ラーマクリシュナの結婚
ラーマクリシュナはついに母なる神にまみえました。しかし今度は絶え間なく母なる神に接したいという願望に駆られました。彼は「恩寵をお与えください、母よ。お姿をお見せください!」と泣き叫びました。彼は祭祀の仕事がまったくできなくなり、気が狂ったと噂されました。
このニュースは、カマルプクルにいる彼の年老いた母にも届きました。母チャンドラ・デーヴィーはとても心配してラーマクリシュナを故郷に呼び寄せました。「彼の心が世俗に降りたら、この神狂いが治まるかもしれない」と結婚を計画しました。
しかし家が貧しいこともあり、なかなか良い花嫁は見つかりませんでした。不思議なことにラーマクリシュナはこの成り行きに反対するどころか、子供のような興味を示し、バーヴァ・サマーディ(相対世界と絶対世界の間の状態)に入り、こう言いました。
「いったいどこを探してるのですか? ジャイラムバティ村のラーマチャンドラ・ムケルジーの家に行ってごらんなさい。花嫁は藁で印をつけられて保護されているでしょう」
母が半信半疑ながら行ってみたところ、娘が一人だけいました。年齢はわずか5歳でした。ラーマクリシュナは23歳です。1859年、結婚式が厳かに行なわれました。これは当時のインドでは珍しくないことで、実際には結婚というより婚約でした。
そして少女はカマルプクルから5キロのジャイラムバティの実家に帰り、ラーマクリシュナもドッキネッショルに戻りました。彼は結婚や妻のことも何もかも忘れて、さらなる激しい修行に没入しました。
サーラダーの生い立ち
1853年、サーラダー・デーヴィーはベンガル地方の村ジャイラムバティの、信仰心の篤いバラモンの家に生まれました。
家が貧しかったため、サーラダーは幼い頃から料理、洗濯などの家事を手伝いました。長女であったから、6人の弟妹たちの世話もしました。ときには野良で働く人たちに弁当を運び、首まで水につかって牝牛にやる草を刈りました。
彼女はほとんど学校教育を受けませんでした。当時、女性への教育は良いこととされていませんでした。それでもサーラダーは読み方を習うのに熱心で、のちには『ラーマーヤナ』や『マハーヴァーラタ』が読めるようになりました。
ラーマクリシュナからの直接指導
1867年、ラーマクリシュナは故郷のカマルプクルに帰省しました。彼の神狂いの時期は終わりを告げ、子供のような天真爛漫な聖者となっていました。14歳になっていたサーラダーは、6ヶ月間を夫ラーマクリシュナと過ごし、はじめてその偉大な人格に触れたのでした。
ラーマクリシュナはサーラダーに敬意を示し、けして心遣いを怠りませんでした。彼女に自分自身の神秘体験や放棄の理想を説いただけではなく、主婦としての家事一般の仕事から、人の性格の見分け方、お金の使い方、時と場合に応じた正しい言葉遣いや振る舞い方などを丁寧に教えました。
またサーラダーも夫がどのような人であるかを感じとり、心から従順にそして懸命にその指導を受けました。
ドッキネッショルへの旅路で
サーラダーの夫が気ちがいになった、彼は裸で走りまわり、わけのわからないことを口走っている、という噂がジャイラムバティに広がりました。人々は神に酔い、神の御名を唱えている彼を誤解したのでした。
サーラダーは18歳になっていました。ラーマクリシュナへの信愛は全く変わりませんでした。しかし村の人々の心ない噂に、彼女は心を痛めていました。サーラダーはドッキネッショルに行って、自分の目で確かめようと決心しました。
近隣の婦人たちが祭礼のためにカルカッタに行こうとしていました。サーラダーも父とともに一行に加わりました。約100キロの距離の移動手段は徒歩のみでした。サーラダーは最初の二、三日は、楽しく歩いていましたが、長旅に不慣れなため高熱を出して倒れてしまいました。
小屋の中で熱にうなされているサーラダーの枕元に、一人の少女がやってきました。その少女は非常に肌が黒く、かつて見たことがないほどの美しい姿をしていました。
少女は柔らかな手でサーラダーの頭と体をなでました。サーラダーは少女にどこから来たのか尋ねました。
「ドッキネッショルから来ました」
サーラダーデーヴィーは驚いて言いました。「ドッキネッショルですって!? わたしも、彼に会い、彼にお仕えするために、ドッキネッショルに行こうしていました。でもこんな熱病にかかってしまったので、わたしの願いは叶わないでしょう」
すると美しい少女はこう言いました。「そんなこと言わないで。ドッキネッショルには必ず行けます。あなたは彼に会えますよ。わたしが彼をあそこに引き留めているのは、あなたのためだからです」
「本当に? あなたはどなたなの? 親類の方?」
「わたしはあなたの姉妹です」
このような会話を続けるうちに、サーラダーは深い眠りに落ちました。のちにこの話を聞いた人々は、この少女の正体はカーリー女神だったのではないかと思いました。
そして翌朝起きると、サーラダーの体は幾分楽になっていました。前夜の出来事に励まされ彼女は再び歩き出しました。途中で駕籠が見つかりました。サーラダーは再び発熱しましたが、高熱ではなかったので父には黙って耐えていました。そして夜の9時にドッキネッショルに到着しました。
ラーマクリシュナは、サーラダーの状態を見てとても心配しました。彼の部屋に寝床を用意し、医師を手配し、薬、食事などラーマクリシュナ自らが看病をはじめ、昼も夜もつきそって十分に手を尽くしました。
そのおかげでサーラダーは三、四日のうちに回復しました。村の者たちの噂が偽りだったことを彼女は確信しました。ラーマクリシュナは以前にも増して愛情深く、優しかったのです。
サーラダーは、当時ナハヴァトにいた彼の母親のもとで一緒に住むことになりました。ナハヴァトとは彼の部屋の北側にある小さな建物のことでした。彼女の父親は、娘の幸せそうな様子を見て、安心して村に帰りました。
ラーマクリシュナとサーラダーの関係
サーラダーはナハヴァトで過ごしました。昼間はラーマクリシュナの部屋に訪問者が集まるので彼に会えませんが、夜はラーマクリシュナの部屋に来ることを許されていました。サーラダーはこのときに大聖者である夫から最高レベルの訓練を受けたのでした。
ある夜、ラーマクリシュナは彼女を試すべく次のように尋ねました。「わたしを世俗の生活に引きずり込むために、お前はここにやってきたのかね?」
サーラダーは一瞬のためらいもなく答えました。「どうしてわたしがあなたを世俗に引きずり落としましょうか。あなたの理想の実現をお手伝いするために、わたしはここにいるのです」
サーラダーもある日、彼の足をマッサージしているときに尋ねました。「わたしをどのようにご覧になっているのでしょうか?」
彼は即答しました。「聖堂に祀られている母が、いまわたしをさすってくださっている。実に心からお前を至福の宇宙の母の権化と見ているのだよ」
ある夜、ラーマクリシュナは自分の魂の高潔さが、完成されたものかを実験しました。かたわらに眠っていた若い妻の体に目を向けると、
「おお、心よ、これが女性の肉体というものだ。人の貪りと羨望の的であるが、その肉体を享受してしまった男は世俗に巻き込まれ、神を知ることはできない。おお、心よ。偽善者であってはならない。
心に感じないことを舌で語ってはいけない。誠実であれ。そして望むものをわたしに語るのだ。この肉体か、それとも神かを。もし肉体を欲するのなら、ほら、正にここに、目の前にあるぞ。取るがいい」
こう言って、ラーマクリシュナはサーラダーに触れようと手を伸ばしてみました。しかしその手は萎えて彼はサマーディに飛び込み、肉体感覚を完全に失ってしまいました。
サーラダーの生来の純白さについてラーマクリシュナはのちにこう語っています。「結婚後、わたしは熱心に祈った。『おお、母よ。どうか彼女の心から色欲の極わずかな痕跡さえも取り除いてください』とね。彼女と暮らしてみて、わたしの祈りが聞き遂げられたことを知ったのだよ」
二人は生涯一度も肉体的な関係を持つことはありませんでした。その代わりにラーマクリシュナは、サーラダーを何百人という弟子や信者を持つホーリーマザー(聖なる母)にしたのです。
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