ブッダ伝(1)シッダールタ王子の悩みと旅立ち

仏教

ブッダの生誕とアシタ仙人の予言

遥か昔、インドは十六の大国による群雄割拠の時代でした。その中でも、ガンジス河中流域は特に繁栄を極め、強大なマガダ国とコーサラ国が台頭していました。

この豊かな土地の片隅、ヒマラヤ山脈の麓には、釈迦族の小さな国があり、稲作が盛んな豊かでした。彼らは隣接するコーサラ国に従属しており、この地でシュッドーダナ王とマーヤー王妃の間に、後のブッダとなる人物が誕生しました。

マーヤー妃は、出産のために実家に帰る途中、ルンビニーの花園で休息を取りました。花々が鮮やかに咲き乱れていました。マーヤー妃がアショーカ樹の花に見とれて近づいたとき、産気づきました。そして枝につかまったまま、輝かしい赤子を産み落としました。

マーヤー妃と赤子は都カピラヴァストゥに戻り、人々は喜びに包まれました。赤子はシッダールタと名付けられました。『目的を成就する者』という意味です。彼の姓がゴータマであることから、ブッダの本名はゴータマ・シッダールタといいます。

その時、アシタという偉大な仙人が山を降りてカピラヴァストゥを訪れました。宮廷に招かれたアシタ仙人は、王子の顔をじっと見つめ、笑顔を浮かべたかと思うと、今度は膝をついてハラハラと涙を流しました。

驚いたシュッドーダナ王が、「この子に何か障りでもあるのか?」と尋ねると、「いいえ、王よ。この御子は大変なお方です。もし王位を継承されれば、世界を治める優れた王、つまり転輪聖王てんりんじょうおうとなるでしょう。出家されれば、最高の悟りを開いて真理を解き明かされるブッダとなられます。

おそらく御子は出家してブッダとなられるように感じられます。ところが私は余命わずかな老人、この方の尊い教えを聞く前に死んでしまうでしょう。そのために、泣いているのです」と答えました。

シュッドーダナ王は安堵すると同時に、シッダールタ王子に王位を継いで、コーサラ国の属国である釈迦国に強さと繁栄をもたらしてほしいと強く願いました。


王子シッダールタ

マーヤー妃の死と少年時代

シッダールタ王子の母マーヤー妃は、出産の疲れからか七日後に亡くなり、国中が喪に服しました。シュッドーダナ王は妃の妹マハーパジャーパティーを後妻に迎えました。マハーパジャーパティーはシッダールタを我が子のように大切に育て、王子は愛情あふれる環境の中で成長していきました。

少年時代、シッダールタは特異な聡明さを示しました。学問や武芸百般を修め、音楽にも優れていました。また、宗教や哲学、バラモン聖典の教学にも熱心に取り組みました。彼は早くから瞑想を始め、世界と自己について深く考えるようになります。

農耕祭の日の瞑想

ある農耕祭の日、シュッドーダナ王と農夫たちが畑で作業をしていると、地中から掘り起こされたミミズがくわに切断されて、のたうち回る姿がシッダールタ王子に見えました。そのミミズは突然急降下してきた小鳥に食べられ、その小鳥はさらに大きな鳥に捕まえられていきました。

シッダールタは生と死の連鎖のダイナミックなドラマを目の当たりにして、強い衝撃を受けました。彼はフトモモの木の下に座り、目を閉じて、先ほどの光景を思い返し、深い瞑想に入りました。

父シュッドーダナ王は、王子の美しい坐法を見て、出家してブッダになるというアシタ仙人の予言が的中するのではないかと不安になりました。そこで王は、シッダールタに后をめとらせることで、出家の思いを消し去ろうと考えました。

ヤショーダラー姫との結婚と贅沢な暮らし

シッダールタは16歳の時、才色兼備のヤショーダラー姫と結婚しました。王は若い二人のために、何一つ不自由のない贅沢な生活環境を用意しました。ブッダはその頃のことを次のように回想しています。

「出家する前の私は、たいへん幸福な生活の中にあった。私の家には池があり、美しい蓮の花が浮かんでいた。部屋には白檀の香りが漂い、着るものはすべてカーシー産の最上の布であった。私は冬には冬の宮殿、夏には夏の宮殿、春には春の宮殿に住んでいた」

王は国中から最高の楽士や踊り子を宮殿に招き、日夜、若き王子と妃のために楽しい宴が催されました。

四門出遊

しかし、豪奢な暮らしにあっても、彼は常に人生の本質についての探求を続けていました。彼は、物質的な豊かさが本当の幸福ではないと感じていました。シッダールタ王子の出家の動機は『四門出遊しもんしゅつゆう』という物語によって語られています。

ある時、城壁の外の世界に興味を抱いたシッダールタは、家臣を連れて東の門から城外へ出かけました。そこで目にしたのは、歯が抜けて背中が曲がった老人の姿でした。

彼はその姿に愕然とし、「あれは何者だ?」と問いました。

「老人でございます」と家臣が答えました。

「私もあのようになるのか?」

「はい、人は誰しも年老いて衰えるものです」

これを聞いたシッダールタは深い憂鬱に陥り、城に戻りました。彼は人生のはかなさを痛感し、自身の無知を嘆きました。

わたしたち凡夫は、自分もまた老いる運命が確定しているのに、他者の老いたる姿を見ては嫌悪してしまう。なんという愚かなことだろう」とシッダールタは思索しました。この時、あらゆる青春の誇りは彼の心から消え失せてしまいました。

二日目には、シッダールタは南の門から城を出て、やせ衰えた病人の姿を目の当たりにしました。その光景に深い衝撃を受け、彼の心はさらに暗く沈みました。

三日目には、西の門から外に出た彼は、死人を運ぶ行列と出会いました。死の現実に直面した彼は、生命のはかなさと無常を実感しました。

そして四日目、北の門からの旅で、彼は出家して修行に励む沙門しゃもんの姿を目にしました。この沙門の清らかで穏やかな姿に深く感動し、シッダールタは出家を考えるようになりました。彼は、人生の根本苦「生老病死」を断ち切り、真理を求める道を歩むことを心に決めました。

シッダールタの出家

シッダールタは家族に出家の決意を伝えました。

「父王よ、私は今、恩愛の情を離れて『生老病死』を克服する道を求めて家を捨てます。マハーパジャーパティーよ、私は苦しみの根源を断とうと思います。我が妻ヤショーダラーよ、人の世には必ず別れの悲しみがあります」

しかし、シュッドーダナ王は強く反対し、王子を引き留めようと説得しました。父王は王子が勝手に城を出て行かないように、厳重に警備を固めました。

そんなある日、ヤショーダラー妃が、シッダールタ王子の子供を出産しました。この知らせを聞いたシッダールタは、「自分は全ての執着を捨てて出家しなければならないのに、さらに世俗的な束縛が強まってしまった」と悲嘆し、「障害(ラーフラ)だ!」と叫びました。

侍者はこれを聞き、シッダールタ王子が息子に命名したと勘違いし、そのことをヤショーダラー妃に伝えたために、この息子はラーフラと名付けられました。

宮殿では王子を楽しませようと、歌や踊りの宴が繰り広げられていました。夜が更け、シッダールタはひとり目覚めて周りを見ました。

踊り子たちはカーペットの上にだらしなく身を投げ出して眠っていました。髪を乱し、よだれを垂らした口は、死んだ魚のようにだらしなく開いていました。腕は木切れのように強ばり、脚は胴体に絡みつき、まるで墓場のように思われました。

ついにシッダールタ王子は、家を出ることを決心しました。出立の準備が整うと、シッダールタは寝室に向かいました。ヤショーダラーはラーフラを傍らに横になっていました。

シッダールタは二人の顔をじっと見つめた後、部屋を静かに出ました。彼は馬丁のチャンナと愛馬カンタカを伴い、こっそりと城を抜け出しました。不思議なことに、警備の者たちは皆眠り込んでおり、重い城門も簡単に開きました。

城から離れたシッダールタは、自身の長い髪を切り、王子としての装身具を全て脱ぎ捨て、チャンナに託しました。チャンナはカンタカと共に涙を流しながら城に戻り、事の一部始終をシュッドーダナ王と親族達に伝えました。彼らは大きな悲しみに包まれました。

こうして、シッダールタは一人の若き王子から、深い人間的苦悩と向き合い、究極の真理を求める旅に出た沙門ゴータマへと変貌を遂げるのです。

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