【天眼第一】アヌルッダの物語(下)

仏教

アヌルッダたちの調和の取れた共同生活

ブッダがゴーシタ園の近くに滞在していたとき、園内の比丘たちの間でいさかいが勃発しました。事の発端は、ある比丘が自分の托鉢椀を洗わなかったことで、他の比丘がこれを戒律違反だと指摘したことでした。

やがて、この軽い咎めが激しい口論に発展し、比丘たちは二派に分かれて互いに罵り合いました。ブッダはこの深刻な状況を受けて、和解を促すために教えを説きました。しかし比丘たちの誹謗中傷があまりにひどく、ブッダの調停も空しく終わりました。

そこでブッダは一人でゴーシタ園を離れ、遠くに行きました。それから東の竹林に向かいました。林の入り口で管理人に阻まれ「沙門よ、ここには既に三人の聖者が修行している」と言いました。ブッダは「彼らは私を喜んで迎え入れるだろう」と答えました。

そこにアヌルッダが現れ、ブッダを見ると喜び勇んで礼拝しました。彼は管理人に向かって、「ここにおられるのは私たちの尊敬する師ブッダです。中に通しなさい」と言いました。

アヌルッダは共に修行しているナンディヤとキンビラがいる場所へとブッダを案内しました。彼らは敬意を表してブッダの衣鉢を受けとり、快適な座を設け、清潔な手ぬぐいとたらいを用意しました。敬虔な三弟子の迎えを受けたブッダは手足を洗い、座に着くと、彼らの生活や修行の様子について尋ねました。

アヌルッダが答えました。「師よ、ここは静かで平和な場所です。十分な食べ物の施しを受けて、地元の人々と教えを分かち合っています。私たちは調和を保ちながら生活しています。ナンディヤとキンビラとの共同生活は私の大きな喜びです」

キンビラとナンディヤも、「私たちはすべてを共有し、互いに支え合っています」と付け加えました。ブッダは一ヶ月間その場で過ごし、三人がどのように協力し、支え合って生活しているかを観察しました。

托鉢から戻った最初の者は、他の二人のために座る場所を整え、水を汲み、手ぬぐいとたらいを準備しました。食べる前には、他の比丘が供養を受けられなかった場合に備えて、自分の食べ物の一部を空の椀に移しました。

食後は、周囲の生き物に配慮しながら、椀を丁寧に洗い、その後で静かに坐禅に入りました。誰かが坐禅から立ち上がると、次に皆のために水を汲みに行きました。一人でできない作業があれば、他の二人が協力しました。時には三人で一緒に坐禅を行い、互いの洞察や体験を共有することで、さらに深いつながりを築いていました。

この共同生活を目の当たりにしたブッダは、彼らを深く称賛しました。「そなたたちは真に調和をもって生活し、修行を進めている。争いがなく、心を一つにして師を尊重し、いたわり合うそなたたちの関係は、まるで蜜と乳が混ざり合うようである。それはこの上なく美しいことだ」。そして、ブッダはさらに彼らの精進を励ますため、自らの修行の道を詳しく説きました。

天眼を得る:アヌルッダの不眠不臥の誓い

祇園精舎の講堂にブッダの法を説く音声が穏やかに響いていました。しかし、多くの聴講者が集まる中、迂闊にもアヌルッダは居眠りしており、彼の姿はまるで船を漕いでいるかのようでした。他の在家信者たちは、彼の様子を目にしてひそひそと私語を交わし、顔を見合わせていました。

説教が終わった後、ブッダはアヌルッダを部屋に呼び諭しました。「アヌルッダよ、そなたは真理を求める心が強いからこそ、出家して私のもとに来たのではないか。しかし今日、多くの人々が見守る中での居眠りとは一体どういうわけだ?」

アヌルッダは慚愧ざんきの念を持って立ち上がり、胸に手を当てて深く頭を下げ、「師よ、申し訳ございません。本日からこのアヌルッダは決して眠ることはいたしません!」と誓いました。

彼のこの決意は固く、夜も明け方も横になることを止め、目を閉じることさえ避けて、睡魔と戦い続けました。しかし、この過酷な修行が原因で、彼は重い眼病に罹りました。

これを知ったブッダは、名医ジーヴァカにアヌルッダの治療を依頼しました。ジーヴァカは診察を終えて「あなたには休息が必要です。眠りは目にとっても癒しです」と助言しました。

ブッダも「アヌルッダよ、眠るがよい。すべての生き物は何かを摂取して生きており、目もまた眠りを必要とするのだ」と諭しました。

しかしアヌルッダは毅然と答えました。「師よ、私はあなたの前で立てた誓いを破ることは出来ません。たとえこの目が失われようとも、この身が朽ち果てようとも、命果てるまで決して眠りません」

彼は師への誓いを貫き通し、ついに両目から光が失われました。しかしその瞬間に心の眼が開いたのです。六神通の一つである天眼が清められました。このときからアヌルッダは『天眼第一』と称えられるようになったのです。

功徳を積むということ:ブッダの小さな行為


天眼通とは、心を通して様々なものを見通す能力ですが、肉眼の失明は日常生活でいろいろ困ることもありました。ある日、アヌルッダは自身の糞掃衣のほころびを縫い合わせたいのですが、盲目のために針に糸を通すことができませんでした。そこで「どなたか、功徳を積むためにこの針に糸を通してくれませんか?」と周囲に呼びかけました。


するとある者がアヌルッダのそばに近づき「私がそなたのために糸を通し、功徳を積ませてもらおう」と言いました。その声の主は、何とブッダ自身でした。驚いたアヌルッダは躊躇しながらも言葉を続けました。「尊いお方よ、私が求めたのは功徳を積みたい人であって、すでにあらゆる功徳を積んだ完成者である世尊にお願いしたのではございません」

ブッダは微笑みながら答えました。「アヌルッダよ、功徳を求める者は多いが、私以上に求める者はおるまい。私は布施や説法を通じて多くの功徳を積み、すべての点で不足するところはないが、それでもなお功徳を積みたいのだ。それは私自身のためではなく、すべての生きとし生ける者のためである

ブッダの偉大な心を知ったアヌルッダは深く心打たれ、彼は黙って、ブッダに糞掃衣のほころびを縫ってもらいました。その場にいた全ての人々がこの光景を見て、深い感動を受けました。

ブッダの最後の旅からアーナンダの最期まで

アーナンダはブッダの最後の旅にも同行し、ブッダの荘厳華麗なる般涅槃はつねはんをその天眼で見届けました。その時、まだ悟りに至っていない弟子たちは、深い悲しみの中で地面に転がり嘆き悲しんでいました。


アヌルッダは比丘たちに声をかけました。「兄弟たちよ、泣き叫ぶのはやめよ。全てのものは無常である。生があれば死がある。愛されるもの、楽しまれるものとの別れは必ず来る。とらわれてはいけない。私たちは生じるものと滅するものを越えなければいけない。そのように師ブッダは教えていたではないか」

比丘たちの慟哭どうこくは徐々におさまり、アヌルッダとアーナンダは交代で一晩中、ブッダの教えとその生涯を語り続けました。夜が明けると、アヌルッダはアーナンダに指示して、クシナガラのマッラ族に葬儀の準備をさせました。


一ヶ月後、ブッダの教えと戒律を正しくまとめるための集会『第一結集けつじゅう』が開催され、五百人の阿羅漢(解脱者)が集まりました。アヌルッダもマハーカッサパを補佐し、天眼通を使ってブッダの教えの正確性の確認のために大きな力を発揮しました。

アヌルッダの言葉が原始仏典『テーラーガーター』に残されています。

私が常坐不臥を始めてから五十五年が経過し、無気力な怠惰さを根絶してから二十五年が過ぎた(904)
私は師ブッダに仕え、ブッダの教えの実践を成し遂げた。重い荷をおろし、迷いの生存に導く煩悩を、根こそぎにした(918)


アヌルッダはヴァッジ国のヴェールヴァ村において、竹林の一本の竹の下で息を引き取りました。アーナンダはアヌルッダの最後の言葉を静かに耳にし、その深い悟りと師への忠誠を讃えました。

アヌルッダの生涯は師ブッダとその教えへの絶対的な信と、自己を超えるための不断の努力の物語でした。

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