【ホーリーマザー】サーラダー・デーヴィーの生涯(2)秘密の儀式とサーラダーの成長

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秘密の儀式

1872年6月5日、カーリー寺院ではショーダシー女神の祭典が行なわれていました。その日、ラーマクリシュナは、秘密の儀式の準備をしていました。

新月の夜の闇があたりを包む頃、彼はサーラダーを女神の座に座らせました。サーラダーはすでに神聖な半意識状態に入っていました。そのため、自分が為しつつあることをハッキリと意識していませんでした。

ラーマクリシュナは祈りを唱えて女神を召喚しました。

「おお、聖なる母よ。おお、永遠の乙女、あらゆる力をつかさどられるお方! 完成に至る扉を開きたまえ。この乙女の心身を清め、衆生の救済のために彼女自身のうちにご自身を現したまえ」

花々を供え、お香をたいて礼拝しました。サーラダーはサマーディに入りました。ラーマクリシュナもまたマントラを唱えながらサマーディに入りました。礼拝する者と礼拝される者が、超越的な次元で完全に一体となったのです。

数時間が経過しました。ラーマクリシュナはわずかに通常意識を取り戻し、彼の過去と現在すべての修行の果実、そして彼自身そのものを母なる神に捧げました。

ラーマクリシュナの修行は最高潮に達しました。こうして彼の12年間におよんだ類まれな修行期間は終わりを告げたのです。ラーマクリシュナはすべてにおいて完成に達したのでした。

ラーマクリシュナのサマーディー

この特別な儀式の後、サーラダーはこれまでのようにラーマクリシュナの部屋で夜を過ごしました。しかしたびたびサマーディに入り続けるラーマクリシュナに、サーラダーは困り果ててしまいました。彼は神に酔い、意味不明の言葉を話し、泣き、笑い、不動になったりしたのです。

あるときのサマーディは実に深く、ラーマクリシュナは死んでしまったのではないかと思われました。サーラダーは恐怖して人を呼び助けを求めました。神の御名を彼の耳元で繰り返すことによって意識がこの世に戻ってくるまで、長い時間がかかりました。

心配で眠れぬ夜を過ごすサーラダーの苦労を知ったラーマクリシュナは、これからはナハヴァトで休むように言いました。

ナハヴァト

病からの回復

ナハヴァトの住まいには湿気が多く、サーラダーは赤痢に冒されてしまいました。1875年、小康状態にあったサーラダーは、故郷のジャイラムバティに帰りました。しかしまもなく病はぶり返し、生命が危ぶまれました。

サーラダーの危篤を耳にしたラーマクリシュナは、非常に悲しんでこう言いました。「どうなってしまうのだろうか。この世にやってきて去るだけなら、肉体の形をとったことの目的をいつ果たせようか」

サーラダーは骨と皮にやせ衰えてしまった自分の体を見てこう言いました。「全くうんざりだわ、肉体などというものは! 今ここで脱ぎ捨てさせてください。どうしてこれ以上生かしておくことなどありましょうか」

そののち彼女の体中がむくみ、体中の穴から体液が流れ、目もほとんど見えなくなってしまいました。

サーラダーの弟は「シンハ・ヴァービニー女神の前に横たわり、女神が妙薬を与えてくれるまで断食すべきだ」と彼女に意見しました。

サーラダーも同意し、飲食を断って寺院の女神像の前に横たわりました。しばらくするとサーラダーのヴィジョンに女神が現われ、ひょうたんの花の絞り汁に塩を混ぜたものを点眼するように指示されました。サーラダーが言われたとおりにすると、目が見えるようになり、体も回復に向かいました。

ドッキネッショルでの暮らしと修行

サーラダーはドッキネッショルで過ごした10年間のほとんどを、ナハヴァトで過ごしました。ナハヴァトとはラーマクリシュナの部屋から北に20メートルのところにあり、2階建てのブロック造りで、もともとは神へ音楽の演奏を捧げるための建物でした。

サーラダーの部屋は5平方メートル弱の小ささで、二つの換気口はありましたが、窓がないため日差しは入りませんでした。高さ120センチの入り口は低すぎたので、彼女は頭を何度もぶつけました。

上階にはラーマクリシュナの母親が亡くなるまで住んでいました。景観は素晴らしくガンジス河や寺院の美しい庭園を眺めることができました。

インドの社会では、人妻は他の男性の目にあまり触れられないように生活するものでした。サーラダーは生まれつき控えめな性格でもあり、ほとんどだれも彼女を見ることはできませんでした。寺院の職員も「あそこに住んでおいでだと聞いていますが、一度もお会いしたことがありません」と言っていました。

サーラダーの一日は3時に、まだ人々が目覚める前から始まりました。まずガンガーに沐浴に行きました。ある朝、暗がりの中を水に入ろうとしていた彼女は、寝そべっていたワニにつまずきそうになりました。それからは必ずランタンを持つようにしました。

そして彼女はナハヴァトで約1時間半の祈りと瞑想をしました。ラーマクリシュナの指示で夕方にも祭壇にお香を焚いて瞑想しました。月夜には月を眺めながら祈りました。「わたしの心があの月のように純粋でありますように

その他の時間は師への奉仕や家事に費やし、23時に就寝しました。

最も大変だったのは調理で、ラーマクリシュナは胃腸が弱く特別な料理が必要でした。彼の弟子の数が増えるにしたがって、その人数分の、しかも好みに合わせた食事も調理することになりました。

ナレンドラ(のちのヴィヴェーカーナンダ)は濃い豆のスープが好きで、ラカール(のちのブラフマーナンダ)はキチュリが好きでした。ベジタリアンの弟子もいました。彼の誕生日にはそれが50人から60人分にも及びました。

当時のラーマクリシュナのことを、サーラダーはこう回想しています。「なんてユニークなお方だったでしょう! どれほど多くの人々の心を啓発されたことでしょう! いかに絶えざる至福を放っておられたことか! 師のお部屋には笑い声、物語、そしておしゃべりや音楽が昼も夜も響き渡っていました」

「師が歌われると、わたしはナハヴァトのすだれの陰にたたずんで、そのお声を何時間でも聞き続けたものでした。歌が終わると、合掌して師にお辞儀をしました。なんと喜びに満ちた日々を過ごしたものでしょう! 昼も夜も引きも切らず人々が押し寄せ、霊的なお話は終わることがありませんでした」

「あの方が悲しそうにしてらしたのを見たことはありません。5歳の少年とでも老人とでも、誰とでも陽気に楽しんでいらっしゃいました。」

ラクシュミー・デーヴィー

ラーマクリシュナのめいで当時14歳だったラクシュミー・デーヴィーが、ドッキネッショルにやってきました。そして、サーラダーの小さな部屋で一緒に暮らすようになりました。彼女は12歳で結婚しましたが、若くして未亡人になりました。結婚後間もないある日、仕事を探しに家を出た夫は、その後二度と姿を現わさなかったのです。

ラクシュミーは男性的な性質を持ち合わせていましたが、それに対してラーマクリシュナは干渉しませんでした。しかしサーラダーにはこう言いました。「あれが彼女の性質なのだ。でもお前が彼女の真似をしてはならないのだよ。お前は女性らしい慎みをなくしてはいけない」

朝3時、ラーマクリシュナはナハヴァトの入り口まで行き、ラクシュミーに言いました。「起きるのだ。そして叔母さんを起こしておくれ。いつまで寝ているつもりだ。瞑想を始めなさい」

冬の間くらいはラクシュミーをゆっくり眠らせてあげたいと、サーラダーは思いました。彼女はラクシュミーの耳元でささやきました。「答えちゃダメよ。あの方は眠れないのよ。まだ起きる時間じゃないわ。カラスやカッコウでさえまだ寝ているわ」

師は入り口の下に水を注いでからかわれました。中の二人は寝床が濡れないように急いで起き上がらなければなりませんでした。

ある日、具合の悪かったサーラダーは3時に起きませんでした。こうしたことが数日間続きました。彼女は自分が知らぬ間に怠け者になっていることに気づきました。これが心のトリックであることを理解した彼女は、その後いかなる状態であっても、3時に起床し、それを生涯守り続けたのです。

ある日のこと、半円のベランダにたたずんでいたラーマクリシュナは、サーラダーとラクシュミーにこう言いました。「百年後、わたしはまた生まれてくるだろう」

しかしサーラダーは「この世に生まれるのはもう嫌です」と言いました。

ラクシュミーも「たとえタバコの葉のようにズタズタに切り刻まれようとも、もう二度とこんな世界に生まれてきたくありません!」と言いました。

師は笑って言いました。「わたしがここに来るとしたら、お前たちはどこに行くつもりかね? どこにいても、お前たちのハートはわたしに恋焦がれるだろう。わたしたちはカルミ草(池に生えるつる科の植物)のように絡み合っているのだ。一つの茎を引っ張れば、茂み全体が一緒についてくる

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