【インドの英雄】ヴィヴェーカーナンダの生涯(4)シカゴスピーチと欧米伝道

Ramakrishna world

ついにシカゴに到着したヴィヴェーカーナンダは、世界宗教会議についてショッキングな事実を知らされました。

①宗教会議の参加には公認団体からの推薦が必要なこと

②参加申し込みはすでに閉め切られていたこと

③開催は2か月後であること(つまりインドを出るのが早すぎたこと)

ヴィヴェーカーナンダも、他のインドの信者たちも、詳しい申し込み方法や、会議の詳しい日時さえも、何も知らなかったのです。あまりにも楽天的で無計画でした。しかも、信者たちから援助されたお金も少なくなっていました。

窮地に追い込まれたヴィヴェーカーナンダでしたが、とりあえずボストンに向かうことにしました。生活費がシカゴよりも安いと聞いたからです。このボストン行きの汽車の中で、彼は、ある裕福な婦人と知り合いました。彼女は、ヴィヴェーカーナンダの高貴な人格と、叡智に富んだ会話に感動して、ハーバード大学のライト教授を紹介しました。

ヴィヴェーカーナンダは、ライト教授と、さまざまな問題について4時間も語り合いました。ライト教授もまた彼のまれに見る才能に深く感動し、ヒンドゥー教の代表として世界宗教会議に出るべきだと、強く勧めました。彼は自分のおかれた事情を説明しました。するとライト教授はこう言いました。

「あなたに推薦状を要求するのは、太陽に対して、おまえは輝く権利があるのかと尋ねるようなものです!」

ライト教授は友人である宗教会議の委員長に手紙を書いて、「ここに、学識あるわが国のプロフェッサーたち全部を集めたよりも、さらに学識の深い人がいます」とヴィヴェーカーナンダを推薦し、シカゴ行きの切符までも用意してくれました。 

夜遅くシカゴ駅に到着したヴィヴェーカーナンダは、何と宗教会議の委員会のアドレスをなくしていたことに気づきました。彼はどこに助けを求めていいか分からず、仕方なく鉄道の貨物置き場の大きな箱の中で、空腹をかかえながら寒い夜を過ごしました。

 翌朝、ヴィヴェーカーナンダは食事を求めて托鉢してまわりました。しかし100年以上前のアメリカの大都市ですから、突然訪ねてきた有色人種に応じてくれる人など、いようはずもありませんでした。憔悴しきったヴィヴェーカーナンダは、ついに道端に座り込みました。そして、すべてを神にまかせることにしました。

すると、道路の向かい側の家の扉が開き、一人の気品に満ちた婦人が近づいてきました。「失礼ですが、あなたは宗教会議の代表の方ではありませんか?」

この親切な婦人はヴィヴェーカーナンダを家に招き入れ、食事をふるまいました。そして宗教会議の事務所に案内してくれたのです。その後、彼女とその家族たちはヴィヴェーカーナンダの最も親しい友人となったのでした。

このようにヴィヴェーカーナンダは紆余曲折を経て、世界宗教会議に出席できることになったのです。

シカゴスピーチ

1893年9月11日、ついに第一回世界宗教会議が開会されました。

ローマカトリックの枢機卿(すうききょう)を中心に、キリスト教、イスラム教、仏教、ユダヤ教、ヒンドゥー教、ジャイナ教、儒教、神智学、神道、ゾロアスター教など、世界中のさまざまな宗教の代表者60人以上が一堂に会し、その会場は7000人もの聴衆たちで埋め尽くされていました。 

初日、各宗教の代表者たちは、一人一人壇上に立ち、用意されていた原稿を読み上げました。ヴィヴェーカーナンダは、何の原稿も用意しておらず、またこのような大観衆の前で話すのは初めてでしたので、緊張のあまり、議長からの呼び出しを後まわしにし続けました。

他の全員のスピーチが終わり、ついにヴィヴェーカーナンダの番になりました。筋骨たくましい身体にオレンジ色のローブをまとい、漆黒の髪に黄金色のターバンを巻き、日に焼けた顔は美しく気品に満ち輝いていました。壇上に立った彼の姿を見て、聴衆たちは彼が特別な人に違いないと感じました。

ヴィヴェーカーナンダは、心の中で智慧の女神に祈りを捧げて、その大きな目で聴衆を見渡すと、堂々とした声で、こう言いました。

「アメリカの兄弟姉妹の皆さん!」

この瞬間、7000人の聴衆はスタンディングオベーションで拍手喝采を送りました。なんとその後2分もの間、拍手は鳴りやみませんでした。形式的な単なる呼びかけの言葉でしたが、彼が口にすると不思議と聴衆の琴線に触れたのでした。会場が静けさを取り戻すと、ヴィヴェーカーナンダは流暢な英語でスピーチを始めました。

これまでにスピーチした他の宗教家たちは、形式的な原稿を読み、ただ自分たちの神や教義を語るだけの、退屈なスピーチでした。

ヴィヴェーカーナンダは、聴衆に耳新しいヒンドゥ教を紹介しました。そして宗派主義、狂信、敵対感情に終止符を打つように訴えました。

師ラーマクリシュナが到達した、すべての宗教の真理は同一であることを説きました。「どの川もすべて海に流れつき一つに合さるように、さまざまな宗教もやがて宇宙の絶対者のもとにたどり着くのです」。

そして「自身の属する宗教の存続のみを望むのではなくお互いを尊重し、調和と平和をもたらすべきだ」と炎のような情熱で聴衆に語りかけました。

スピーチが終わると、再び耳をつんざくばかりの拍手が巻き起こりヴィヴェーカーナンダを称えました。

一夜にしてヒーローに

次の日、アメリカの各新聞も宗教会議のヒーローとして颯爽と現われた彼のことを、こぞって書き立てました。

「彼は間違いなく、宗教会議中の最も偉大な人物である。彼の話を聞くと、これほど学識のある民族に宣教師などを送るのは何という愚かなことだろう、と感じる」(ニューヨーク・ヘラルド紙)

「彼はその情操や容貌の威厳から、会議の大変な人気者である。演壇を横切るだけで拍手される。この無数の人々からの格別の賛辞を、彼はほんのわずかの自負心もなく、子供のような心で喜んで受け入れた」(ボストン・イブニング・ポスト紙)

シカゴの町には等身大のヴィヴェーカーナンダのポスターが飾られました。この宗教会議の期間中、ヴィヴェーカーナンダは計12回にわたるスピーチをしました。

議長は毎日、彼のスピーチの順番を、一番最後に回しました。なぜなら聴衆の多くが、ヴィヴェーカーナンダのスピーチを聞きにやってきていたからです。人々は彼のスピーチを聞くために、1時間でも2時間でも待っているのでした。 

このヴィヴェーカーナンダの大成功は、インドの新聞や雑誌にも掲載されました。彼の名はインド中に鳴り響いていきました。ヴィヴェーカーナンダの兄弟弟子たちの喜びもまた、筆舌に尽くしがたいものでした。

ナレンドラはいつの日か世界を揺るがすだろう」と、ラーマクリシュナは口癖のように言っていました。彼の信者や弟子たちは改めて、師の言葉が寸分たがわず正しかったことを知ったのでした。 

ヴィヴェーカーナンダ自身も、インドの兄弟弟子や信者たちにたくさんの手紙を送り、彼らの情熱をかき立てました。

わたしはハートから血を流しつつ、助けを求めて地球の半分をよぎり、この知らぬ他国にやってきた。主がわたしをお助けくださるだろう。わたしはこの国で寒さと飢えで死ぬかもしれない。

しかし、若者たちよ、わたしは君たちに、貧しい人々、無智な人々、圧迫された人々へのこの慈悲心、彼らのためのこの努力を残して逝く。

『彼』の前にひれ伏して、大きな犠牲をささげたまえ。彼らのために日々沈んでいくこれら三億の人のために全生涯を捧げるのだ

 

主に栄光あれ。われわれは成功するだろう。幾百人が、努力の半ばで倒れるだろう。しかし幾百人が、喜んでその後を引き受けるだろう。

 

命などはなんでもない。死などはなんでもない。主に栄光あれ! 前進せよ! 主がわれらの大将である。倒れた者を振り返って見るな。前進せよ! 進み続けよ!」

サイクロンのようなヒンドゥー教徒

彼はアメリカのさまざまな主要都市に、講演の旅に出ました。週に12回から14回、あるいはそれ以上の講演を行ないました。人々は彼を「サイクロンのようなヒンドゥー教徒」と呼びました。

1896年2月にはニューヨークで『わが師』という講演で、ラーマクリシュナを全世界に紹介しました。彼は行く先々で誠実な友人や弟子を得ました。

そのなかにグッドウィンという優秀なイギリス人速記者がいました。彼はその生涯をヴェーカーナンダにささげ、彼の速記は『ヴィヴェーカーナンダ講演集』として後世に残ることになりました。

ヴィヴェーカーナンダは講義や講演、ヨーガのクラス、弟子たちへの個人指導、手紙のやり取り、書籍の執筆、インタビューに応じるなど、救済のさまざまな活動に燃えるように従事しました。

アメリカでの布教にある程度の成功を感じた彼は、次はヨーロッパへ目を向けました。その最初の本拠地としたのはロンドンでした。

ヴィヴェーカーナンダの評判はイギリスにもたちまち広まり、彼はまたしても講演やクラスなどの活動に激しく従事するようになり、大勢の熱心な支持者を得ることができました。

その中には、女学校の校長であったミス・マーガレット・ノーブルもいました。彼女は、後にヴィヴェーカーナンダのもとで出家してシスター・ニヴェーディタとなり、インドに渡り、特にインドの女性たちの教育のためにその生涯をささげました。 

ヴィヴェーカーナンダは教えを広めるための組織、『ヴェーダーンタ協会』を設立しました。また彼は、兄弟弟子のサーラダーナンダとアベーダ―ナンダをインドから呼び寄せ、教育し、自分の救済活動を引き継ぎました。

そして彼自身はおよそ4年間の布教活動を経て、西洋人の弟子たちを引き連れてインドへ帰ることにしました。

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