【赤子のクリシュナ神と神遊びをした聖女】ゴーパーラ・マーの生涯(後編)

Ramakrishna world

ゴーパーラとの神遊び

その日、アーゴルマニは、激しい霊的高揚に捉えられ、涙を流しながら、ラーマクリシュナにいろいろなことを話しました。

「ゴーパーラがわたしの腕の中にいます。・・・そのゴーパーラが今、あなたの中に入ります。・・・ほら、また出てきました。・・・おいで、坊や、哀れなお母さんのところへおいで」

このように話しながら、アーゴルマニは、いたずら好きなゴーパーラがラーマクリシュナの体の中に消えて、また出てくるヴィジョンを見ていたのでした。師は、アーゴルマニの驚くべき恍惚状態を見て非常に喜び、彼女のことを『ゴーパーラ・マー』と呼ぶようになりました。

その日、ラーマクリシュナはゴーパーラ・マーを帰らせませんでした。彼女の気を鎮めるために体をさすって、部屋にあった美味しいものを自分の手で食べさせました。

ゴーパーラ・マーは法悦状態から戻らず、「ゴーパーラ、愛しい子。あなたの哀れなお母さんはひどい貧乏生活を送りました。自分で紡いだ聖糸を売って、暮らさなくてはならなかったのです。それだから、今日はこんなに特別にお母さんの世話をしてくれるのですか?」などと話していました。

ゴーパーラ・クリシュナ

夕方になって少し落ち着くと、師は彼女の帰宅を許可しました。ゴーパーラも一緒でした。カマルハティに戻った彼女は、いつものように数珠を繰ってジャパを始めようとしました。

しかしそれは無理なことでした。生涯をかけて実践してきたジャパと瞑想の対象であったゴーパーラが、今や目の前にいるのです。

ゴーパーラは遊びまわりながら、あれこれとしつこくねだって彼女を困らせました。彼女はゴーパーラに添い寝して寝かしつけようとしました。枕もない固い寝床だったので、ゴーパーラは嫌がりました。

彼女は左腕にゴーパーラの頭をのせて抱きかかえると、あやしながら言いました。「坊や、今夜はこうして眠ってね。明日になったらコルカタで、種の入っていないやわらかい綿の枕を作るように頼みますからね」

翌朝、ゴーパーラ・マーは、ゴーパーラに料理を食べさせるために、庭で薪拾いを始めました。するとゴーパーラも、彼女のすぐそばで薪を拾って、台所に積み上げていたのでした。こうして母と子は一緒に薪を拾いました。

ゴーパーラ・マーが料理を始めると、いたずら好きなゴーパーラがそばに座ったり、背中に乗ったりしながら、彼女の様子を見ていました。そして片言の言葉で、あれこれとおねだりをしました。彼女はあるときはやさしい言葉で、またあるときはしかったりしながら、ゴーパーラをなだめました。

「あなたは一切を成就したのだ」

ラーマクリシュナ(1836-1886)

数日後、ドッキネッショルを訪ねたゴーパーラ・マーは、数珠を繰ってマントラを唱え始めました。するとそこへラーマクリシュナがやってきて、言いました。

「いまさらどうしてそんなにジャパをするのかね? お前は十分なヴィジョンを得ているではないか」

ゴーパーラ・マー「もうジャパはしないでよろしいのですか? わたしは一切を成就したのでしょうか?」

師「そうだ、一切を成就したのだ」

マー「一切をでございますか?」

師「そうだ、一切をだ」

マー「なんとおっしゃいますか? わたしが一切を成就した、とおっしゃるのですか?」

師「その通りだ。もうジャパや苦行をすることはないのだよ」

ラーマクリシュナは自身の体を指さし「だが、この体が達者であるように、そうした修行なら続けてもよろしい」と言いました。

ゴーパーラ・マーは答えました。「承知いたしました。これから先、わたしはすべてをあなた、あなた様のためだけに致します」

この日、ゴーパーラ・マーは、ずっと愛用していた数珠をガンジス河に捨てました。自分の修行のためのジャパや苦行は終わりを告げました。そして彼女のドッキネッショル訪問はよりいっそう頻繁になりました。

ゴーパーラとの神遊びの日々は続きました。ゴーパーラの子供らしい戯れといたずらに圧倒されたゴーパーラ・マーは、伝統的しきたりや宗教的ルールなど、すっかり忘れてしまうのでした。

ゴーパーラは手を伸ばして食べ物をねだり、食べている物を彼女の口に押し込んだりしました。彼女が拒むとゴーパーラは泣くのです。どうして彼女はそれを拒むことができるでしょうか?

神のヴィジョンを、わずか一瞬経験するだけでも、それはたいへん素晴らしいことです。しかしゴーパーラ・マーは、二ヶ月間もの間、途切れることなく、ずっと赤子のゴーパーラと一緒にい続けたのです。

ゴーパーラのヴィジョンが途切れ始めたとき

二ヵ月後、彼女のヴィジョンと経験は、徐々に途切れるようになってきました。それでも、静かにゴーパーラを瞑想すると、以前のようにすぐにゴーパーラが現われました。会いたいときにはいつでも会えたのでした。

ゴーパーラ・マーは、ラーマクリシュナが、自分のイシュタのゴーパーラと同一である、という確信を得ました。その直後から、彼女のゴーパーラのヴィジョンは、途切れるようになったのです。

それに代わり彼女はラーマクリシュナのヴィジョンを多く見るようになり、必要なときには師がヴィジョンで彼女に指示を出したのです。

それでもゴーパーラの姿が見えなくなった当初、彼女は不安にかられました。ゴーパーラ・マーは涙ながらに師に尋ねました。

「わたしに何をされたのですか? わたしが悪いことをしましたか? どうしてあなたをゴーパーラのお姿で見ることができないですか?」

ラーマクリシュナは彼女を慰めて言いました。「このカリ・ユガ暗黒の時代に、ああいうヴィジョンを見続けると、肉体は長くはもたないのだよ。21日間はもつが、それからは枯れ葉のように落ちてしまうのだ」

ゴーパーラ・マーは二ヶ月に渡って神聖な陶酔状態にありました。彼女の肉体が奇跡的に保たれたのは、ひとえに長年、厳格な日々のルーティンを遵守したおかけでした。ルーティンの力によって日課をいくらか自動的にこなすことで、何とか生き永らえたのでした。

それでも以前のようにゴーパーラと常に会えなくなると、彼女は強烈な渇望に捉えられました。彼女の体内にふうのエネルギーが強まり、心臓がノコギリで挽かれているような痛みを感じました。

これに対してラーマクリシュナは、次のようにアドヴァイスしました。「これは、あなたのゴーパーラへの強い愛のせいだ。神聖なエネルギーが強すぎるのだよ。だがそれがなくなったら、あなたはどうやって生きていくのだね?

それがあるのは良いことなのだよ。あまりにも痛むときには、どうぞ何か食べておくれ」。こう言ってラーマクリシュナは様々な美味しい物を彼女に食べさせたのでした。

ゴーパーラ・マーとヴィヴェーカーナンダ

マルワリ(商業が盛んなことで知られる地域)の信者たちがときどきラーマクリシュナを訪ねて来て、木の実、ピスタチオ、干しブドウ、氷砂糖など様々な供物を献上しました。しかしラーマクリシュナはそれらを一切食べようとせず、また周りの信者にも食べさせませんでした。

師は言いました。「彼らは下心なしに贈り物をすることを知らない。聖者にペテル巻き(口腔清涼剤)を一つ持っていくときには、16の願い事をつけてくるのだ。こんな物質的な人からもらったものを食べると、バクティを失うのだよ」

また、彼らが日々、嘘をついてまで金儲けに精を出していることもその理由でした。それでは、彼らが奉げた贈り物はどうしたのでしょう? ラーマクリシュナはこう指示しました。

「ナレンドラ(後のヴィヴェーカーナンダ)のところに持っていきなさい。あの子なら食べても大丈夫だ」

さらに言いました。「ナレンドラの内部には、食べ物による不純を焼き尽くす叡智の火が常に燃えている。だからどこで何を食べても、心が乱されたり、けがされたりすることはない」

ある日、大勢のマルワリの信者たちがやってきたので、ラーマクリシュナの部屋には食品が山積みになっていました。そこへゴーパーラ・マーら女性信者たちが現われました。師はゴーパーラ・マーを見ると、子供のように側に駆け寄り彼女の手を取りました。

「ああ、この肉体の中には神以外何もない。完全に神に満たされている!」それから師は部屋の中の御馳走を集めると、ゴーパーラ・マーに食べさせました。

こうした師のふるまいを見て、信者たちは驚きました。そしてゴーパーラ・マーが、これらの食べ物によって悪影響を受けないことを理解しました。

ある日、ゴーパーラ・マーと、ナレンドラの二人がドッキネッショルで鉢合わせしました。ナレンドラは博学で理性的な若者でした。「神は形のないもの」という考えに傾倒し、偶像崇拝を批判していました。一方のゴーパーラ・マーは、貧しく素朴で、学もなく、ただ純粋にゴーパーラだけを追い求める老女でした。

ヴィヴェーカーナンダ(1864-1902)

 

ラーマクリシュナは面白がって、正反対な二人の弟子を同席させました。そして師はゴーパーラ・マーに、彼女の経験をナレンドラに話すように指示しました。

ゴーパーラ・マーは涙に声を詰まらせながら、初めてゴーパーラに会ったときのことを話し始めました。それから二ヶ月に渡るゴーパーラとの神遊びの詳細を、ナレンドラに語って聞かせました。

ゴーパーラを抱きかかえて、狂人のようにドッキネッショルまで駆けていったときの様子。ゴーパーラがラーマクリシュナの体に出たり入ったりすること。ゴーパーラが薪割りを手伝ったり、食べ物をねだっていたずらをしたこと。

こうした出来事を話しているうちに、彼女は信仰に満たされ恍惚状態に入り、再びゴーパーラのヴィジョンを見始めました。

ナレンドラは、外見はクールな合理主義者でした。しかしそのハートは、愛と信仰にあふれていました。ゴーパーラ・マーの話を聞き、そしてその恍惚状態を実際に眼にすると、彼は涙を抑え切れませんでした。

ゴーパーラ・マーは、ナレンドラに尋ねました。「あなたは学があって、賢いお方です。わたしは貧しく無知な未亡人です。何も理解していません。こうしたヴィジョンは本物なのでしょうか? どうぞ教えてください」

ナレンドラは答えました。「ええ、お母さんがご覧になったことはすべて本当ですよ」

万人万物の中にゴーパーラが現われる/ゴーパーラ・マーの最期

1886年8月、師ラーマクリシュナが亡くなった時のゴーパーラ・マーの悲しみは、たとえようもないほどでした。彼女は、カマルハティから一歩も外に出ず、隠遁生活を送りました。

しばらくして、再び彼女のヴィジョンの中にラーマクリシュナが頻繁に現われ始めると、悲しみは終わりを告げたのです。

ある日、ゴーパーラ・マーはガンジス河対岸のマヘーシュでの山車だし祭に参加しました。彼女は、万物万人の中にゴーパーラのヴィジョンを見、その喜びに圧倒されました。最愛のゴーパーラが、山車の上や神像に宿り、また山車を引き回す人々や、膨大な群集のそれぞれの中に宿っているのを見たのでした。

ゴーパーラは、この世のあらゆるところに、様々な姿をとりながら示現じげんしていました。彼女はこの宇宙的ヴィジョンにわれを忘れて、法悦のあまり、外界意識を失い、踊り、笑い、大騒ぎをしたのでした。

その後、ゴーパーラ・マーはたびたびラーマクリシュナ僧院に足を運び、師が残した愛弟子たちとの交流を喜びました。またホーリーマザーを実の娘のように愛しました。

1897年、ヴィヴェーカーナンダが欧米から帰国した時、シスター・ニヴェーディターら西洋人の女性の弟子たちがカマルハティを訪問しました。

ゴーパーラ・マーは彼女たちの中にゴーパーラを見て、彼女たちの顎に触れて、愛情を込めてキスをしました。そして、炒り米、甘いココナッツボールなどの茶菓子を勧めました。請われるままに自身のヴィジョンについて語ると、彼女たちの心は感動に包まれました。

晩年、ゴーパーラ・マーは、自分を出家修行者とみなして、黄土色の布をまとっていました。そして1904年、彼女は重い病にかかり、寝たきりになりました。

シスター・ニヴェーディターは、ゴーパーラ・マーの生涯に深く感銘し、彼女を自分のインドの自宅に引き取りたいと強く願い出ました。この熱意にゴーパーラ・マーも同意しました。

このころには伝統的なしきたりや宗教的ルールに固執する、彼女の態度は消え去っていました。二ヴェーディターは2年間に渡って、ゴーパーラ・マーとともに暮らし、まるで実母に仕えるかのようにお世話をしました。

そして1906年7月8日、ゴーパーラ・マーはその驚嘆すべき一生を終えたのです。

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