ブッダ伝(2)沙門ゴータマの壮絶な苦行と悟りへの軌跡

仏教

マガダ国王ビンビサーラとの約束

ゴータマは29歳で出家しました。彼はこれまでにない解放感と安堵を味わい、大空を屋根として、木の根を枕とする新しい生活がスタートしました。

王子シッダールタが『四門出遊』にて北の門外で出会った出家者たちは、インド伝統のバラモン教に疑問を持ち集団を離れて修行する人々でした。ゴータマは彼らに倣い、髪や髭を剃り、粗末な衣をまとい、托鉢たくはつの椀を持って歩きました。初めての托鉢で得た食事は内臓がよじれそうなくらいまずくて、吐き気をもようしましたが、ゴータマはそれに耐え無理やり飲み込みました。

沙門しゃもん(出家修行者)ゴータマが最初に向かったのは、ガンジス河中流域、南岸のマガダ国首都ラージャガハ(王舎城おうしゃじょう)でした。ここは地力がきわめて豊かで、農業生産が高まり、それとともに物質の集散地としての都市が発達していました。

商工業はさかんであり、人々の物質生活は豊かでした。当時のマガダ国はインドの文明文化の最先端で、そこではバラモン教に対抗する新興の宗教家や思想家たちが活躍していました。

ゴータマはラージャガハの街を托鉢椀を片手に、ゆっくりと獅子のように威厳を持った足取りで歩いていました。澄み切った表情で歩く彼の姿に、都の人々は立ち止まり神々しさを感じました。彼の椀はたちまち供養の食物で埋まりました。

ちょうど高楼にいたマガダ国の若き王ビンビサーラは、ゴータマの威容に心惹かれ、彼の住まいを突き止めるように従者に命じました。

翌日、王は立派な車に乗って、ゴータマのいるパンダヴァ山に向かいました。山道を車で行き、行けるところまで行ってから車を降り、歩いて山窟に向かいました。王はゴータマと挨拶の言葉を交わし、次のように話しました。

「あなたはまだ充分に若く、美しい姿をされていて、人生に大いなる希望をお持ちでしょう。私のもとに来てください。あなたの徳と教えに触れたいのです。私はあなたに、象軍を中心とした最も強力な軍隊を差し上げましょう。あなたに限りない富を差し上げましょう」

しかしゴータマは答えました。「王よ、沙門の私には宮殿での生活はふさわしくありません。私には達成したい望みがあります。それは、すべての生きとし生ける者を苦しみから救い出す道を見つけることです

ビンビサーラ王は言いました。「あなたの決然とした覚悟を聞いて、私は心が洗われ、喜びでいっぱいになりました。敬愛すべき修行者よ、よろしければあなたの出身についてお話しください」

「王よ、私は太陽族の末裔まつえい、釈迦国の出身です。シュッドーダナ王が私の父、前王妃マーヤーが我が母です。一国の太子でありながら、道を求めて私はその家から出家したのです」とゴータマは答えました。

「あなたは王族の出身でしたか! 高貴なる修行者よ、あなたを引き寄せたいばかりに、地位や富をひけらかした私の非礼をお許しください。そして修行を成就した暁には、私を弟子として導くと約束してください」と王は懇願し、ゴータマは承諾しました。

アーラーラ仙人とウッダカ仙人の元での瞑想修行

沙門ゴータマは、当時瞑想の達人として有名であったアーラーラ・カーラーマ仙人を訪ねて、弟子入りしました。アーラーラは『無所有処むしょうしょ』という高い瞑想の境地に達していました。ゴータマはアーラーラの下で瞑想修行に励み、『空無辺処くうむへんしょ』『識無辺処しきむへんしょ』という境地を経て、やがて師と同じ無所有処に達しました。

しかし、それでも苦しみからの解放は得られませんでした。アーラーラはゴータマの才能に驚き、彼を賞賛し、共に弟子たちを教え導くように求めました。ゴータマは礼儀正しく辞退し、更なる探求のためアーラーラのもとを去りました。

次にゴータマはウッダカ・ラーマプッタ仙人のもとを訪れました。ウッダカは無所有処よりもさらに高い『非想非非想処ひそうひひそうしょ』の境地に達していました。ゴータマはウッダカの下で瞑想修行に励み、程なくして師と同じ非想非非想処の境地に達しました。

それでもなお『生老病死』の問題は解決されていませんでした。ウッダカはゴータマを高く評価し、自分の後継者として弟子たちを導くように求めました。しかし、ゴータマは感謝を示しつつも辞退し、ウッダカのもとを去りました。

6年間の壮絶な苦行の果に

二人の仙人のもとを去った後、沙門ゴータマはマガダ国を遊行し、ネーランジャー河畔の村ウルヴェーラー近くの苦行林(現在のブッダガヤ)に落ち着きました。

そこには、裸で行を行う者、長期間片足で立ち続けて眠ることをしない者、炎天下の中で周囲に炎を燃やし瞑想する者、茨の中で横たわる者、人からの施しを拒否し、野生の果物や草、根だけで生き延びる者など、苦行を行うことで解脱げだつや神通力を得ようとする者たちがいました。

ゴータマは「肉体的欲望を克服しなければ、心の解放を得ることはできない」と考え、極限の苦行に身を投じることにしました。

苦行者ゴータマは漆黒の夜に森林の奥深くに分け入り、身の毛もよだつような怖ろしいところで坐禅を組み、一晩中動じずにいました。恐怖や不安が迫ってきても、彼は坐り続けました。

ある時は墓地にて屍の骨を寝床として過ごしました。牛飼いの少年たちが来て、唾を吐き、小便をかけ、ゴミを身体にまき散らし、両耳に木片を突っ込みましたが、ゴータマは死人のように身動きせずに耐え続けました。

また別の時は河に入って息を止めました。そのとき身体には絶大な焼きつけるような熱が生じました。さらに斧で頭を真っ二つに割られるような痛みに襲われ、ゴータマは気絶しました。

さらに、長期間の断食を行いました。食の回数を減らしていき、半月に一食までに至りました。口にするのも、一粒の米やゴマだけであったり、干からびた牛糞しか口にしないときもありました。

ゴータマの体はやせ細り、皮膚は黒ずんで異臭を放ち、肋骨が浮き出て、毛は抜け落ち、眼窩は深くくぼみ、目だけが深い井戸の底の水のように光っていました。腹の皮に触れようとすると背骨をつかめるほどになりました。

悟りの前夜

このようにして、ゴータマは六年間、ありとあらゆる方法で肉体へ苦痛を与え続けましたが、それでも心に平安は訪れませんでした。

彼は考えました。「過去・現在・未来において、私以上に激しい苦行を行った修行者はいないだろう。それなのに、私はまだ悟りを得ていない」

ゴータマは肉体を快楽で甘やかすことが駄目なように、苦行によって自分の肉体を極限まで痛めつけることも、生死を超える道ではないことに気づきました。身体を虐待することは間違った修行法だったのです。

ゴータマは考えました。「悟りへの道は他にあるのではないか。私は九歳の時、農耕祭の日に涼しいフトモモの木陰に坐り、初禅に至り喜楽に満ちた瞑想に入ったことを覚えている。これこそが悟りに至る道なのではないだろうか」

そして彼はさらに「悟りを得るには、このように衰弱した身体では容易ではない。体力を回復させる必要がある」と考えました。

その時、セーナー村の美しい少女スジャータが、供物の乳粥を持って森にやってきました。彼女が霊樹に近づくと、骸骨のようにやせ細ったゴータマがそこに座っているのを見つけました。

スジャータは、彼を森の神さまと思い、乳粥をお供えしました。「わたしの願いごとが叶ったように、あなたさまの願いも成就しますように」。ゴータマは乳粥をゆっくりと口に含み、餓死寸前であった身体を回復させました。

その当時、すさまじい苦行を行っていたゴータマは、苦行者の王として仲間たちから尊敬されていました。その中で彼に仕えていたのがコンダンニャ、ヴァッパ、マハーナーマ、バッディヤ、アッサジという五人の苦行者たちでした。彼らは、ゴータマが乳粥の供養を受けているのを見て、

「苦行者ゴータマは、変わってしまった。求道心を捨てて贅沢に陥ってしまった」と考え、彼に対する信頼を失くし、彼らはゴータマのもとを去りました。

ゴータマはネーランジャラー河におもむいて沐浴し、身を清めました。草刈りからクシャ草の供養を受け、それをピッパラ(バンヤン)樹の根元に敷いて東向きに坐を定めました。

無上の正しい悟りを得るまでは、たとえこの身が滅びようとも、肉が腐り、骨が砕けようとも、この蓮華座を外すまい

このような勇猛な覚悟で、ゴータマは瞑想のための坐法をとりました。そこに悪魔たちがやってきました。

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