【頭陀第一】マハーカッサパの物語(中)

仏教

糞掃衣を賜る:師弟の継承

ある静かな日、ブッダは食事を取るために樹の下に座ろうとしました。マハーカッサパは自分の衣を素早く脱ぎ、それを四つ折りにしてブッダの座る場所に敷きました。 

ブッダは彼の繊細で柔らかな衣を感じながら、「カッサパよ、この衣はとても心地よいね」と軽く言及しました。

これを聞いたマハーカッサパは、敬意を表して願い出ました。「尊いお方様、どうかこの衣をお受け取り下さい!」

ブッダは彼の申し出を受け入れて、「では、そなたは私がこれまで着用してきた糞掃衣ふんぞうえ袈裟けさ)を受け取るが良い」と言いました。

糞掃衣とは、使われなくなった布や汚れた布を集め、それらを洗い清めて繋ぎ合わせた衣で、清貧質素な出家修行を象徴する衣装でした。マハーカッサパは師ブッダから直接衣を賜る恩寵を得ました。以後彼はその糞掃衣が破れると接ぎを当てながら、終生それを着続けたのです。

【解説】頭陀行とは何か?

マハーカッサパは、仏弟子の中で『頭陀第一』と讃えられました。頭陀行というのは、煩悩のけがれをふるい落とすために、衣食住について徹底的に安楽を捨てる修行法です。そのための12種の実践があります。

【衣】①糞掃衣(ボロ布を縫い合わせたもの)を身に着ける ②三衣(大衣・上衣・中衣)以外は所有しない

【食】③食べ物は托鉢で得る ④托鉢をするのに家の貧富を選り好みしない ⑤1日1食のみ ⑥食べ過ぎない ⑦正午を過ぎてからは食べない

【住】⑧森林や、⑨樹の下や、⑩空き地、⑪墓地(死体捨て場)など人里離れた場所に住み、⑫身を横たえず、睡眠も座ったままとる

比丘や比丘尼が守るべき通常の戒律よりも、頭陀行の決まりはさらに厳しいものです。そのどれか一つを守るだけでも容易ではありませんが、マハーカッサパはこれらすべてを一生涯守り通しました。

仏教教団が誕生した頃は、頭陀が出家修行者の生活スタイルでした。しかし、教団が大きくなり、国王や富豪たちからサポートを受けるようになると、僧院に住する僧侶も増え、裕福で熱心な信者から寄進された綺麗な衣をまとい、信者の家に招かれて食事の供養を受けることも、ごく普通になりました。

しかし、マハーカッサパは相変わらず糞掃衣を着て、托鉢で食を得て、前と同じように林野に住む頭陀行を頑なほどに守り続けたのです。

バッダー・カピラー二の解脱

マハーカッサパの妻であったバッダー・カピラーニは、夫と分かれた後、ある宗教教団のもとで修行しようとしますが、そこで彼女は数多くの虐待を受けました。

仏教教団に尼僧団が創設されると、マハーカッサパは天眼通を用いて彼女の居場所を突き止め、苦境から彼女を救い出しました。彼に導かれ、バッダー・カピラーニはブッダに弟子入りし、マハーパジャパティー比丘尼から戒律を授けられました。その後、彼女は懸命に修行を続け、やがて悟りを得ました。

バッダー・カピラーニの言葉が仏典に次のように残されています。「この世が苦しみであることを見て、私たち二人は出家しました。私たちは汚れを滅ぼし、心をコントロールして、清らかとなり、安らぎを得たのです」 

ブッダも彼女を高く評価し、「尼僧の中で過去生を知る能力(宿命通しゅくみょうつう)において、バッダー・カピラーニに及ぶ者はいない。『宿命第一』である」と称えました。

慈悲の行脚:マハーカッサパの托鉢行

マハーカッサパは托鉢行において、富豪の家には近づかず、常に貧しい家々を優先しました。彼の慈悲の心は、最も困窮している者たちに対して注がれたのです。

ある日、彼は王舎城の片隅に住む極貧の老婆のもとを訪れました。老婆は病に侵され、ゴミで作った穴蔵に住んでいました。金持ちの使用人が捨てた食べ残しの米汁で、何とか飢えをしのいでいました。

老婆は自分の境遇を嘆き、マハーカッサパに救いを求めました。「この国で最も貧しいのは私でしょう。この世に慈悲深い人はいないのでしょうか? 私の貧しさや飢えを救ってくれる人は誰もいません。どうか哀れみを!」と訴えました。

マハーカッサパは静かに答えました。「私はあなたを救うために托鉢に来た。たとえわずかな施しでも、次の生での豊かさにつながる功徳となるだろう」

老婆は涙を流しながら、「尊い仰せは骨身に染みますが、ご覧の通り、施せる食も衣服もありません」と返しました。

マハーカッサパは優しく語りかけました。「いかなる富豪でも、物惜しみの心から施さない者がいれば、その人たちこそ極貧なのだ。老婆よ、あなたはすでに布施の心を持っている。あなたは決して貧乏ではないのだよ

その言葉に心を打たれた老婆は、残っていた米汁を彼に布施しました。マハーカッサパはこの米汁を飲み干しました。この数日後、老婆は亡くなりました。しかし聖者への布施の功徳により、老婆は天界に生まれ変わることができたのです。

また別の日、托鉢椀を持ったマハーカッサパは、食事をしている一人のらい病(ハンセン病)患者に近づいて、彼の側に恭しく立ちました。患者が腐った手で一握りの飯を鉢に投げ入れると、その指も断ち切れて椀の中に落ちました。静かに座ったマハーカッサパは、平然とその一握りの飯を食べました。

それを食べている間も、食べ終わった後も、わたしに嫌悪の念は一切存在しなかった」と彼は後に述べています。これらの行為は、マハーカッサパのすべての存在に対する無条件の愛を表しています。

ブッダとの師弟の絆: 半座を開ける

長い放浪の後、マハーカッサパは荒れ果てた姿でブッダのもとに帰ってきました。彼はボロボロの糞掃衣を纏っていて、髪や髭は伸び放題でした。新しい仏弟子たちはマハーカッサパのことを知らず、「あの乞食坊主は一体誰だ?」とささやきき合いました。

しかし、ブッダはマハーカッサパの到来を歓迎し、自らの座を半分開けて彼に座る場所を提供しました。「マハーカッサパよ、よく戻った。ここに座るがよい」と彼に敬意を表しました。

新弟子たちからどよめきが起こる中、マハーカッサパはブッダを礼拝し、「師よ、畏れ多いことでございます。私は末席において頂ければ十分有り難く思います」と退いて申しました。

「比丘たちよ、道を修めるにはマハーカッサパに学ばなければならない。彼は頭陀を行って少しも欠けるところがない」と、ブッダはマハーカッサパの高潔さを称え、彼の徳の素晴らしさについて弟子たちに説き聞かせました。

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