ラーマクリシュナからこっぴどく叱られる
ラーマクリシュナは、ヨーギンの訓練にいっそうの注意を払うようになりました。
ある日、ヨーギンは市場で鉄鍋を買いました。彼は店主の良心を信じ、品物をよく確かめることなく購入しました。しかしドッキネッショルに戻ってみると、鍋にひびが入っているのがわかりました。この話を聞いたラーマクリシュナは、ヨーギンを叱りました。
「お前は神の信仰者でありなさい。だが、それは愚かである理由にはならない。商売人が宗教を実践するために店を開いたとでも思ったのかい? どうして買う前によく調べなかったのか?
こんなバカなことは二度としてはならない。買い物に行くときには、まず何軒か店を回って品物の相場を調べなさい。それからよく品定めをするのだ。おまけがつくときには、それもちゃんともらっておいで」
ヨーギンは心優しい性格でした。彼が怒ったり荒々しい言葉を吐くのを、誰も見たことがありませんでした。しかし両親に迫られ結婚したのは優しさからではなく、彼の心の弱さに起因していることに、ラーマクリシュナは気づいていました。
あるとき、自分の着物を一包みにしたものの中にゴキブリが数匹いるのを見つけました。ラーマクリシュナはヨーギンに命じました。
「ゴキブリをつまみ出して、殺しなさい」
ヨーギンはその包みを部屋の外に持っていきゴキブリをつかまえましたが、殺すことはできず外に逃がしてやりました。彼が戻るとラーマクリシュナが確認しました。
「殺したかね?」
まさかの追及にヨーギンはまごついて答えました。「いいえ、師よ。逃がしてやりました」
するとラーマクリシュナは、ヨーギンを叱りつけました。「殺せと言ったのに、逃がしてしまったのか! どんなときでもわたしの言うとおりにしなさい。そうしないと、もっと重要な問題に直面したときに、自分の気まぐれに従って後々悔やむことになる!」
もともとヒンドゥー教でも仏教でも戒律の一番目はアヒンサー(不殺生、非暴力)であり、無益な殺生は禁じられています。よってこのときラーマクリシュナがゴキブリの殺生を命じたのは、ただただ弟子ヨーギンに対する訓練のためだったのです。
師の悪口を言われたらどうする? ヨーギンの場合
またある日、カルカッタからドッキネッショルに向かう船の上での出来事でした。ヨーギンがラーマクリシュナの信者だと知ったある乗客が、理由もないままにラーマクリシュナの批判をはじめたのです。
「ラーマクリシュナは聖者ぶっているだけだ。うまいものを食べ、やわらかい布団で眠り、宗教にかこつけて、学生たちをたぶらかしている」
この中傷を聞いてヨーギンは非常に辛くなりました。最初は反論しようとしました。しかし考えているうちに気持ちが変化しました。
「師はわたしの弁護を必要とされない。愚者たちの冷笑がおよばないほど師は高みにいらっしゃるのだ」
結局ヨーギンは謂れもない言葉に一言も反論しませんでした。
ドッキネッショルに着いたヨーギンは、先ほどの出来事をラーマクリシュナに報告しました。すると師は、厳粛な面持ちとなり、こう言ってヨギンを叱りました。
「その男は何の理由もなくわたしの悪口を言ったのに、お前は黙って座っていただけなのか! 聖典の教えを知っているか? グル(師)の悪口を言うやつの首を切るか、さもなければただちにその場を立ち去れ、と言っているのだ。作りごとの中傷に反論もしなかたのか?」
師の悪口を言われたらどうする? 二ランジャンの場合
これと全く同じケースが、兄弟弟子のニランジャンにも起きました。興味深いことにラーマクリシュナの対応は、ヨーギンのケースとは真逆だったのです。二ランジャンは繊細なヨーギンとは異なり、堂々たる体躯と激しい気性の持ち主でした。
二ランジャンがドッキネッショルに船で向かう途中、乗客たちがラーマクリシュナの悪口を言いはじめました。そこで彼は強い言葉で彼らに反論しましたが、乗客たちは無視して中傷を続けました。二ランジャンは憤怒に駆られました。
彼は跳びあがって船をゆすりながら、「船を転覆させてやる」と脅しました。二ランジャンは非常に力強く泳ぎも達者でした。恐ろしくなった乗客たちは彼に許しを請いました。
この出来事を聞いたラーマクリシュナは、厳守な面持ちとなり、こう言って二ランジャンを叱りました。
「怒りは死に至る罪だ。決して怒りに身を任せてはいけない。善人の怒りは水面の跡のようなもので、すぐに消えてしまう。
賤しい人はあれこれ言うものだ。いちいち争っていたら、お前は一生ケンカして過ごすことになる。そういう人は虫けらにも劣る存在だと思いなさい。そんな言葉には無関心でいなさい。
怒りによって自分が犯してしまう罪を見るのだ! 船頭たちのことを考えてもみよ。お前は何もしていない彼らまでも、溺れさせるところだったのだよ!」
このようにラーマクリシュナは『対機説法』と言って、それぞれの弟子の能力や素質、性質に応じて、それに相応しい方法で教え導いていたのでした。
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