聖者はどのような睡眠を取るのでしょうか? まずはラーマクリシュナ(Ramakrishna、1836-1886)とブッダ(お釈迦様)の睡眠について見ていきます。彼らの睡眠について興味深いエピソードが伝えられています。
ラーマクリシュナの睡眠
ラーマクリシュナは多くの聖者と同様に、非常に短い睡眠時間だったと伝えられています。彼の夜はほとんどが祈りや瞑想、神と一体になるサマーディ(法悦状態)にありました。彼の一番弟子ヴィヴェーカーナンダは、「師は神のビジョンに満たされ、物理的な欲求を超越していた」と語っています。
直弟子アカンダーナンダは、「師ラーマクリシュナは、12年の長きにわたり、睡眠も取らずに、霊性の向上のための厳しい修行を積まれた。師の立ち向かわれた苦しみは言語に絶するものであった!それは何のためであったのか。すべては世界のためであった。
このような修行の後でさえ、師は休みをお取りにならなかった。師はご自分の一生を世界のために費やされたのだ。咽頭ガンを患い、医者から話すことを禁じられても、師は休養を取ることを自分自身に許さなかった」と述べています。
ホーリーマザーことサーラダー・デーヴィーは18歳のとき、夫であるラーマクリシュナの部屋で夜を過ごしています。そのときのラーマクリシュナの様子を次のように回想しています。
「あの頃の師の霊的な雰囲気を伝えるなんてことは無理ですよ。神に酔った状態で私には理解できない言葉を言ったり、笑ったり、泣いたり、それにある時にはサマーディに入って死体のように不動になられたのですもの。夜はずっとこんな風に過ごされたのでした。
私の身体はおののき震えて、ひたすら夜が明けるのを待っていたのですよ。あの頃はサマーディについてほとんど何も知らなかったのですもの。
ある夜、師の心は通常意識の次元に長い間降りてこなかったの。恐ろしくなった私はフリドエ(ラーマクリシュナの甥)を呼びにやりました。やって来た彼は、しばらく師の耳元で神の御名を繰り返しました。するとようやく普段の意識を回復なさったのよ」
夜中に突然このような状態が起きたらどうしようかと心配して、サーラダー・デーヴィーは毎晩眠ることができませんでした。彼女の苦境を知ったラーマクリシュナは、サーラダーにこれからはナハヴァト
(彼の部屋の北側にある小さな建物)で休むようにと言いました。
直弟子ナーグ・マハーシャヤは以下の経験をしています。
ある日、彼が師を訪ねると、ラーマクリシュナは食後の休息を取っているところでした。非常に蒸し暑い日だったので、ラーマクリシュナはナーグに団扇であおぐように言いました。ナーグがあおいでいると師は眠ってしまいました。
ナーグは長時間あおぎ続け、すっかり手が疲れてしまいましたが、師の許可なしに止めることはできないと考え、さらに風を送り続けました。手が非常に重くなり、もはや団扇を持ち続けることができなくなったそのとき、寝ていたと思ったラーマクリシュナがパッとナーグの手をつかみ、団扇を取りました。
この件について後にナーグはこう語っています。
「師の睡眠は普通の人々と違っていました。師は常に目覚めたままでいらっしゃることができました。神を除けば、いかなる求道者や成就者であっても、この状態に達することは不可能です」
ラーマクリシュナの睡眠に関する指導
ラーマクリシュナは在家の信者たちに、世俗の務めを果たしながら神への愛を実践することを勧めました。まだ世俗に汚されていない純粋な若い弟子たちには、特に『愛欲と金』を放棄して、ただ神への愛だけに生涯を捧げるように命じました。弟子たちもまた、師ラーマクリシュナを手本として、祈りや瞑想を通じて神を悟ることを目指しました。
インドでは、日の出前と日の入りの時間は昼と夜が交わる神聖な時間とされています。ある夕方、弟子のラトゥ(のちのアドブターナンダ)は神聖な時間にぐっすり眠り込んでいました。それを見つけたラーマクリシュナは、
「夕方に眠ったら、いつ瞑想するのだ? 気づかないうちに夜が過ぎるくらいに深く瞑想しなければならないのだ。神聖な時間なのにお前のまぶたは眠りでふさがりそうになっている。お前はここに寝に来たのか?」と厳しく諫めています。
また、ラーマクリシュナはサーラダー・デーヴィーの修行を注意深く見守り、彼女が規則正しく瞑想するよう導いていました。早朝の3時、ラーマクリシュナはナハヴァトの扉のところまで行き、姪のラクシュミーに言いました。
「起きるのだ。そして叔母さんを起こしておくれ。いつまで寝ているつもりだ。夜が明けるぞ。瞑想を始めなさい」
冬のある日、サーラダー・デーヴィーはラクシュミーをもう少し長く眠らせてやりたいと思いました。師が外にいることを知った彼女は、ラクシュミーの耳にささやきました。
「答えちゃ駄目よ。あの方は眠れないのよ。まだ起きる時間じゃないわ。カッコウやカラスでさえ、まだ寝ているわ。床から起き上がらないでね」
そこでラーマクリシュナは扉の下に水を注ぎ始めました。中の二人は寝床が濡れてしまわないように、急いで起き上がらなければなりませんでした。師の指導の結果、サーラダー・デーヴィーは人生を通して3時起床を貫きました。
ラーマクリシュナと共に過ごすことができた日々を、後に直弟子シヴァーナンダが次のように語っています。
「あの頃は皆、師の部屋の床で寝たものだった。寝る時間になると、師が私たちに、どのように横になるかを指示した。師は、私たちが背を床にまっすぐ着けて横になり、心に母なる神を思い描きながら眠りに落ちたら、神聖な夢を見るはずだ、とおっしゃった」
夜は修行に最も適していると見ていたラーマクリシュナは、弟子たちをほんの少し休ませると、彼らを眠りから起こし、庭のさまざまな場所に送り出して、何時間も瞑想させました。そして夜明け間近になると、弟子たちは少し休息を取るために庭から帰って来ました。
ブッダ(お釈迦様)の睡眠
ブッダは日の入りから日の出までの時間を三等分して、「初夜(しょや)」「中夜(ちゅうや)」「後夜(ごや)」に分けました。そして弟子には中夜に睡眠を取り、初夜と後夜は修行に励むように促しました。
すなわち夜の時間とは大まかに見ると、
春・秋分 | 18時半から朝6時半 | 12時間 |
夏至 | 19時半から朝5時半 | 10時間 |
冬至 | 17時45分から7時15分 | 13時間半 |
となります。これらを三等分にしてスケジュール化したのです。以下は春・秋分季を例に解説します。
初夜(しょや)
初夜は、日没18時半後から22時半ごろを指します。仏弟子たちは、この時間帯に瞑想や教学などの修行を行いました。
ブッダ自身は夕刻に在家の信者たちが帰った後、水浴びを済ませ、集まってきた弟子たちに教えを説き、質問に答えるなど指導にあたっていました。
中夜(ちゅうや)
中夜は、22時半から翌2時半ごろを指します。この時間帯は主に休息や睡眠のための時間とされています。中夜になると、仏弟子たちはブッダに礼拝したあと、それぞれの寝所に戻りました。
すると今度は周囲を光り輝かせながら天人や梵天などの神々が、ブッダの前に現れました。彼らはブッダに真理について質問しました。神々との対話を終えると、ブッダは身体の右側を下にして睡眠を取りました。南伝仏教では、ブッダの睡眠はわずか一時間ほどであったと伝えられています。
後夜(ごや)
後夜は、2時半から日の出6時半ごろを指します。ブッダや仏弟子たちはこの時間の多くを瞑想にあてました。また、歩く瞑想(経行)を実践しました。経行は瞑想でこわばった身体をほぐし、軽い運動にもなりました。
惰眠を貪るなかれ
このようにブッダは35歳で悟りを開いてから、80歳で亡くなるまで生きとし生けるものの福利のために、伝道布教を続けました。一日中、他者の利益となり役立つ活動に従事しました。
ブッダは弟子たちに惰眠を貪ることを厳しく戒めています。惰眠こそが時間の無駄であり修行の妨げとなります。眠りすぎることは怠惰につながり、心を鈍らせると考え、睡眠は必要最小限とし、残りの時間を無駄にすることなく瞑想や修行にあてるように指導しました。
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