【多聞第一】ブッダの従者アーナンダ(阿難)の物語(4)

仏教

アーナンダの悟り

ブッダの葬儀と仏舎利ぶっしゃり(ブッダの遺骨)の分配が終わると、マハーカッサパとアヌルッダはそれぞれ250人の弟子を率いてマガダ国のラージャガハへ向かいました。アーナンダはブッダの遺品である鉢と法衣を携えて、コーサラ国のサーヴァッティへ赴きました。祇園精舎に到着すると、馴染の信者たちは、ブッダにいつも随行していたアーナンダが一人で来たのを見て、改めて悲しみの涙にくれました。

アーナンダは無常についての法話をして信者たちを慰めようとしながらも、自らも涙を禁じえませんでした。ブッダの部屋を掃除したり、香を焚いたりしながら、アーナンダは「世尊、沐浴のお時間です」「ご法話のお時間です」とつぶやき、涙を流しました。ブッダを慕うあまり、アーナンダのもとに詰めかけた人々に、彼は昼夜を問わず法を説きました。

ブッダの逝去から一ヶ月後、マハーカッサパは仏教の教えと戒律を編纂するための会議、『第一結集』を召集しました。この歴史的な会議は、マガダ国王アジャータサットゥの支援を得て、首都ラージャガハ近くの七葉窟で開催されることになりました。人類の至宝を正しく後世に残すため、阿羅漢あらはんの悟りを得た聖者五百人で結集を行うことが決められました。

アーナンダがブッダの侍者に抜擢されてから二十五年間、彼はブッダの行く先々で必ず随行し、ブッダの身の回りの世話をしていました。そのため、自ずとブッダの説法に接する機会にも恵まれ、教団随一の記憶力の持ち主である彼は、ブッダが説かれた法を一語も漏らさず記憶しました。

そればかりではなく、侍者になる前のブッダの説法も他の仏弟子から聞き回り、それらもすべて記憶したのです。つまり、ブッダの一代四十五年間の説法を保持していたのです。それゆえ、アーナンダは数ある仏弟子の中でも『多聞第一』と称えられていました。結集で彼が大きな役割を果たすことが期待されていました。

しかし、アーナンダは阿羅漢ではありませんでした。そのため結集の参加が危ぶまれました。多くの法を聞いていながら、彼はブッダの在世中に修行を完成させることができなかったのです。煩悩をどの程度断じ終えたかによって、預流よる一来いちらい不還ふげん・阿羅漢の四つの段階があり、煩悩をすべて断じ尽くしたのが阿羅漢で、聖者の最高位です。マハーカッサパをはじめ高名な仏弟子の多くは阿羅漢果を得ていました。

仏弟子たちの間でも、アーナンダの参加の可否については意見が分かれました。多くが「多聞第一のアーナンダなくして仏教の編纂は成り立たないではないか」と声を上げ、その一方で、ブッダの愛弟子であった彼を快く思わない者たちからは、「いまだ煩悩が残るアーナンダを用いると大きな過失をもたらすのではないか」との意見が出ました。これは仏教教団にとって大きな問題でした。

自分には当然参加資格があると思っていたアーナンダは、ラージャガハに入りました。しかし、マハーカッサパは「明日は結集の日だが、そなたは結集には出席できない」とアーナンダに言い渡しました。

アーナンダは何も言わずに自分の小屋に戻ると、深い瞑想に入りました。中夜が過ぎ、後夜が過ぎ、明け方になりました。その疲れから少し仮眠を取ろうとして、彼の背が寝具に触れようとした瞬間に、忽然と煩悩が尽きて阿羅漢の悟りを得ました。仏典結集当日の朝のことでした。

夜が明けて会場に現れたアーナンダを見たマハーカッサパは、一目で彼が開悟したことを見抜きました。昨日までのアーナンダとはまるで異なった清らかで澄み切った姿だったのです。情愛の煩悩が尽き果て、慈悲の光が内から溢れ出ていました。マハーカッサパはにっこりと笑い「アーナンダよ、見事な解脱者ぶりだ。世尊もさぞお喜びだろう」と賛辞を与えました。

第一結集

マハーカッサパは会場の上座に坐り、厳粛な面持ちで集まった長老たちを見渡しました。そして、重厚な口調で述べました。

「世尊ゴータマ・ブッダは亡くなられた。私たちには、師の教えを正しく保持し、後世に伝える責任がある。誤った教えが広がれば、ブッダの教えは早くも滅びてしまう。我々は仏法を確立させ、教団の規律を徹底させなければならない」

長老たちの賛同を得たマハーカッサパは、ウパーリの方を向き、「いざ、ウパーリ尊者よ、そなたが聞き学び、そして知る限りの世尊が定めた戒律を申し述べよ」と言いました。

『持律第一』として知られるウパーリは、姿勢を正して戒律を一つずつ朗唱しました。そして、各戒律の成立背景を詳細に説明しました。五百人の長老たちはそれらを一つずつ確認し、承認していきました。

ウパーリの発言が全て終わると、マハーカッサパは「比丘たちよ、今までウパーリが述べた戒と律は世尊の定められたことである。異論のある者はいないか!」と洞窟が揺らぐくらいの声を張り上げました。長老たちは声を合わせて「異論なし!」と答えました。

次にマハーカッサパはアーナンダに向き直り、「アーナンダ尊者よ、今更言うまでもないが、そなたは教団一の記憶力の持ち主であり、専属の侍者として世尊の教えを誰よりも多く聞いておられる。今より世尊の説法を復唱せよ。一同はアーナンダの言葉に異議があれば遠慮なく述べよ」と言いました。

こうして「如是我聞にょぜがもん(このように私は聞きました)」から始まるアーナンダの言葉は、ブッダが説いた教えを忠実に再現するものでした。五百人の阿羅漢たちはアーナンダの説法を生きるブッダの説法として耳を傾け、ある者は感涙し、ある者はアーナンダに宿るブッダの精神を感じ取りました。

アーナンダは、ブッダが生前に語った多くの重要な教えを、具体的な場面とともに詳細に説明し、その教えが各場面でどのように説かれたかを語りました。最古参の仏弟子アンニャー・コンダンニャは、在りし日のブッダが思い出されて、感激のあまり何度も気絶しました。

結集は数週間にわたって続き、アーナンダがブッダの最後の教えを述べ終えると、マハーカッサパが立ち上がり、「異論のある者はいないか?」と大声で尋ねました。五百人の声が一斉に「異論なし!」と洞窟内に響き渡りました。

こうしてブッダの説かれた教えは七千余巻の一切経として今日に伝えられています。アーナンダは、人類の叡智となる仏教の教えを後世に伝えるために重大な役割を果たしたのでした。

アーナンダの涅槃

解脱後のアーナンダは、持ち前の柔和さや穏やかさに加え、冒すことができない威厳を自然と身にまとうようになりました。彼の説法はやさしく具体的であり、常にブッダの在りし日の様々な言葉や行為がその中に必ず出てきました。ブッダを慕う人々は、彼の説法にブッダを重ね合わせながら聴聞していました。

ブッダの後継者マハーカッサパが老齢の極に達し涅槃に入る前に、アーナンダを身近に呼び、ブッダの大法を託しました。アーナンダは仏教教団の全指導者となり、教団を守り拡大させ、休むことなく布教活動を続けました。

涅槃の日、アーナンダは特に親交が深かったマガダ国とヴァッジ国の国境、ガンジス河の中流に船を漕ぎ出しました。彼は、自分の死後に遺骨を巡る争いが起こることを憂い、また兵火を交えていた両国の和平を願っていました。アジャータサットゥ王をはじめマガダ国の人々やヴァッジ国の民が両岸に集まる中、アーナンダは船上から虚空へと上昇し、火光三昧に入ってこの世を去りました。そして、自身の遺骨を二分し、ガンジス河の両岸に散骨しました。

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