虫への嫌悪と恐怖を克服する:ヨーガ、仏教の慈悲の教えと実践(下)

Shion's collection of essays

第三章 嫌悪、恐怖の対象を憐れむ~仏教的アプローチ

なぜ彼らが可哀想なのか?

驚くべき能力を持つゴキブリ(以下G)ですが、実際には食物連鎖の底辺に位置し、多くの天敵に囲まれ、常に怯えながら生活しています。以下に、Gの主な天敵と、それぞれがどのように捕食しているのかを説明します。

  • ハエトリグモ
    ハエトリグモは視覚が発達しており、小型のGを狙って狩りを行います。クモの一種で、素早く動き回り、Gを捕食します。
  • ムカデ
    ムカデは強力な毒針でGを麻痺させ、体を噛み砕いて捕食します。非常に積極的にGを狩る天敵です。
  • 鳥類
    スズメやヒバリなどの鳥類は、地面を歩きながらGを見つけ、鋭いくちばしで捕まえて丸呑みにします。
  • アリ
    軍隊アリやハリアリは群れでGを襲い、噛みついて動けなくしてから巣に持ち帰り、食料にします。
  • カマキリ
    カマキリはGの親戚ですが、彼らは鎌状の前肢でGをしっかりと捕らえ、強力な顎でかじりながら食べます。

  • 猫は本能的にGを追いかけ、狩りを楽しみます。捕らえたGを前足で叩いたり、口でくわえたりして遊び、時には食べることもあります。
  • ネズミ:
    雑食性のネズミは夜行性であり、Gと同じ行動時間帯に活動し、餌として捕食します。
  • ハチ:
    サトセナガアナバチはGに毒を注入し、麻痺させた後、巣に引きずり込んで卵を産み付け、生きたまま幼虫の餌にします。

このように、Gは数多くの天敵に捕食されていきます。もし私たちがGだったら「何と悲惨で哀れなのか!」と感じることでしょう。

ではGから見た人間はどのような存在でしょうか?スリッパや丸めた新聞紙、毒ガスを持って迫ってくる人間はまさに巨大な脅威であり、最大の天敵であるかもしれません。

様々な天敵に対して、Gには反撃する術がありません。選択肢は『逃げる』か『隠れる』の二択のみです。まれにGが人間に突進するように見えるのは、それは逃げた先にたまたま人間がいただけなのです。

死んだおじいちゃんが虫に生まれ変わっているかもしれない

第一章でも触れましたが、ヨーガや仏教の中心的思想に『輪廻転生』があります。仏教では、人が死ぬとその人が生前や過去世で積んだカルマによって、地獄、動物、餓鬼、人間、阿修羅、天のいずれかに転生するとされています。

あるときブッダが指先に泥をのせ「この大地全体と指の上にある泥、どちらが大きいか?」と弟子たちに問いました。弟子たちは「大地の方が比べ物にならないほど大きいです」と答えました。

そこでブッダは「人間が死んで、地獄、餓鬼、動物の世界に生まれる確率はこれほど高く、人間や神に生まれ変わる確率は非常に稀なことなのだ」と説きました。

したがって、冗談ではなく、死んだおじいちゃんやおばあちゃんが動物界に転生し、虫として生まれ変わっている可能性もあるのです。また、自分自身が死んでGに生まれ変わる可能性も否定できません。

嫌われるカルマ

世の中でGほど嫌われている生き物はいないでしょう。外見はクワガタムシやコオロギ、ゲンゴロウとさほど変わりませんが、Gだけが多くの人々から嫌悪され、恐れられています。

Gが嫌われるのは、彼らが持つ『嫌われるカルマ』のせいかもしれません。その魂はおそらく過去に多くの嫌悪を周りに振りまいたために、今生は多くの人から『嫌われるカルマ』を背負っているのです。Gを見るだけで嫌な気持ちになるのは、そのカルマによるものと言えます。

これは人間も同様です。嫌悪を多く持つ人は、他者にも「なんとなくあの人は嫌だな」と思われがちです。その人が特に悪いことをしていなくても、多くの人が「なんか気に食わない」と感じてしまうのです。しかし、その人は憐れむべき対象であり、嫌悪すべき対象ではありません。

ヨーガや仏教の修行者は、皆の救いとなるべきです。自分までもその人を嫌悪してしまったら、誰がその人を慈しむのでしょうか。生理的に嫌悪感が湧くことがあっても、それに流されて相手を嫌悪するのではなく、むしろ慈悲の心で接するべきなのです。

第四章 慈悲の心を育む

慈悲深い聖者のエピソード

嫌悪や恐怖を克服するためには、慈悲の心を育てることが最も効果的です。近代ハタ・ヨーガの偉大な指導者ヨーゲーシュワラーナンダの著書『実践・魂の科学』には、一人の慈悲深い聖者についての印象的なエピソードが描かれています。

アムリッツァーの町にある運河のほとりに、私がよく知っている聖者が住んでいました。彼の太ももには深い傷があり、その傷口からは大量のウジ虫が湧き出ていました。私は幾度となく彼に医師の治療を勧めましたが、彼はまったく聞き入れませんでした。それどころか、彼は傷口からあふれ出るウジ虫を一匹ずつ拾い上げ、再び傷の中に戻していたのです。

ある日、私は彼に、なぜそのようなことをするのか尋ねました。彼の答えはこうでした。

「もしも、ある人がその家から追い出され、食料も奪われたとしたら、その人は困り果てるでしょう。ウジ虫にとっても同じことです。彼らにとって、私の傷は家であり、私の血や肉が食料です。だからこそ、ウジ虫を追い出したり、薬で殺したりすることは、彼らに対する暴力になるのです。私の過去のカルマが消えるまで、私はウジ虫と共に生きねばなりません。そのうちに、ウジ虫もどこかへ去るでしょう」

驚くべきことに、数日後、すべてのウジ虫は彼の傷口から消え去り、傷も完全に癒えました。この間、彼はウジ虫が傷口からこぼれ落ちるのを防ぐために身動きひとつせず、乞食にも出かけませんでした。彼の周囲の人々が、彼の食べ物を毎日運んでいたのです。こうして、この聖者は自分の傷口に巣くうウジ虫にさえ、慈しみの心を抱いていたのです。

この話は、私たちが日々抱える嫌悪や恐怖が、いかに小さく狭いものであるかを気づかせてくれます。もちろん、この聖者のような行為をすぐに実践することは難しいかもしれません。しかしこのような慈悲の深さに触れることで、私たちの心も少しずつ広がっていくのではないでしょうか。

ブッダの慈悲の言葉

ブッダ(お釈迦様)もまた、『マイトリー・スートラ(慈経 Metta Suttam)』の中で次のように慈悲の心を説いています。

「いかなる生命であろうとも、弱きものも強きものも、長いものも、大きなものも、中くらいのものも、短いものも、微細なものも、粗大なものも、目に見えるものも、見えないものも、これから生まれようとしているものも、生きとし生けるものは、幸せであれ」

「あたかも母が命をかけてひとり子を守るように、すべての生命に対して無量の慈愛の心を起こすべし。上に、下に、また横に、わだかまりのない、怨みのない、敵意のない慈愛を育てるべし」

第五章 慈悲の心を育む実践法

仏教の慈悲の瞑想(メッタ・バヴァナ、メッタ瞑想)

仏教における慈悲の瞑想は、他者に対する無条件の愛と慈しみを育むための瞑想法です。この瞑想を通じて、心の平安を得るとともに、他者への思いやりを深めることができます。以下に、慈悲の瞑想の具体的な実践方法を説明します。

準備

  1. 静かな場所を選ぶ: 瞑想を行うためには、静かで落ち着ける場所を選びます。騒音や気が散る要因がない場所が理想です。
  2. 快適な姿勢を取る: 椅子に座るか、床に座わります。背筋を伸ばし、リラックスした姿勢を保ちます。手は膝の上に置きます。
  3. 深呼吸: 瞑想を始める前に、深呼吸をして心身をリラックスさせます。鼻からゆっくりと息を吸い、口からゆっくりと吐き出します。数回繰り返し、心を落ち着けます。

慈悲の瞑想の具体的な方法

  1. 愛する人、親しい人への慈悲: はじめに、自分が愛している人や親しい人を心にイメージします。一人でも複数でも構いません。その人たちに対して次のようなフレーズを繰り返します。「幸せでありますように」「苦しみがなくなりますように」
  2. 中立的な人への慈悲: 次に、特に親しいわけでも関わりがあるわけでもない人(例えば、近所の人やたまたま見かけた人など)をイメージし、その人たちに対しても同じフレーズを繰り返します。
  3. 嫌いな人、苦手な人への慈悲: さらに、嫌いな人、苦手な人、ネガティブな思いを抱きやすい人たちを思い浮かべ、同様のフレーズを繰り返します。
  4. 生きとし生けるすべての衆生への慈悲: 最後に、想像し得るすべての生命体に対しても同様のフレーズを繰り返します。
  5. 心の変化を観察する: このプロセスを通じて、自分の心の変化や反応を観察し、他者に対する慈悲の心が広がっていくのを感じます。
  6. 結びと感謝: 瞑想を終えるときには、心の中で感謝の気持ちを表し、ゆっくりと現実の世界に戻ります。深呼吸をして、心が落ち着いた状態で瞑想を終えます。

トンレン瞑想(自他転換の瞑想)

トンレン瞑想は、他者の苦しみを自分の中に取り入れ、自分の中にある幸福や安らぎのエネルギーを他者に与えるチベットの瞑想法です。この瞑想は、自分だけ良ければいいというエゴを破壊し、慈悲の心を深めるための強力な実践法です。準備は慈悲の瞑想と同じです。

トンレン瞑想の具体的な方法

  1. 他者の苦しみをイメージする: 目の前に、自分が愛する人、親しい人をイメージします。一人でも複数でも構いません。その人が何らかの形で苦しんでいるとイメージします。
  2. 他者の苦しみを受け取る: 自分の呼吸に意識を向けて、息を吸うたびに愛する人の苦しみを黒い煙や毒として視覚化し、自分の中に吸い込むイメージを持ちます。
  3. 他者の苦しみを自分のエゴを破壊するエネルギーに変換する: 吸い込んだ他者の苦しみが、自分のエゴを破壊するエネルギーに変換され、より純粋で透明な自分になっていくとイメージします。
  4. 他者に幸福を与える: 逆に息を吐くたびに、自分の中の幸せのエネルギーが白い光となってその愛する人に注がれるイメージをします。
  5. 呼吸に乗せて繰り返す: これを呼吸とともにゆったりと繰り返すことで、目の前の愛する人はどんどん苦しみから解放されて幸福になっていくとイメージします。
  6. トンレンの実践の順序: これらを慈悲の瞑想と同様に、「愛する人、親しい人」→「中立的な人」→「嫌いな人、苦手な人」→「生きとし生けるすべての衆生」の順番で実践します。

ポイント

トンレンは他者へのヒーリングやエネルギーワークではありません。あくまでも目的は自己の心の訓練、心の変革にあります。

慈悲の瞑想とトンレン瞑想の効果

このように、慈悲の瞑想やトンレン瞑想は、私たちの心を広げ、他者への思いやりを深めるための強力な実践法です。これらの瞑想を通じて、私たちは嫌悪や恐怖を克服し、より慈悲深い存在になることができるでしょう。

私自身、この瞑想において、Gをイメージしてたくさん訓練をしました。そして、実際にGが現れたときにも、Gを見つめながらトンレンを実践することで、苦手意識を大きく改善することができました。

まとめの章:私たちはいかに虫への嫌悪、恐怖を克服するか?

具体的な対処法~住環境を整える

Gの一部が私たちの家屋に侵入し、繁殖するようになったのはごく最近のことです。彼らが家屋に求めているのは、「水」「餌」「温暖な隠れ家」の三つだけです。

しかし、衛生面でのリスクを考慮すると、Gを家庭内で歓迎する理由はありません。そこで、冷静かつ効果的に対処しながら、私たち自身の嫌悪や恐怖を克服する方法を実践しましょう。

まず、屋内が好きなチャバネゴキブリが繁殖しないよう、住環境を整えることが大切です。特に水回りを清潔に保ち、日々の清掃を徹底することです。Gは雑食性であり、ホコリや髪の毛さえも食べてしまうため、これらを含めた家全体の掃除を怠らないようにしましょう。

さらに、冬でも温かいガスレンジや冷蔵庫周辺など、彼らの隠れ家になりがちな場所も、こまめに掃除を行うことが重要です。

クロゴキブリは基本的に屋外を好むものの、夏になると餌を求めて家の中に侵入してくることがあります。侵入経路としては、水回りやドア・窓(網戸)の隙間が主なものです。これらの隙間をしっかりと塞ぎ、彼らの侵入を防ぎましょう。

心の訓練~嫌悪や恐怖を克服し慈悲の心を育む

そもそもGは生態系において『分解者』として重要な役割を果たしています。彼らは落ち葉や枯れた植物、動物の死骸などを分解し、土壌に栄養を還元することで、他の生物が生きるための基盤を整えています。

さらに、G自体も多くの捕食者にとって重要な食料となっており、食物連鎖の一環としても不可欠な存在です。彼らの存在が自然界におけるバランスを保つために必要なのです。そこを理解することが、私たちのGへの嫌悪や恐怖を和らげる第一歩となるでしょう。

ヨーガや仏教の世界観では、私たちは輪廻中で無数の転生を繰り返している魂だとされています。Gの魂もまた、過去のカルマによってたまたま今の姿になっただけであり、私たちと本質は何ら変わりはなく、憐れむべき存在だと考えるのです。

実際にGが現れた場合、もし気にならないのであれば、そのままにしておくのも一つの方法です。気になる場合は、アヒンサー(不殺生、非暴力)の精神を持ち、彼らを殺さずに外に逃がしてあげることを推奨します。

さらに、私たち自身の心構えとして、Gに対する嫌悪や恐怖を克服することが大切です。Gだけでなく、蜘蛛やムカデといった他の生物に対しても、すべての生き物に慈しみの心を持つよう日々訓練しましょう。その方法として、慈悲の瞑想やトンレン瞑想を紹介しました。

そのように考えると嫌われ者のGは、私たちの慈悲心を育む最高の教材なのかもしれません。

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