拝火教徒へのサーリプッタの教え
サーリプッタは仏教教団の内外でその才能をいかんなく発揮し、活躍を続けていました。
ある日、彼は祇園精舎でブッダの教えに耳を傾け、歓喜にひたりながら帰途についていました。そのとき、かつての知り合いの拝火教徒に遭遇しました。
「サーリプッタ、どこへ行って来たのだ?」と彼が尋ねました。
「私は師ブッダの教えを聴いて帰るところだ」
拝火教徒は皮肉な笑みを浮かべて言いました。「お前はまだ師匠から乳ばなれできないのか。私はとっくに師を捨て、一人で道を修めているぞ」
サーリプッタは堂々とこれに反論しました。「そなたが信じる教えは邪なものであり、真理の法ではない。それゆえそなたはすぐに師を捨てたのだ。
そなたの師も正しい悟りを得た者ではない。それゆえ狂った母牛の乳を少し飲んだ子牛がそのまま母牛を捨て去るように、そなたはすぐに師を捨てたのだ。
しかし、私が信じる教えは真理の法である。私の師ブッダは正しい悟りを得ている。それゆえ、良き牛の乳をたくさん飲んでも長く飽きないように、その教えはどれだけ味わっても飽きることがない」
拝火教徒はサーリプッタの言葉を聞いて、感嘆の声を上げました。さらにサーリプッタが説く教えを聴いて喜びました。彼の心は、真の道を楽しむサーリプッタに心打たれたのでした。
ブッダがサーリプッタを称賛する
ブッダはサーリプッタについてこう述べています。「私が回した無上の真理の法輪を、サーリプッタが回す。彼は完全なる人(如来)に続いて出現した人である」。また次のようにも。「実にサーリプッタは智慧と戒律と安らぎによって究極に達した修行者であり、彼こそ最上の人であろう」
詩才に優れた仏弟子ヴァンギーサは、サーリプッタをこのように称賛しています。
「深い智慧と明敏な叡智を持ち、多様な道に達した、
偉大なる智慧を備えたサーリプッタは、修行僧たちに真理を説く。
彼は簡潔にも、詳細にも説くことができ、
九官鳥のように鮮やかな弁舌を駆使する。
彼が魅力的で心地よく、甘美な声で教えを説くとき、
その声に耳を傾けた修行者たちは、心から喜び、安らぎを感じる」
あるとき、ブッダは従者のアーナンダに尋ねました。
「アーナンダよ、そなたはサーリプッタの説法を聞くのを好むか?」
「尊敬する師よ、知恵ある者なら誰でも、サーリプッタ尊者の説法を喜びます。
サーリプッタ尊者は少欲知足で高い徳を備え、あらゆる智慧を成就しています。
彼は常に仏法を称賛し、多くの人を導き、決して休むことがありません」
ブッダは言いました。「アーナンダよ、その通りだ」
それから、ブッダとアーナンダは夜が更けるまで、サーリプッタの徳を称え合ったのでした。
サーリプッタの獅子吼
しかし、サーリプッタを称賛するブッダの言葉を聞いた弟子の中には、嫉妬心から彼を誹謗し、中傷する者たちもいました。
雨安居が終わった日、サーリプッタはブッダの許可を得て、布教の旅に出発しました。するとまもなく、一人の比丘がブッダのもとに来て訴えました。
「サーリプッタ尊者が私を突き飛ばし、謝罪もなく去っていきました」
ブッダはただちに使いを出してサーリプッタを呼び戻し、アーナンダに「今夜サーリプッタ尊者が、獅子吼(ライオンの雄叫び)を上げる。皆、講堂に集まるように」と告知させました。
講堂には多くの人々が集まりました。
ブッダが入場し座すると、サーリプッタに尋ねました。「サーリプッタよ、今日そなたに突き飛ばされ、詫びもなく立ち去られた、と訴える比丘がいる。それは事実か?」
サーリプッタは立ち上がって合掌し、ブッダと比丘たちに礼をしました。
「師よ、私は母胎を出てから今まで、暴力をふるったことも、嘘をついたこともありません。私の心は修行により澄み渡っています。どうして他者を軽蔑することがあるでしょうか。
師よ、大地はよく忍んでいかなる不浄なものも受け入れます。香水をかけられようが、糞尿、膿や血、唾をかけられようが、すべてを平等に受け入れます。私の心もこの大地のように忍耐強く、何にも動じません。
師よ、水は清らかなものも汚れたものも等しく受け入れます。水はすべてを洗い清めます。私の心も水のように、憎しみや愛着を持たずにすべてを受け入れます。
師よ、火は良いものも悪いものも区別なく焼き尽くします。風は良い香りも悪臭も同じように運びます。私の心も火や風と同じように、偏りなくすべてを受け入れます。
師よ、箒が美醜を問わずに塵を払い、角を切り取られた牛はどこに行っても温和です。私の心も箒や牛のように、平等にすべてを受け入れます。
かように正しい心を保っている私が、どうして他の比丘を軽蔑することがあるのでしょうか。それは私の道ではありません。
もし、私の言葉に誤りがあれば、偉大な師であるブッダ自身でそれをお見通しになるでしょう。その比丘も事実を知ることになるでしょう」
真実ほとばしるサーリプッタの言葉は、聴衆の心を打ちました。その比丘は耐え切れなくなって立ち上がり、ブッダの御足に礼拝し、告白しました。
「師よ、私は戒律を破りました。私は偽りの告発をしたのです。どうか私の懺悔を受け入れたまえ」
ブッダはうなずき、「そなたはサーリプッタに懺悔せねばならない」と言いました。その比丘はサーリプッタにも懺悔しました。サーリプッタは優しく彼の手を取り、
「過ちを懺悔することは大いなる善行である。私は心からそなたの懺悔を受け入れる。もう二度と同じ過ちを犯してはならぬぞ」と慈悲深く語り、さらに彼のために法を説きました。
講堂は歓びに包まれました。
『お盆』の起源となるモッガラーナの物語
ブッダはモッガラーナを『神通第一』と称賛しました。彼はサーリプッタとともに仏教教団の双璧として活躍しました。サーリプッタが明晰な智慧で教団に求心力をもたらした一方で、モッガッラーナは、神通力を用いて外敵から教団を守護する重要な役割を担っていました。
神通力とは、特に仏教においては『六神通』といって次の6つの超能力を指します。
①神足(じんそく)通
飛行や水面歩行、すり抜け、テレポーテーション等、自由自在に移動できる。変身や隠身、思う通りに外界の物質を変えるなどの力。
②天耳(てんに)通
遠近にかかわらず他者の声を聞き分ける力。特に天界の神と話ができる力。
③他心(たしん)通
他人の心の中を読み取る力。
④宿命(しゅくみょう)通
自分の無数の過去世を知る力。
⑤天眼(てんげん)通
衆生の生死のサイクル(輪廻転生)を見通す力。
⑥漏尽(ろじん)通
煩悩の漏れが尽きて、二度と輪廻に生まれない力。
①から③までは念力集中の仙人や低級霊、魔界の住人、諸天鬼神にも使えますが、④から⑥までは正しい修行をした聖者だけが獲得できる『三明』と呼ばれる能力です。
モッガラーナが神通自在の境地に達したとき、まず彼の心に浮かんだのは、両親への恩返しでした。天眼通を使って亡き両親を探したところ、彼の母がなんと天界ではなく餓鬼界に堕ちていることがわかりました。母は骨と皮ばかりに痩せ細り、逆さ吊りの責め苦に遭っていたのです。
モッガラーナは食べ物を鉢に盛り、神足通でただちに餓鬼界へ馳せて母に差し出しましたが、母が口に入れようとすると、その食べ物はたちまち炎となってしまいます。
悲嘆に暮れたモッガラーナは号泣しながらブッダのところに戻り、母の救済を求めました。ブッダは言いました。
「モッガラーナよ、そなたの母親の罪はあまりに深いので、そなた一人の力では救うことはできない。雨安居が明ける7月15日に、修行を終えたすべての比丘たちに食事の供養を行いなさい。
比丘たちはみな徳高き者たちであるから、彼らへの供養から得られた膨大な功徳を、そなたの母に回向しなさい」
インドの修行者は雨季の間だけは行脚托鉢を行わず、屋内に籠もって修行するのが習わしでした。これを『雨安居』と言います。その雨安居が明けた日にモッガラーナは盛大な供養を行い、回向の祈りを捧げました。その結果、彼の母は餓鬼界の苦しみから解放され、天界へと昇天しました。
この出来事が日本の風習である『お盆(ウランバーナー・盂蘭盆会)』の起源であると言われています。
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