【インドの英雄】ヴィヴェーカーナンダの生涯(1)ラーマクリシュナとの運命的出会い

Ramakrishna world

ラーマクリシュナは、インドの信仰の精髄を体現した不世出の聖者です。彼は、ブッダ、シャンカラと並び称され、その生涯は壮絶な修行と深い悟りに捧げられました。彼はヒンドゥ教のみならずイスラム教、キリスト教の悟りの頂点を極め、それら全てが究極的には同一の真理を指し示しているという確信に至りました。

それ以来ラーマクリシュナは、悟りの果実を分かち合うことを心から願い、約束された弟子たちがやってくるのを待ち焦がれました。1881年にある青年に出会ったとき、ラーマクリシュナは後継者とすべき最も価値のある弟子を見出したのです。この青年こそがのちのヴィヴェーカーナンダです。  

ヴィヴェーカーナンダはそのたぐいまれな弁論と感化力で、西洋にヒンドゥー哲学とヨーガ、そしてラーマクリシュナの教えを広めました。インド国内においては民族的な自覚を呼び覚まし、国民的英雄として尊敬されています。

恵まれた幼少時代

ヴィヴェーカーナンダ、名門ダッタ家の長男として、1863年の冬の日に、カルカッタの裕福な家庭に誕生しました。本名はナレンドラナート・ダッタといい、略してナレンドラまたはナレンと呼ばれていました。

エネルギーに満ち溢れ、やんちゃな彼は、親さえ手を焼くほどの活発さを示しながらも、家の門を叩く乞食に対しては、家にある物を惜しみなく与えるなど、非常に慈悲深い心を持っていました。その慈善の行動は、しばしば母を困惑させ、彼を部屋に閉じ込めてしまうこともありましたが、その心は変わらず、窓から通り過ぎる乞食に母のサリーを投げ与えるほどでした。

学校では、いたずら好きで、友人たちの間でリーダーとして君臨し、彼の創造性とエネルギーは、新しいゲームの発案や冒険的な遊びへと彼らを導きました。

ナレンドラは友人たちと、隣家の大きなチャンパカの木で夢中で枝をゆすったり、宙返りをしたり、大きな声で叫びあったりしました。しかしその家の老人にはうるさくてたまりません。ある日、老人は庭に飛び出し、大きな声で怒鳴りました。

「その木にはオバケが出るんじゃ!オバケがお前たちの首をへし折ってしまうぞ!」それを聞いた子どもたちは怖がってやめようとしましたが、

ナレンドラは笑って「ぼくはこの木にはいつものぼっている。そのおじいさんの言葉が正しければ、とっくの昔にへし折られているはずさ」と言い、その木にのぼって遊び続けました。

少年時代から抜群の学力を誇り、超人的な記憶力を持つナレンドラは、美しい容貌とたくましい肉体を持つ青年へと成長しました。彼の興味は多岐にわたり、フェンシングからレスリング、ボートレース、乗馬、体操、料理、演劇、楽器の演奏、声楽まで、幅広い才能に恵まれていました。

大学では、西洋の著名な哲学者たちの思想に深く没入し、ワーズワースの詩に情熱を注ぎながら、倫理学や宗教学、西洋史や生理学、心理学などの幅広い分野で知識を深め、近代合理的思考を身につけていきました。歌においても、そのバリトンの美声は多くの人を魅了しました。

その一方でナレンドラは、莫大な財産を捨てて出家した祖父のことを尊敬しあこがれていました。母の膝の上で聴いた『ラーマーヤナ』や『マハーバーラタ』の物語を記憶し、少年時代から瞑想に親しみ、ときには瞑想に没入し外界を忘れてしまうこともあったのです。

「あなたは神をご覧になったことがありますか?」

やがてナレンドラは「西洋の科学や哲学では神を悟り真理に至ることができない」と強く感じるようになります。深い宗教的な衝動に駆られて彼は、ヒンドゥの規則に従って厳格な菜食を実行し、地面の上に寝て、禁欲的な修行をするようになりました。ナレンドラは心の渇きを感じました。

「もし、神が本当に存在するなら、人は神を見ることができるはずだ」と。神を見たいという思いはどんどん強くなり「この世に本当に神を見た人はいるのだろうか」と思うようになりました。

神へと導いてくれる師を探し求め、ある有名な宗教家のところへ行ってナレンドラはたずねました。「あなたは神をご覧になったことがありますか?」その宗教家はぶしつけな質問に動揺しました。「青年よ、おまえはヨーギーの目をしている。おまえは瞑想すべきだ」。ナレンドラは失望しました。その後も他のさまざまな宗教指導者のところにも行きましたが、誰ひとり神を見たという人はいませんでした。

そのころナレンドラはある聖者のことを耳にするようになりました。

まず学長のハスティが、講義の中で宗教的恍惚について語った時のことでした。「宗教的エクスタシーとは、清浄さと精神統一の結果である。この種の恍惚体験は、特に現代においてはまれな現象である。私はその祝福された状態を体得している唯一の人を知っている。それはドッキネッショルにいるラーマクリシュナという方だ

また、ナレンドラの親戚であり、ラーマクリシュナの信者であったラーマチャンドラも「君が本当に精神的なものを深めたいなら、ラーマクリシュナを訪ねなさい」と言いました。

ナレンドラ自身も一度、隣人の家に招かれていたラーマクリシュナに会ったことがありました。

ラーマクリシュナとの驚嘆すべき出会い

ナレンドラは友人たちとともに、ドッキネッショルのカーリー寺院にいるラーマクリシュナを訪ねました。「何か一つ、歌をきかせておくれ」とのラーマクリシュナの求めに彼は素直に応じ、一流の声楽家にも劣らぬ素晴らしいバリトンで歌いました。

歌い終わるとラーマクリシュナは突然立ち上がり、ナレンドラの手を握って部屋の北側にあるベランダに連れ出しました。ラーマクリシュナは涙を流しながらこう言いました。

「ずいぶん遅かったじゃないか。いったい今まで何をしていたんだい。わたしが長年かかって得たものをちゃんと受け取ってくれる人をどれだけ待っていたことか。あなたは人類の不幸を救うためにこの世にやってきた伝説の賢者の化身であられます

ナレンドラは面食らってしまいこう思いました。「この人は気がふれているに違いない!」

ラーマクリシュナはお菓子を持ってくると、まるで神にささげるように、自らの手でナレンドラに食べさせました。この常軌を逸した行為にナレンドラはうろたえました。そしてラーマクリシュナは、「近いうちに必ずここに来るんだよ。今度は一人で。約束しておくれ」そのあまりにも真剣な表情に、ナレンドラは断ることができませんでした。

部屋に戻ると、ラーマクリシュナはごく普通の態度で、他の訪問者たちと接していました。40代半ばのこの人は、瘦身で、ひげをはやし、子どものように無邪気でした。田舎の方言でときおりどもりがちながら、素朴な言葉を使って神について語るのでした。

ナレンドラはラーマクリシュナに、例の質問をぶつけました。「あなたは神をご覧になったことがありますか?」

「あるよ」ラーマクリシュナは即答しました。

わたしは、ここでおまえを見ているように神を見るのだ。神に話しかけることもできる。だが、誰が神を愛しているだろうか?人々は自分の妻や子供、財産のためには、土砂降りのように雨を流すが、誰が神を求めて涙を流すだろうか?人が神を求めて心から泣いたら、神はきっと姿を現わしてくださるよ

ナレンドラはついに神を見ることができるという人に出会いました。ラーマクリシュナの言葉がその深い悟りの中から話されていると、感じずにはいられませんでした。

意識をいともたやすく飛ばされて

1か月後、ナレンドラは約束通り今度はひとりでドッキネッショルを訪れました。ラーマクリシュナは歓迎してナレンドラを横に座らせました。そして恍惚状態のままぶつぶつと何かを唱えていたかと思うと、足をナレンドラの体の上にのせました。

そのとたん部屋の中のすべてのものがグルグルと回り始めて、目を開けていたのにも関わらず、世界のすべてが空間に消え失せてしまいました。ナレンドラは死の恐怖を感じ大声で叫びました。「あなたは何をしたのですか?私には両親がいるのです!」

ラーマクリシュナは笑ってナレンドラを現実に戻しました。そして「よろしい。いまはまだやめておこう。これから徐々に伝えていくことになるから」とつぶやきました。

ナレンドラの合理主義的な心は非常に当惑しました。「これはある種の催眠術だろうか?いや、わたしのような意志の強い人間に催眠術がかかるはずがない。わたしの心をいともたやすく変容させたこの人物はただの気ちがいではない。いったい何者なのか?」

何としてもラーマクリシュナの驚くべき人物の性質と力を解明したいと、ナレンドラは三度目の訪問を行ないました。前回のことが繰り返されないように彼は警戒していました。

しかしこのときもラーマクリシュナは恍惚状態でナレンドラに触れました。彼は細心の注意を払っていたにも関わらず、外界の意識を完全に失ってしまいました。

意識を失ったナレンドラに対して、ラーマクリシュナは「彼が本当は何者なのか、何のためにこの世に生まれてきたのか」などの質問をしました。ナレンドラは意識を失ったままで質問に答えました。そしてそれは、ラーマクリシュナが以前に見ていたヴィジョンの内容と一致したのでした。

ナレンドラの正体とは?

ラーマクリシュナはサマーディの中で次のようなヴィジョンを見ていたのです。

「ある日わたしの魂は光の道を駆け上って大空高く舞い上がった。そこに伝説の七聖仙がいて深いサマーディに座しているのが見えた。聖仙たちは智慧においても慈悲においても神々を超越していることがわかり、私の魂は賛美の心で満たされた。

するとその世界の光の一部が固まって、神々しい子どもの姿となった。その子どもは一人の聖仙のそばに行くとその聖仙を抱きしめて話しかけた。するとその聖仙は半眼を開いて子どもをじっと見つめた。光の子供は言った。

『わたしは降りるよ。お前もいっしょに来なくてはいけないよ』

聖仙は無言だったが、やさしいまなざしでうなずいていた。そして再びサマーディに入ると、この聖仙の一部分が輝く光となって、地球へと降りて行った」

ラーマクリシュナは、ナレンドラがこの聖仙であることをはっきりと理解したのでした。そして光の子供はラーマクリシュナ自身だったのです。

ナレンドラは足しげくドッキネッショルに通うようになりました。ラーマクリシュナも彼を待ち焦がれるのでした。もしナレンドラがしばらく来ないと、彼は苦悶の夜々を明かしたのでした。

そしてナレンドラがやってくると、しばしばその姿を見るだけでサマーディに入るのでした。彼が歌うのを聞いてラーマクリシュナがサマーディに没入することは珍しいことではなかったのです。

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