ヤショーダラーの比丘尼としての生活
仏教教団に比丘尼教団が設立されると、ヤショーダラー(耶輸陀羅)も尼僧として出家しました。彼女はマハーパジャーパティ比丘尼とともに、清らかな修行生活を送りました。しばしばサーヴァッティにいるブッダのもとを訪れては、指導を受けました。やがて、彼女は悟りを開き、比丘尼たちの中で大神通力を持つ者として称賛されました。
少年ラーフラ(羅睺羅)はしばしば母を訪ね、ある時は病床のヤショーダラーの元へと駆けつけました。彼はブッダから許可を得て、献身的に母の看病を行いました。二人は王宮では感じることのなかった、深く清らかな愛情を交わすことができました。ヤショーダラーの病気は間もなく回復しました。
サーヴァッティの人々は彼女の徳の高さを敬愛し、多くの供物を捧げました。これは彼女がかつて王宮にいたときよりも豊かなほどでした。しかし、ヤショーダラーは出家僧としてこのような供物を快く思わず、より静かな生活を求めてヴェーサーリーに移り住みました。彼女の徳はそこでも高く評価され、多くの供養を受け続けたため、最終的にはラージャガハに住みました。
ラーフラの悪戯とブッダからの教訓
十六、七歳の頃のラーフラがラージャガハ近くの温泉林にいた頃、ブッダから叱られたことがあります。在家信者がラーフラの所へ来て、世尊の居場所を尋ねた際、ラーフラは面白半分に、ブッダが竹林精舎にいる時には「霊鷲山」と答え、霊鷲山にいる時には「竹林精舎」と答えるという悪戯をしたのです。このため、訪問者たちは約5キロの山道を行き来する羽目になり、結局ブッダに会うことができませんでした。
このことがブッダの耳に入るとブッダは自ら温泉林へ赴きました。ラーフラは喜んでブッダを迎え、礼拝して敷物を敷きました。ブッダは、ラーフラに桶に水を汲ませて足を洗いました。そして、
「ラーフラよ、この水は飲めるか?」と問いかけました。
「いいえ、足を洗いましたので、汚れて飲むことはできません」
「そなたもこの水と同じだ。清らかな道を求めているのに、心に悪を思い口に嘘を言えば、この水のように汚れて用いることはできない」
さらにブッダは桶の水を捨てさせてから言いました。
「そなたはこの桶に食べ物を盛って食べられるか?」
「いいえ、今汚れた水を入れていましたので、食べ物を盛ることはできません」
「そなたもこの桶と同じだ。口に誠がなく、精進しなければ、この桶のように用いることはできない」
ブッダは桶を蹴飛ばしました。桶は幾度も跳ね上がりながら転がっていきました。
「そなたは桶が壊れるかと気にしたか?」
「いいえ、値の高い物ではないので、そこまで気にしませんでした」
「そなたのように嘘を弄んで喜んでばかりいると、周りから気にされず、智者に惜しまれず、悟りも開けずに、死ねば心はひとりぼっちで地獄、動物、餓鬼の世界を迷って限りない苦しみを受ける。なんじもこの桶のようである」
ラーフラはこの厳しい教えに震え上がりました。
「ラーフラよ、言葉を慎め。あらゆる悪は嘘からはじまる。熱の棒を飲まされても戒を守れ。小さな悪い行いも積み重なれば、その重さは幾つもの大きな山と同じになり、やがて苦しみの因となりそなたの身に襲いかかるだろう」
ラーフラはブッダの戒めを遵守することと、より一層の精進を誓いました。
ラーフラの悟り
ラーフラは二十歳になり、正式に比丘となりました。王家の一人息子として生まれ、九歳から成人比丘たちと共に修行を積んできました。そのことは少なからず教団内外の人々の同情を引きました。ましてやブッダの実子であることから、特別視されることが多くありました。それらのことからラーフラに慢心が生じ、彼の修行の障害となっていました。
ある日、ブッダはラーフラとともにサーヴァッティの街に托鉢に出かけました。その途中、ブッダが急に振り返って言いました。
「ラーフラよ、五蘊は無常であると瞑想せよ」と。五蘊とは肉体、感覚、表層の意識、深層の情報、識別作用の集まりのことです。
托鉢の途中での訓示は初めてだったので、ラーフラは何か深い訳があるに違いないと思い、そのまま祇園精舎に帰り、瞑想に入りました。
ブッダが托鉢から帰ってくると次のように指導しました。「ラーフラよ、怒りを克服するために他者の幸福を願いなさい。他者の苦しみを哀れみなさい。他者の幸福を喜びなさい。自分のことは無頓着でありなさい」
さらにブッダは数息観(呼吸を数える瞑想法)を丁寧に指導し、「これによって心の散乱がなくなり、集中力を養い、物事の本質を深く観察できるようになるだろう」と教えました。
その後もラーフラは、慢心に陥らないように身を慎み、ブッダの教えや戒律をこまかなところまで厳格に守り、不言実行で修行を積み重ねました。そして、ついにラーフラは悟りを開くことができました。
これを報告するとブッダはたいへん喜びました。ラーフラは間違いなく父の財産を継承することができたのです。それは尽きることのない真理の宝でした。ラーフラは『密行第一』と称えられるとともに、教学を好み、読誦に励むことから『学習第一』とも称えられ、十代弟子の一人にも数えられています。
ヤショーダラーの入滅
ある静かな夜、ヤショーダラー尼はひとり瞑想にふけっていました。「私は世尊と同じ年に生まれ、今や七十七歳。世尊の入滅も近づいている。私の時は今である」。彼女は、この深い思索の後、ブッダのもとへ向かいました。ヤショーダラーは「もしも長い間に私が何か過ちを犯していたら、どうかお許しください」と言いました。ブッダは彼女に入滅の許しを与えました。
その後、ヤショーダラーは様々な神通力を現わして、空中に舞い上がり、ブッダに幾度となく礼拝を捧げました。彼女は集まった人々に最後の説法を行いました。そして、その夜、ヤショーダラーは深い禅定の中で、肉体を捨てました。彼女の入滅は、その生涯と同様に、尊厳とブッダへの献身に満ちたものでした。
彼女は次の言葉を残しています。
「数千億回、あなたを助けるために、私自身を捧げました。あなたのためなら、私は悲しくありません。マハームニ(ブッダのこと)よ。
数千億回、私の命を献上いたしました。財産、食物、村、町、田畑、子供も献上いたしました。マハームニよ。
象、馬、牛、また召使など、あなたのために献上したものは限りがありません。偉大なる勇者よ。
数々の輪廻の中で様々な多くの苦しみを、あなたのために享受したことは限りがありません。偉大なる勇者よ。
安楽を得ても喜ぶことはなく、苦しみの中で悲しむことはなく、どこにいても、ただあなたのために取り計らいました。マハームニよ」
ブッダとの最後の別れとラーフラの証言
ブッダがまもなく涅槃に入るという知らせがラーフラに届いた時、彼は旅の途中でした。偉大な父との死別に直面するのは耐えがたく、彼は逃れるように旅を続けました。しかし聖者たちから説得され、ラーフラは神通力を使ってクシナガルの沙羅の林に到着しました。そこでブッダは語りかけました。
「ラーフラよ、そなたは今まで父のために本当によくやってくれた。私も子のためになすべきことを全うした。これを思えば、少しも悲しむことはない。諸行は無常である。生があれば死がある。愛する者との別れは必ずやってくる。無常を越えて解脱を得ることが、わが教えの核心である」と。
ラーフラに関する記録はこれ以上残っていませんが、彼の言葉は後世に伝えられています。「人々は私を『幸運なラーフラ』と呼ぶ。私は二つの幸運を受けている。一つは、ブッダの子であること。もう一つは、真理を見通す眼を持っていることだ。私のけがれは消滅し、もはや迷いの生存にさまようことはない。私は阿羅漢であり、三明を得た者、すなわち不死を見る者である」
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