虫への嫌悪と恐怖を克服する:ヨーガ、仏教の慈悲の教えと実践(上)

Shion's collection of essays

誰しも、一つや二つは苦手な生き物がいるかもしれません。それは蛇であったり、蜘蛛であったり、ムカデであったりすることもあるでしょう。中には虫全般が苦手だという人も少なくありません。

このような嫌いな生き物や苦手な生き物に対して、どのように向き合えば良いのでしょうか? ヨーガや仏教の教えは明確です。それは以下の四つの要素から成り立っています。

一、不殺生・非暴力(アヒンサー)
二、嫌悪を捨てる
三、恐怖を克服する
四、慈悲を育む

この記事では、特に多くの人々に忌み嫌われているゴキブリを例題にして、ヨーガや仏教の教えに基づく実践方法と、修行者が取るべき道を詳しく解説します。

アヒンサーの実践と嫌悪、恐怖の克服

マハトマ・ガンディー(1869年 – 1948年)

私は老人ホームで介護スタッフとして働いています。ある日のこと、おやつを配膳するために入居者の部屋をノックし、扉を開けたところ、部屋の中が何か異様な雰囲気に包まれていることに気付きました。その入居者は90代の老婦人で、普段は物静かで上品な方です。しかし、このとき彼女は丸めた新聞紙を振り上げ、殺気を帯びた様子で床を叩きつけていました。

「虫が入ってきた!」と決死の表情で老婦人は小さく叫びました。再び新聞紙を振り下ろすその様子に、私は呆然としました。近寄って確認すると、一匹のハエトリグモが床を移動しているのを見つけました。ハエトリグモは、ハエなどの小型の虫を主食とする益虫で、網を張らずに歩き回りながら獲物を狩る徘徊性のクモです。人間の住環境にも適応しており、日常的に見かけることが多い小さなクモです。

「これは益虫ですよ」と老婦人をなだめましたが、彼女が虫に対して抱く強い嫌悪感に私は驚きを隠せませんでした。

仏教の不殺生(アヒンサー)

ヨーガや仏教の修行者は、まず戒律を厳守することから始めます。戒律を守ることによって、悪業を積むことを避けます。仏教修行者が守る基本的な戒律には、次の五戒があります。

  • 不殺生(アヒンサー)
  • 盗まない
  • 不邪淫
  • 嘘をつかない
  • 酒を飲まない

特に『不殺生』の戒律は厳格に守られています。原始仏教の出家僧たちは、道を歩く際も目を伏せ、地面の虫を踏まないよう細心の注意を払いました。また、雨季には外出を控え、屋内で修行を行う習わしがありました。雨季には多くの虫が地中から出てくるため、彼らは虫を誤って踏まないように外出を控えていたのです。

ヨーガの非暴力(アヒンサー)

ヨーガの根本経典である『ヨーガ・スートラ』では、八段階の修行システム(アシュターンガ・ヨーガ)が提示されています。その第一段階がヤマ(禁戒)であり、これも五つの戒めから成り立っています。

  • 非暴力(アヒンサー)
  • 盗まない
  • 梵行(禁欲または不邪淫)
  • 正直(真実)
  • 貪らない

仏教の不殺生とヨーガの非暴力は、どちらもアヒンサーという言葉の訳語です。アヒンサーとは、暴力や殺生、さらには悪口など、他者を害するすべての行為をやめることを意味します。最も重大なものはもちろん不殺生ですが、人間だけでなく、あらゆる生き物、虫を含めて決して傷つけないことが求められます。

現代日本では、害虫の駆除は一般的に悪いこととは見なされていませんが、ヨーガの修行を進めるなら、虫も殺さない方が良いでしょう。また、動物をいじめたり、人間に暴力をふるったりすることは当然避けるべきです。さらに、悪口や意地悪など、言葉や態度で他者を傷つける行為もやめるべきです。これがアヒンサーの第一歩です。

なぜ「嫌悪」を克服すべきなのか?

インドのヨーガ哲学や仏教思想において、根本的な教えの一つに『輪廻転生』があります。人は死後に生まれ変わり、その生まれ変わりの形は過去に積んだカルマ(業)によって決まります。良いカルマを積めば良い世界に転生し、悪いカルマを積めば悪い世界に転生するという考えです。

仏教では、転生先を六つの世界(地獄、動物、餓鬼、人間、阿修羅、天)に分類しています。殺生や暴力、そして嫌悪のカルマを積むと転生するのが地獄界とされています。また、生きている間も、嫌悪のカルマが成熟すると、自分自身が周りから嫌悪されます。

カルマの法則』はシンプルで、「自分が行ったことが必ず返ってくる」というものです。周りに対して嫌悪を抱いていると、逆に自分も周りから嫌われるようになります。さらに、嫌悪感はその人の雰囲気を殺伐としたものに変え、肉体的にも怪我や病気にかかりやすくなります。つまり、嫌悪を持つことには何も良いことがないのです。

なぜ「恐怖」を克服すべきなのか?

ある日、職場で同僚の大柄な中年男性が、隣室から悲鳴をあげて飛び出してきました。彼は敬虔なキリスト教徒で、普段から温厚で優しい人柄で知られています。何が起きたのかと尋ねると、「蛾がいた、あれだけは駄目で…」と額に汗を浮かべながら震えていました。隣室に入ると、確かに壁に蛾が止まっていました。私はティッシュで蛾を捕まえて外に逃がしました。

彼が落ち着いたところで、なぜ蛾が苦手なのかを聞くと、「鱗粉りんぷんが駄目で」と答えました。不思議に思い、蝶々はどうかと尋ねると「それは大丈夫」とのこと。恐怖心の不思議さを感じさせられる瞬間でした。

仏教思想において恐怖心の強い世界は動物界に分類されます。動物たちは本能的に捕食される恐怖心を抱いており、すべてが敵に見えるため、常に怯えています。例えば、野生の動物は、少しでも危険を感じるとすぐに逃げ出します。これは、彼らが常に恐怖に駆られているからです。

恐怖心を克服することで、私たちの立ち居振る舞いは自然と堂々としたものになります。恐怖に囚われることなく、平静でいられることは、私たちの精神的な成長にとって重要な要素です。

第二章 嫌悪、恐怖の対象を知るところから始める

嫌悪、恐怖の対象に関する正確な知識を持つことは、恐怖を和らげるための第一歩です。この記事ではゴキブリ(以下Gと表記)を例題にしますが、その生態や生態系における役割を学ぶことで、無用な恐怖心を軽減できます。多くの嫌悪や恐怖は無知から生じます。まずは対象について理解を深めることが、恐怖を乗り越えるための良い方法です。

ほとんどのGは人間とは無縁の存在

Gはゴキブリ目に属する昆虫の総称で、シロアリやカマキリと近縁です。世界には約3,700種のGが存在し、日本には50種以上が分布しています。Gというと、忍者のように屋内に侵入し、夜の台所を駆け回り、狭い隙間に潜伏しているイメージがあるかもしれません。

しかし、そうした種はごく一部であり、ほとんどのGは野外で生活しています。Gの大部分は人間の生活とは関係なく、腐食などを食べて細々と暮らしています。

夜にカブトムシを探していて、樹液にGもいるのを見て驚いたことがあるかもしれません。Gの多くは落ち葉や朽ち木、果実、鳥の糞、生き物の死骸など、幅広く摂食する雑食性で、生態系の中で『分解』という重要な役割を担っています。家の中では厄介者として扱われがちですが、自然界では欠かせない存在なのです。

朽ち木はそのままではなかなか土に還りません。分解されないままの朽ち木が森に溜まると、土に栄養がなくなり、新しい芽が出にくくなります。Gの仲間は朽ち木を食べて糞にすることで、分解を促進しています。

つまり、実際には99%のGが森林や自然環境で生活しており、人間の生活とはほとんど関わりがないのです。

Gと人間の関係はごく最近のもの

Gは2億年前に出現した非常に古い昆虫で、『生きた化石』とも呼ばれます。一方、人類の祖先が現れたのはわずか数百万年前です。

私たちの祖先である猿人が二足歩行を始めたのは数百万年前で、直接的な先祖であるホモ・サピエンスが登場したのは約30万年前とされています。

つまり、Gと人間の歴史には大きな違いがあり、彼らから見れば人間との付き合いはまだ始まったばかりと言えます。

そんなGですが、家屋に侵入するのは全体の1%ほどであり、屋内に姿を見せるGの種類は限られています。日本では大型のクロゴキブリ、小型のチャバネゴキブリが代表的で、いずれも近代に貿易船に乗ってやってきた外来種です。

人間の住居、とりわけ台所は彼らにとって思いがけない安住の新天地となりました。水と食物がなければ生活できない彼らにとって、台所はそれを生涯保証してくれる場所です。強力な競争相手や天敵も少なく、隠れ場所にも困りません。

Gは寒さに弱いのですが、高度経済成長期からの暖房器具の普及により、一年を通じて暖かい環境が整い、現在では北海道の家屋でもその姿が見られるようになりました。

驚くべきGの生存能力

Gは非常に高い生存能力を持つ生物です。例えば、低酸素状態や放射線にも強い耐性があり、数週間食べ物や水がなくても生き延びることができます。

また、一匹のメスが生涯に多くの卵を産むことで、繁殖能力も非常に高いのです。

さらに、Gは腐敗物や紙、布など何でも食べることができる雑食性であり、この特性が彼らを過酷な環境でも生き残らせる要因となっています。

自然界でのGの役割

これまでに述べたようにGは、自然界では分解者、つまり『自然のリサイクラー』として重要な役割を果たしています。彼らは落ち葉や動物の死骸などを食べて分解することで、環境を清潔に保つ手助けをしています。

Gは人間の目には厄介者として映るかもしれませんが、実際には生態系の循環に貢献している欠かせない存在なのです。

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