ラーマクリシュナとの別離の日々
また別の折にも、ラトゥはドッキネッショルにやってきました。しかしすでにラーマクリシュナは故郷に旅立った後でした。師を渇望するラトゥの気持ちは収まらず、座って泣き始めました。
「ドッキネッショルのカーリー寺院を訪ねる者に、ラーマクリシュナは必ずお会いしてくださる」とラトゥは誰かから聞いていました。彼はその信念を持って、夕方までそこに座り続けました。
寺院の者が、ラトゥに何度も「師は故郷にお帰りになった」と声をかけましたが、彼は「いや、あなたはわかっていません。師は絶対にここにいらっしゃるのです」と繰り返すのでした。
その後もラーマクリシュナの不在が長く続きました。その頃をラトゥは次のように回想しています。
「ぼくがあの辛い日々をどう過ごしていたか、君たちにはわかるかい? ぼくは、悲しみにわれを忘れていた。あの別離による心の痛みは、耐えきれないほどだった。
ぼくはこっそりとドッキネッショルに行った。それでも、そこで喜びを見出すことはできなかった。全てが、虚しく、空虚で、死んでいるように見えた。
ぼくは、庭やその周辺をぶらついた。そしてガンガーの岸辺に座って、独りで泣いていた。ラームさんだけはぼくの心を少し理解できた。ぼくは彼から、聖ラーマクリシュナのお写真をもらったんだ」
ラーマクリシュナとの再会
ラーマクリシュナは、八か月後にドッキネッショルに戻り、その日のうちにラームの家を訪れました。ラームの家に喜びの声が響き渡りました。
そして、ラトゥの歓喜といったら! 彼に新たな活力が吹き込まれたようでした。ラームはラトゥに命じて、師の帰還をカルカッタ中の信者に知らせ、おもてなしの用意をし、キールタンの演奏家たちなどを招きました。
みんながラトゥの変貌ぶりに驚きました。彼が喜びに満ちた顔で大きな声で話し、機敏に動いていたからです。ラームは、ラトゥの助けだけで多くの仕事を片づけることができました。
1881年6月、ラームはラトゥを師のもとへと送り出しました。そして二日後、ドッキネッショルに来たラームに、ラーマクリシュナは言いました。
「この子がここにとどまるのを許してやっておくれ。彼はとても清らかな人間だ」。ラームチャンドラは喜んで了承しました。
酒の匂いと睡魔との戦い
こうしてラトゥはカーリー寺院に住み、師の身の回りの世話をすることになりました。ラーマクリシュナはラトゥの非凡な素質に気づいていました。
そこでラトゥに、修行をさせたのです。ラトゥは師ラーマクリシュナの言葉に愚直なまでに従いました。
あるときラトゥがコルカタにおつかいに行く道中に酒屋があり、酒の匂いをかいだ彼は落ち着かなくなりました。それを聞いたラーマクリシュナは「酒の匂いを避けなさい」と命じました。するとラトゥは酒屋の前を通らないために、通常6キロの道のりを13キロもかけて迂回して歩くようになりました。
師はラトゥに言いました。「わたしは酒の匂いをかぐなと言ったのだ。酒屋の前を通るのは構わない。わたしを思い出しなさい。そうすれば、酒がお前を惑わすことはない」
インドでは、日の出前と日の入りの時間は、昼と夜が交わる神聖な時間とされています。ある日の夕方にラトゥはぐっすり眠り込んでいました。ラーマクリシュナはラトゥを起こし、厳しく戒めました。
「夕方に眠ったらいつ瞑想するのだ? いつの間にか夜が過ぎるくらい深く瞑想すべきだ。なのにお前のまぶたは神聖な時間に眠りでふさがっている。お前はここに寝に来たのか?」
この言葉でラトゥの心に大変動が起こりました。彼自身が後に語っています。
「師のお言葉を聞いてわたしが陥った深い悲しみを、どう表わしたらよいだろうか? 『わたしはなんと哀れな人間だろう』と思った。『こんな神聖なお方のそばにいる祝福をいただきながら、時間を無駄にしている』
わたしは心を鞭打ち始めた。思い切って目に水を打ちかけ、ガンガーの河辺を足早に歩き出した。体が火照ってくると、戻って師のおそばに座った。またうとうとしたら、再び歩き出した。
こうしてわたしは一晩中戦ったのだ。戦いは次の晩も続いた。ひどい戦いだった。日中眠りがわたしの目を打ち負かしたが、わたしはあきらめなかった。戦いは昼も夜も続いた。そしてついに、夜の眠りを征服した。しかし昼の眠りはだめだった」
ラトゥの一日のルーティン
インドでは朝目覚めたときに一番初めに何を見るかで縁起を占う習慣があります。ラトゥは朝起きて一番最初にラーマクリシュナの顔を見ないうちは一日を始めようとしませんでした。
ある朝ラトゥが目覚めたとき、ラーマクリシュナがそばにいませんでした。ラトゥは「どこにいらっしゃるのですか?」と叫びました。
ラーマクリシュナは、「ちょっと待ちなさい。すぐ行くよ」と答えました。ラトゥは師が来るまで目にしっかりと両手を当てていました。そして手を離して挨拶をしたのでした。
またラトゥは、ラーマクリシュナの妻サーラダー・デーヴィー(ホーリーマザー)と交流のあった数少ない男性の弟子でした。
あるときラトゥが瞑想していると、ラーマクリシュナはそれを中断させて言いました。「お前はここに座っているが、ナハバト(師の部屋から20mほどにある音楽堂)にいる彼女には、チャパティ(インドの平たいパン)の生地をこねる者がいないのだ」
そう言うと、ラーマクリシュナは、ラトゥをサーラダーのところへ連れて行って、言いました。「この少年は非常に純真である。君が必要とすることは何なりと手伝ってくれるだろう」
サーラダー・デーヴィーは非常に慎み深く、極度にシャイな性格でした。それゆえ男性の弟子や信者たちと顔を合わせる機会はほとんどありませんでした。
しかしラトゥは無邪気で年少でもあったので、サーラダーは彼に打ち解けました。そして彼を自分の息子のように可愛がりました。ラトゥもサーラダーを、師に匹敵するくらいに尊敬していました。
この当時のラトゥの一日のルーティンは次のようでした。起床時にラーマクリシュナのお顔を見て礼拝し、洗面をしました。次にナハヴァトに住むホーリーマザーを礼拝しました。そしてガンガーの水汲みなどの仕事をこなしました。
早朝の仕事を終えると、最初のころのラトゥは、ジムでレスリングをしていました。しかし後に師の命によってレスリングをやめ、その時間をジャパ(神の御名を繰り返す修行法)に費やしました。また、どこかにお使いに出たときは、歩きながら神の御名を唱え、讃歌を歌いました。
次の仕事は、ガンガーの水をラーマクリシュナの浴槽に運び、師の身体にオイルを塗ることでした。師の沐浴が終わると、彼自身もガンガーに行って沐浴しました。
それから、彼は寺院の一つ一つに五体投地をしてまわました。そして11時過ぎまでジャパをしました。ラーマクリシュナの昼食が済むと、彼は師を扇であおぎ始め、師から許可が出るまでそれを止めませんでした。
ラーマクリシュナは、ラトゥに昼食の後はシヴァ聖堂かガンガー沿いの静かな場所へ行くよう指示していました。そこで時間を過ごしてから、午睡をとりました。夕暮れ前になると、ラトゥはホーリーマザーのところでさらなる仕事をしました。
その次は寺院で夕拝を見て、ヴィシュヌ聖堂でキールタンの歌唱に加わりました。夕食後は、師の御足をマッサージし、夏であればしばらくあおぎました。師が眠るか、師が許可すると部屋を離れました。
ラーマクリシュナはラトゥに夜の修行の場所を指示しており、ラトゥは一晩中そこで瞑想とジャパをしました。彼は日の出前に師の部屋に戻りました。
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