ヴィヴェーカーナンダの活躍とアドブターナンダの歓喜
1893年、ヴィヴェーカーナンダは世界宗教会議に出席するためにアメリカへ旅立ちました。
ラーマクリシュナは生前、ヴィヴェーカーナンダに対して、「偉大なる魂」「永遠なる完成者」「わたしのナレンはまぶしい太陽だ。彼の前では他の者はみんな、かすんでしまう」など、けた外れの称賛をし続けていました。
「いずれ彼は世界を席巻するようになるだろう」というラーマクリシュナの予言を、疑問視する人たちもいました。アドブターナンダはそんな人たちに面と向かって言いました。
「師がそう宣言したからには、あなた方もいつかわかる。それは言葉の端々まですべて実現する。いつの日か彼は私たち全員を超えるだろう」
そしてついに、ヴィヴェーカーナンダの世界宗教会議での活躍が新聞に掲載されました。アドブターナンダは子供のように大喜びしました。
「当たり前のことです! 彼には18の力が最高の状態で働いている、と師が仰ったではないですか? それ以外になりようがありません。師の予言が間違うことがありますか?」
さらにわれを忘れて叫びました。「彼に手紙を書いてください。『恐れることはありません、師があなたを見守ってくださいます』と」。
そして言いました。「ほら、ごらんなさい! 師が『偉大になる』と目印をつけた人が、隠れたままでいられるわけがない」
ヴィヴェーカーナンダとの再会1
1897年2月18日、ヴィヴェーカーナンダは欧米での布教を大成功させ、インドに凱旋しました。兄弟弟子など多くの人々が詰めかけ、彼を称えました。しかしその中にアドブターナンダはいませんでした。
ヴィヴェーカーナンダは、アドブターナンダが戸外の群衆の中にいることを知ると、自ら彼を探し出し、尋ねました。「他の者はみな来た。どうして君は来なかったの?」
アドブターナンダは答えました。「あなたはいまや男女の西洋人の弟子たちを抱えている。あなたがわたしを覚えているかどうか、いぶかったのだ」
ヴィヴェーカーナンダは、アドブターナンダの手を握り締めて、言いました。「君はずっと私の兄弟ラトゥだ。そして私はずっと君の兄弟ロレンだ」
ヴィヴェーカーナンダは西洋で身にまとっていた高価な洋服を手放して、以前と同じ粗末な布を身にまとっていました。そして彼の心が名声や栄光に全く曇らされないことを、アドブターナンダは理解したのです。
ヴィヴェーカーナンダのいたずらと学識の深さ
アドブターナンダは、「愛欲を放棄せよ」というラーマクリシュナの教えを守るために、異性に近づくことを極力避けていました。ある日、ヴィヴェーカーナンダと彼がハウスボートに乗っていたとき、ヴィヴェーカーナンダはあるいたずらを思いつきました。
ハウスボートの主人の若い娘に、アドブターナンダにキンマ巻き(口腔清涼剤)を渡すように頼んだのです。アドブターナンダはこの種の悪ふざけが嫌いでした。
娘が近づいてくると、泳げないにも関わらず、氷のように冷たい水の中に飛び込んでしまいました。
ヴィヴェーカーナンダは、まさかのアドブターナンダの反応に仰天しました。彼はボートの主人の助けを借りて、あわててアドブターナンダを水からひっぱり上げました。
また同じ時期、カシミールの寺院を訪れたヴィヴェーカーナンダは「この寺院はおそらく三千年前のものだろう」と言いました。アドブターナンダが、「どうしてそんなことがわかるのか?」と尋ねました。
「それを君に説明することは不可能だ」ヴィヴェーカーナンダは冗談交じりにこう答えました。「もっとも、君が少しでも現代教育を受けていたら、やってみないでもないが」
アドブターナンダは恥じ入るどころか、こう言い放ちました。「わかった! やっと君の学識の深さがわかった。あまりにも深いので、わたしのような愚か者に説明するために、浮かび上がってくることもできないのだ!」
これを聞いて、一同は大爆笑しました。
サーラダーナンダの西洋かぶれを試す
またこの頃、欧米に布教に出ていたサーラダーナンダ(シャラト)が帰国しました。サーラダーナンダはすっかり垢抜けていて、部屋や持ち物などをきちんと整理していました。
アドブターナンダはよくサラダーナンダの部屋にやってきては、本を机からベッドに移したり、インク壷を片隅に隠したり、そんなことをして、整然とされていた部屋をかき回していました。それはほとんど彼の日課になっていました。
また、サーラダーナンダのベッドのシーツは清潔で真っ白でしたが、アドブターナンダは、清潔なベッドの上をわざと汚れた足で歩き回り、汚れた体でごろごろと転げまわり、そのあいだ笑い通していました。
サラダーナンダが「兄弟、何をしている?」と尋ねると、アドブターナンダは、笑ってこう答えたのでした。「何もしていないよ。ただ、君がわたしたちの前の暮らし方を覚えているかを試して、君がどれだけ西洋かぶれしているかを調べているのさ」
これにはサーラダーナンダも笑っていました。
1898年の終わり頃、ラームチャンドラ・ダッタが死の床にありました。アドブターナンダは3週間以上、付きっきりで、かつての主人を看病し続けました。
そして彼は自分の子供のように愛してくれたラームの妻の臨終も看取りました。一か月あまり、彼は骨身を惜しまず最期まで彼女の世話をしました。
コメント