ラーフラの誕生とシッダールタの出家
シッダールタ王子が16歳の時、父シュッドーダナ王は、隣国の美しく貞淑な王女、ヤショーダラー(耶輸陀羅)姫を彼の妃に迎えました。二人の結婚生活は思いやりと愛情に満ちていました。しかし、シッダールタの心の中には、人生の苦しみへの疑問が芽生え、深く根を下ろしていきました。
シッダールタ29歳の時、ヤショーダラー妃が男児を出産しました。その時、シッダールタは「障害(ラーフラ)だ!」と呼びました。彼は生老病死の苦しみを超える道を求めており、新たな生命はその道への妨げになると感じたのです。
侍者はシッダールタ王子が息子に命名したものと勘違いし、これをシュッドーダナ王に報告したため、この子は「ラーフラ(羅睺羅)」と名付けられました。
ラーフラの誕生がシッダールタの出家を決定づけました。七日後の夜、ラーフラとヤショーダラーが安らかに眠るその横顔を見つめながら、「必ず悟りを開き、ブッダとなってこの子を見守る」と誓いました。そして、シッダールタはその夜中に城を抜け出し、出家の道を歩み始めたのでした。
シッダールタが生後七日で母マーヤーを失ったように、ラーフラも父を失う運命にあったのです。
ブッダの帰還とヤショーダラーとの再会
ラーフラは母ヤショーダラーと祖父シュッドーダナ王に愛情深く育てられました。彼の父、シッダールタがブッダの悟りを開いた後、ラーフラが9歳の時に多くの弟子を連れて故郷カピラヴァストゥに帰還しました。ブッダは王宮で盛大な歓迎を受けました。
しかし、ヤショーダラー妃の姿がそこになかったため、ブッダは彼女の部屋を訪れました。ヤショーダラーが彼の姿を目にすると、6年間の様々な思いが一気に胸にこみ上げてきて、ブッダの足元に身を投げ出して泣きじゃくりました。彼女は両手でブッダの足首を固く握り、涙で彼の足を濡らしました。
ヤショーダラーは夫が出家して黄衣をまとったと聞くと、自分も黄衣を着ました。夫が一日一食だと聞くと、彼女も一日一食にしました。夫が大きな寝床を捨てたと聞くと、自身も床に布を敷いて寝るようになり、夫が花環や香を遠ざけたと聞けば、彼女もそれらを遠ざけました。彼女はラーフラを育てながらも、夫のことを忘れることはありませんでした。
夫が再び目の前に立つものの、彼はもはや世俗の束縛から解き放たれた存在でした。ヤショーダラーが涙を流し続ける間、ブッダは静かに立ち続けました。やがてヤショーダラーが落ち着いて立ち上がると、ブッダは彼女に過去世の物語を語り始めました。
「はるか昔、修行者メーガ(スメーダ)はディーパンカラ・ブッダ(燃燈仏)がこの世に出現し、都にやってくると聞いた。彼はブッダに捧げる花を求めたが、都の花はすでに国王によって買い占められていた。その時、そこに美しい乙女が八本の蓮華の花を持って通りかかった。花は自宅の庭園に咲いていたものだった。メーガは彼女に頼み込んで五本の蓮の花を譲ってもらった。
このとき乙女は、「この供養によって、どこに生まれ変わろうとも、常にメーガ様と共にあれますように」と願ったのだった。
ディーパンカラ・ブッダが現れると、メーガは自身と乙女の蓮華の花を投げかけた。すると花はブッダの頭上に留まった。さらに、メーガは自らの衣類と体と長髪を泥道に敷き、ブッダが汚れることなく通れるようにした。ディーパンカラは大変喜んでメーガを祝福すると『お前は未来において悟りを開いて、ブッダとなるであろう』と予言した」
「その縁からメーガと乙女は結ばれ、その後も二人は転生を繰り返し、多くの生で夫婦だった。そしてディーパンカラ・ブッダが予言した通り、彼はついに悟りを開いた。メーガは今生の私であり、乙女はヤショーダラー、あなたなのだ」
ヤショーダラーは感動の涙を流し、ブッダに深く頭を垂れました。彼女の心には、過去と現在が重なり合い、夫の真の姿が理解されたのでした。
ブッダの財産
それから七日後の朝、カピラ城を托鉢するブッダと比丘たちの一行を見つけたヤショーダラーは、ラーフラの方をふりむいて言いました。
「ほら、よくご覧なさい。あのたくさんの僧侶たちの中で、際立って気高く輝いているのがあなたのお父さんよ。今からお父さんの所へ行って財産をもらってきなさい。お父さんは私たちには見えない宝を持っています」
ラーフラは風のように駆け抜けて行きました。ラーフラはブッダのふところに抱かれて、かつてないほどの安らぎを感じました。「お父さんは涼しくて、とても心地よいです」
ブッダが園林に帰ろうとすると、ラーフラは母の言葉を思い出し、「お父さん、私に財産をください」と後を追っていきました。王宮の窓から我が子の後ろ姿を眺めていたヤショーダラーは、そっと涙を拭いました。
ブッダは林に入ると、サーリプッタに言いました。「我が子ラーフラは、私に財産を求めている。私は真実の幸せをもたらさない宝は与えない。私が与えるのは永遠に尽きることのない宝である。サーリプッタよ、今よりラーフラを出家させよ」
サーリプッタはラーフラの髪を剃り、沙弥(未成年の見習い僧)としての戒律を授けました。ラーフラは仏教教団において一人目の沙弥となったのです。
ラーフラのトイレ泊
9歳のラーフラは、サーリプッタの指導のもと、教団の厳格な集団生活のルールに従って修行を続けていました。
ある日、ラーフラが自分の宿坊に戻ると、宿舎の管理者が客として訪れた僧侶に、ラーフラの部屋を割り当てていました。規則では一人一部屋で、他の人と同宿することは禁じられていました。
仕方なく寄宿舎を出たラーフラは、日が暮れると同時に大雨に見舞われました。しばらく雨に打たれていたラーフラはトイレに避難し、臭いにも関わらず夜をここで明かそうと座り込みました。雨は激しさを増し、浸水が進んで近くの穴から毒蛇が這い出し、トイレの上に這い上がりました。
この危険を天眼で察知したブッダはトイレの前に姿を現すと、彼をすぐに自分の部屋に連れて行きました。その出来事を機に、沙弥と大人の僧侶は特別な事情がある場合に限り、最大二晩まで一緒に宿泊することが許されるようになりました。
暴漢に襲われたサーリプッタとラーフラ
ある朝、サーリプッタとラーフラはラージャガハの街で托鉢をしていました。二人の殊勝な姿に腹を立てた暴漢が現れ、サーリプッタの鉢に砂を投げ入れ、ラーフラの顔を強打し去っていきましら。サーリプッタが振り返って見ると、ラーフラの顔から血が流れていました。
「ラーフラよ、仏弟子たるもの、どのようなことがあっても怒りを起こしてはならない。常に慈悲をもって人々を哀れむべきだ。世尊は常に、忍辱ほど尊いものはないと教えておられる。
ゆえに私は常に忍辱を心がけている。心のままに悪を行えば、その報いが自分に返ってくる。だから忍辱を保ちなさい」
ラーフラは水辺へ行き、自らの顔を水面に映してみると、血に染まった顔を見て驚きました。顔を水で洗いながら、「私はブッダの教えを守っているが、あのような人々は教えを受け入れないだろう。どうすれば彼らに教えを伝えられるのだろうか?」としみじみ考えるのでした。
やがて、師弟は事件をブッダに報告しに行きました。ブッダはこの機会に忍辱と慈悲についてさらに詳しく説きました。
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