と沙羅の林に集まり、ブッダに最後の礼拝を捧げました。

深夜近くになって遍歴行者のスバッダが息を切らして駆けつけ、ブッダに面会を申し出ました。アーナンダはブッダの疲労を考慮し、「師は非常に疲れておりますので、今は面会をご遠慮いただきたい」と丁重に断りました。しかしスバッダはあきらめず三度にわたって懇願しました。

ブッダはこの会話を耳にし、スダッダの願いを受け入れるとアーナンダに伝言しました。スバッダは喜び勇んでブッダの前に進み出て礼拝しました。スバッダはその場で出家を受け入れられ、そのまま瞑想に入り、たちまち解脱の境地に到達しました。こうしてスバッダはブッダの最後の直弟子となったのです。

それから、ブッダは500人近い比丘たちに向かって、次のように語りました。

「比丘たちよ、ブッダについて、法について、僧団について、あるいは実践について、疑問や不確かさがある者は、いまこの場で質問しなさい。あとで悔いを残してはならぬ」

ブッダはこの言葉を三度繰り返しましたが、比丘たちは沈黙を守っていました。アーナンダが比丘たちの心情を察して、こう述べました。

「師よ、すばらしいことです! この中には三宝や教えに疑問を持つ者は一人もいないのです」

これを受けてブッダは、静かに比丘たちを見渡し、最後の言葉を述べました。

比丘たちよ、そなたたちに告げよう。諸行は滅びゆくものである。たゆまずに努め励みない

それからブッダは目を閉じて禅定に入り、完全な涅槃に入りました。その瞬間、大地は大きく揺れました。

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