放浪修業のはじまり
まもなくトゥリヤーナンダは、放浪修行に出ました。彼は聖地から聖地へ徒歩で旅しました。食物と雨露をしのぐ場所については、完全に神におまかせでした。
命をつなぐわずかな食物は托鉢によって得ました。彼は北インドの寒い冬を一枚のショールで過ごしました。
2年後、兄弟弟子ブラフマーナンダはトゥリヤーナンダに放浪修業の同行を求めました。彼はラーマクリシュナからハリと親しくするようアドバイスされていたのです。その後、二人は6年もの間苦行を共にします。
二人がヴァイッデャナートに着いたとき、この地方は干ばつに苦しめられていました。村の女たちは丘のふもとにある小さい泉に行き、ほとんど涸れている水をかろうじてくみ、丘の上の聖堂へ運んでいました。
シヴァの像に水を注ぎつつ祈ると、神が雨を降らせてくれる、と彼女たちは信じていたのです。水がめを持った女性たちの行列は早朝にはじまり、一日中続いていました。
「おお神様、どうか雨を降らせてくださいませ!」絶え間ない声が続きました。聖堂の一隅にいた二人は、村人たちの信仰に感動しました。そして祈りはじめました。すると晴天がにわかにかき曇り、どしゃぶりの雨が降りました。
トゥリヤーナンダとブラフマーナンダはさらに聖地を巡礼して、ブリンダーバンに到着しました。季節は冬でした。トゥリヤーナンダは木綿の衣類しか持っていませんでした。夜中に眠ることは難しく、彼は午前2時か3時に起きました。
それから近くの井戸で身を清め、瞑想に坐るのでした。瞑想がはじまると体温は上がりましたが、厳しい寒気のために顔と手足の皮膚はひび割れ、血が流れました。それでも彼は寒さを気にとめませんでした。
シャンカラの詩の真理を悟る
この期間、トゥリヤーナンダは愛情を込めてブラフマーナンダに仕えました。彼は敬愛する兄弟弟子が托鉢に出ることを許さず、彼自身が托鉢で食物を集めていました。
ある日は野菜もなく、得ることができたのはたった数枚の固いルチ(油であげた平らなパン)だけでした。二人はそのルチを井戸端に持って行き、水にひたして食べました。
トゥリヤーナンダは、自分の兄弟が粗末な物を食べるのを見て心を痛めました。 「マハラジ!」と彼は叫びました。
「われわれの師はあなたを深く愛していた。あのお方はどんなに気をつけて、あなたにクリームやバターを食べさせたことか! それなのにわたしは、あなたに何というつまらないものを!」と悲しみに声をつまらせました。
別の日の施しも極わずかのルチだけでした。トゥリヤーナンダは自分の身体に言ってきかせました。「お前のおかげで、このような難儀に会うのだ。これを食べて、満足しておれ」
その夜、トゥリヤーナンダはひどく疲れていたので、空腹を抱えたまま寝てしまいました。突然彼は、肉体から離れた自己を見ました。それは腹の減った肉体ではなく、完全に分離したアートマン(真我)でした。
そして、そこに横たわっている肉体を、脱ぎ捨てられた一枚の衣と見なしたのです。いまトゥリヤーナンダは、大聖者シャンカラの詩の真理を悟りました。それは次の詩でした。
『わたしは、食べるプロセスでもなく、食物でもなく、食べる人でもない
わたしは、絶対なる実在・叡智・至福の権化である
わたしは、アートマンである』
彼が立ち上がったとき、空腹はすっかり忘れられていました。
レモンとキチュリとチャツニー
二人は放浪を続け、聖地アヨーディヤーに着きました。このときトゥリヤーナンダが托鉢で得たのは、少しのゆでたアルムの根(里芋科の植物)だけでした。
アルムはのどに激しい痛みをおこすことがあります。彼らは今回それにかかりました。トゥリーヤーナンダは急いで、痛みを和らげる酸味のある果物を、探しに出かけました。
彼は方々をまわりレモン林に行き着きました。今は季節ではありませんでした。しかしトゥリヤーナンダは一個だけ実っているレモンの木を見つけました。
彼は農夫のもとに行き「もしあのレモンを頂けたら本当にありがたいのだが」と頼みました。
農夫たちは驚いて「今まで果実は一つもありませんでしたよ。もし今そこに一個あるなら、そのレモンは特別にあなたのためにあるのです」と答えました。
トゥリヤーナンダは急いでレモンを兄弟弟子のもとに持ち帰りました。そのときにはもう、ブラフマーナンダののどは腫れあがっていました。二人がその日に食べたのは、アルムとレモンだけでした。
彼らは横になりましたが、からの胃袋と、まだむずむずするのどの痛みを抱えて、眠ることができませんでした。ブラフマーナンダはまるでラーマクリシュナがそこにいるかのように、不満を述べました。
「あなたがわたしたちを出家僧にしたのです。少しばかりの食物も与えられないのですか? いいでしょう。もし私たちが明朝、キチュリ(御飯料理)とチャツニー(つけもの)を食べられないのなら、あなたがわたしたちを守ってくれているとは信じません」
その夜は明け、二人はサラユ川で沐浴をしました。そこへ一人の修行者がやってきました。
「わたしは、いま、ラーマ様にキチュリをお供えしたところなのです。あなた方にそのプラサード(お下り)を召し上がって頂きたいのです」と彼は懇願しました。
修行者は二人を彼の小さな小屋に座らせ、葉の上にキチュリと、タマリンドとレモンの酢漬けを盛りました。二人が食事を楽しんでいる間に修行者は話しました。
「わたしは何と運が良いのでしょう! わたしはラーマ様を崇拝して24年になります。毎日、わたしは祈り続けました。
『主よ、どうぞわたしに語りかけてくださいませ。せめてあなたの慈悲深い一べつをお与えください』と。ついに、彼は今日、慈悲をお示しくださったのです」。そして彼はわっと泣きだしました。
「どういうことがあったのですか? どうぞお話ください」と二人は尋ねました。修行者は語りはじめました。
「昨夜わたしが休んでいると、突然誰かが非常にやわらかい手でわたしをゆり起こしました。『もしもし! 起きておくれ! わたしはたいへんおなかがすいているのだ。キチュリをこしらえてわたしに供えておくれ。
お前は朝早く、わたしの二人の信者が川で沐浴しているのを見るだろう。その二人をここに連れてきて、食べさせておくれ』と言ったのです」。修行者はラーマ神を祀っている祭壇に目をやりました。
「わたしを起こしたのはラーマ様の御手であったことを、はっきり見たのです。言葉をおかけになったのもラーマ様でした。ですからわたしは急いで料理をつくり、そしてあなた方をお呼びしたのです」
この話を聞いて二人は深く感動しました。
苦行者という人生
その後、二人はアメリカ渡航直前のヴィヴェーカーナンダと再会しました。トゥリヤーナンダは後にこう話しました。
「わたしはスワミジ(ヴィヴェーカーナンダ)の光り輝く姿を見て、彼は修行において完成の域に達し、自らの修行の果報を人類に分け与える用意ができたことを知った」
またトゥリヤーナンダは、自身の苦行と放浪の時期をふりかえり、次のように話しています。
「わたしの心はいつも高い境地にあった。そこには一個の器から他の器に移される油の流れのように途切れない、神の意識の不断の流れがあった。
わたしはいつも暁に起きて沐浴をすませ、瞑想に座った。数時間瞑想してから、聖典を読んだ。それから食物を集めにでかける時間がきた。托鉢を非常に速やかに済ませた。
しばらく休息した後、夕方まで瞑想をした。他のいかなる思いも、心に入ることは許されなかった」
トゥリヤーナンダは八つのウパニシャッドを全て暗記するほど読み込んでいました。その中に特別に心に訴える章句を見いだすと、それを瞑想しました。
彼は言いました。「ああ、それがなんという喜びをもたらしたことか! とても言い表すことはできない!」
彼にとってウパニシャドは哲学の参考書ではなく、神の霊に満ちた神聖な言葉でした。
彼は師ラーマクリシュナから、聖典とは霊性を目覚めさせるためにあると教わりました。聖典とは自分を飾る知識ではなく、悟りを得たら捨てるべき一個の道具だったのです。
トゥリヤーナンダは母なる神に涙ながらに祈りました。「母よ、わたしの心から、聖典の知識の全てをぬぐい去ってください。わたしに信仰をお与えください」
トゥリヤーナンダが苦行に没頭していたとき「人々はみなこの世のために何かをしているのに、自分は何の役にも立たない放浪修行をしている」という思いがわき、彼を苦しめました。どうしても、その思いを振り払えませんでした。
ある日、ついに耐えきれなくなったトゥリヤーナンダは、樹木の下に身を投げ出しました。そのまま眠ってしまいました。夢の中で、彼は不思議な経験をしました。自分の身体が四方に広がり続け、世界を覆いました。そして気づきがありました。
「おまえがどれだけ偉大であるかを見よ! おまえは全世界を包もうとしているのだぞ。なぜ自分の人生が無益であると思うのか? 一粒の真理が、妄想の世界全体を覆うのだ。立て! 強くあれ! 真理を悟れ! それが最も偉大な人生である」
彼は目を覚まし、飛び起きました。そして全ての疑いは消え去っていました。
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