【頭陀第一】マハーカッサパの物語(下)

仏教

ブッダがマハーカッサパをいたわる

老齢になっても厳しい頭陀行を続けるマハーカッサパに、ブッダは次のように提案しました。「カッサパよ、そなたも年をとった。身につけている糞掃衣は重く、動作に不便を感じるだろう。これから先は、頭陀行をやめ、富豪が布施した軽やかな衣を着なさい。身を休め、疲れを癒やして、静かに老いた身体を養うがよい」

ブッダがこのような言葉を口にするのは極めて異例なことでしたが、マハーカッサパはこの提案を固辞しました。

師よ、頭陀行を修行することが私は好きなのです。この重い衣を身に着け、一日一食で、空き地や墓場での静寂を楽しむことが、私の願いです。私が年老いても頭陀行を続ける理由は、一つは私の喜びのためであり、もう一つは後世の人々に道を示したいからです

ブッダは喜んで言いました。「カッサパよ、そなたは後の世の人々の燈火となるだろう。多くの人々が幸せになるだろう。それならばそなたの願いのままに、修行を続けよ」

火がつかない:マハーカッサパの到着とブッダの荼毘

ブッダがクシナガラの沙羅双樹の下で般涅槃に達したとき、二大弟子のサーリプッタとモッガラーナはすでに亡くなっていました。ブッダの葬儀は『天眼第一』のアヌルッダと、長年ブッダの侍者を務めたアーナンダが中心となって心を尽くして営まれました。

そして、七日間の供養を終えた後、うず高く香木を積んだ上にブッダの金棺を安置し、いよいよ荼毘だびに付される時が来ました。ところが、何度点火しても火は香木に燃え移りませんでした。

アヌルッダが天眼を使ってその理由を探ってみると、「程なくマハーカッサパが到着する。それまではいかに油を注ごうとも、火は燃えつかないだろう」と説明しました。

そのマハーカッサパは500人の比丘と共に、ブッダの後を追ってクシナガラに向かっていました。道中、一人の出家者と出会い、彼に尋ねました。

「私たちの師、ゴータマ・ブッダを見かけていないか?」

「おお、かの偉大なる師なら、お亡くなりになりましたぞ。私もいま、その遺体を拝んできたところです。これがそのときの花です」と、手に持っていた花を見せたのです。マハーカッサパは卒倒しましたが、起き上がるとクシナーガルに急ぎました。

マハーカッサパ一行が到着すると、改めて荼毘に付す儀式が行われました。彼がブッダの金棺に向かって、三拝し合掌した後に、松明を香木に近づけると、たちまち火は燃え移り、香木の香りがあたりに立ちこめました。

マハーカッサパと五百阿羅漢の第一結集

ブッダが亡くなられた後、すでに悟りを得ていた高弟たちは、念正智をもってその悲しみを乗り越えましたが、まだ悟りに至っていない弟子たちは、深い悲しみの中で嘆き悲しんでいました。

その時、スバッダという比丘がこう述べました。
「友たちよ、悲しむことはない。我々は師ブッダによって、『こんなことをしてはならない。あんなことをしてはならない』と束縛されてきたが、もう我々は自由である。これからは好きなように生きようではないか」

この言葉を聞いたマハーカッサパは、大変な危機感を覚えました。これを重く見た彼は、即座に具体的な措置を講じることにしました。

一ヶ月後、マハーカッサパは五百人の阿羅漢あらはん(解脱した聖者)で仏教の教えを編纂するための会議、第一結集を召集しました。この歴史的な会議は、マガダ国王アジャータサットゥの支援を得て、首都ラージャガハ近くの七葉窟しちようくつで開催されました。

マハーカッサパは上座に坐り、その左には天眼第一のアヌルッダが、右にはウパーリとアーナンダが座を占めていました。マハーカッサパは厳粛な面持ちで集まった長老たちを見渡しました。

「世尊ゴータマ・ブッダは亡くなられた。私たちには、師の教えを正しく保持し、後世に伝える責任がある。誤った教えが広がれば、ブッダの教えは早くも滅びてしまう。我々は仏法を確立させ、教団の規律を徹底させなければならない」と重厚な口調で述べました。

長老たちの賛同を得たマハーカッサパは、ウパーリの方を向くと言いました。「いざ、ウパーリよ、そなたが聞き学び、そして知る限りの世尊が定めた戒律を申し述べよ」

『持律第一』として知られるウパーリは、居住まいを正すと戒律を一つずつ朗唱しました。そして彼は各戒律の成立背景を詳細に説明しました。五百人の長老たちはそれらを一つずつ確認し、承認していきました。

ウパーリの発言が全て終ると、マハーカッサパは「比丘たちよ、今までウパーリが述べ、そなたたちが認めた戒と律は世尊の定められたことである。異論のある者はいないか!?」と洞窟が揺るがんばかりに声を張り上げました。長老たちも声をあわせて「異論なし!」と答えました。

マハーカッサパは、左にいるアヌルッダに向かい「アヌルッダ尊者よ、戒律はこのように定まったが、いかがであるか?」と尋ねました。

アヌルッダは天眼通をもって世尊の御心を探ってから「正しい決定です。世尊の御心と一つとして違っていません!」と答えました。

次に、『多聞第一』のアーナンダが仏法(ブッダの教え)を担当しました。「如是我聞にょぜがもん(このように私は聞いた)」から始まる彼の言葉は、ブッダが直接説いた教えを忠実に再現するものでした。アーナンダは、ブッダが生前に語った多くの重要な教えを、具体的な場面とともに詳細に説明し、その教えが各場面でどのように説かれたかを述べました。

結集は数週間にわたって続き、アーナンダがブッダの最後の教えを述べると、マハーカッサパがすっくと立って、「異論のある者はいないか?」と大音声で尋ねました。「異論なし!」と五百人の声が洞窟内にこだましました。

マハーカッサパの最期

こうしてマハーカッサパの指導により、ブッダの教えと戒律は初めて体系的に編纂され、後世に伝えられることになりました。この歴史的な瞬間は、仏教の長い伝統の始まりを告げるものとなったのです。

ブッダ在世のときは、頭陀行に精進し続け、ブッダやサーリプッタ、モッガラーナ亡き後の教団をまとめあげた功績は並々ならぬものでした。その力は頭陀によって培われており、結集のときにいかんなく本領を発揮したのです。

第一結集を終えた後、マハーカッサパは教団の統率に尽力しながら、以前と変わらず頭陀行に励み続けました。ブッダが涅槃に入ってから20年が経過した頃、高齢の極みに達していたマハーカッサパはアーナンダを法の後継者に指名し、自らはマガダ国の鶏足山へ歩みました。彼はここで最後の瞑想を行い、完全な解脱、すなわちパリニルヴァーナ(般涅槃)を迎えました。

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