【 苦行の権化】トゥリヤーナンダの生涯(6)ヴィヴェーカーナンダの死、そして再び苦行の道へ

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ヴィヴェーカーナンダの突然の訃報

1902年6月3日、トゥリヤーナンダはサンフランシスコを出航しました。このとき39歳。彼のアメリカ滞在は2年9カ月でした。このうちの18カ月をシャンティ・アシュラムで過ごしたのです。

トゥリヤーナンダがヴィヴェーカーナンダの訃報を知ったのは、コルカタに到着する直前でした。このショックは、彼の将来のヴィジョンを根本から覆してしまいました。7月14日、ヴィヴェーカーナンダの死から10日後に、船はコルカタに到着しました。

埠頭まで迎えに来ていた兄弟弟子サーラダーナンダたちを見て、トゥリヤーナンダは自分を抑えることができませんでした。彼はサーラダーナンダを抱きしめて激しく泣きました。一行はベルル僧院に向かってのろのろと歩き出しました。

「スワミジがあまりに身近だったから、われわれは彼を自分たちのものだと思い、ここに留めておきたいと思った」ベルル僧院でトゥリヤーナンダは追悼の言葉を述べました。

「彼がもっと高い世界に属していることを忘れていた。それだからわたしは悲しみに圧倒されたのだ。しかし、彼は甘んじて捕らえられ、わたしたち仲間の一人だと思わせてくれた。それはわたしたちにとって、大きな幸せだった」 

トゥリヤーナンダは、絶えずヴィヴェーカーナンダのことを話し、僧侶たちを励まし続けました。しかしヴィヴェーカーナンダのいない僧院は、彼にとって味気のないものでした。

ヴィヴェーカーナンダの懇請だったからこそ、彼は活動的な仕事を引き受けたのでした。トゥリヤーナンダは、再び北インドの聖地を巡る苦行生活に帰っていきました。

再び苦行生活へ

トゥリヤーナンダはその後8年間にわたり苦行生活を送りました。

1906年、デヴィギリという修行僧が、リシケシの巡礼者たちの休憩所で「非凡な輝きをもった一人の高貴な聖者」に出会っています。それがトゥリヤーナンダでした。

トゥリヤーナンダが冬の間、ウッタルカシに滞在することを知って、デヴィギリは食料などを提供したいと申し出ました。しかしトゥリヤーナンダは「自分に不足するものは何もない」と言って、一切の援助を断りました。

デヴィギリは恭しく「師よ、冬のウッタルカシには大雪が降ります。托鉢に行けない厳寒の日に備えて、ある程度の食料は必要なのです。ですからどうかお受け取り下さい!」

彼は幾たびも懇願し、強要し、ようやくいくらかの食料を手渡せました。「わたしは今までにこのような厳しい聖者に会ったことがなく、彼を忘れられない」とデヴィギリは述べています。

ウッタルカシでのトゥリヤーナンダの防寒具は一枚の毛布だけでした。午前3時に起床し、正午近くまで瞑想するのが彼のルーティンでした。

それから沐浴をして、いくらかの米とミルクを摂りました。一日一食でした。その後、他の修行者たちが集まってきて、聖典について論じ合うのでした。

トゥリヤーナンダ

わたしの主治医は

1909年、トゥリヤーナンダはジャングル地帯に滞在しました。ガンガーの対岸に彼が托鉢に行く村がありました。

川の水位はたびたび変化し、あるときには首の高さまで増えました。しかし、いかなる水位のときでも、彼は毎朝の托鉢を貫きました。

午後には放浪修行者たちがトゥリヤーナンダの小屋に集まりました。彼らは『ラーマーヤナ』を読みました。

トゥリヤーナンダが説く神の化身ラーマの解説は、この聖典の深い意味を明らかにしました。修行者たちは、彼を偉大な人物と見ていました。

トゥリヤーナンダはここでマラリアにかかりました。身体は極度にやつれました。それでも彼は托鉢行を止めませんでした。ついに川を渡る途中で動けなくなりました。

トゥリヤーナンダの病気がラーマクリシュナ・ミッションに伝わりました。僧侶たちはセンターに戻るように次々と手紙を送りました。しかし彼は断り続けました。ついに僧侶ガンガラムが迎えに来ました。それでも彼は断りました。

ガンガラムは、両足がむくみ、鼻血を出し、衰弱しているトゥリヤーナンダを看護しました。日は過ぎて行きましたが、彼の健康は回復しませんでした。

対岸の村人たちがやってきて、村で暮らすことを勧めました。村なら適切な食事と医療が受けられるからと。しかし彼は断りました。

ガンガラムは彼に尋ねました。「なぜ彼らをお帰しになったのですか?」

トゥリヤーナンダ「ここから離れると、わたしは自由を失うであろう。その上に、わたしは環境に影響を受けて堕落するかも知れない」

ガンガラム「あなたのような聖者に、どうして社会が影響を及ぼすことができるのですか?」

トゥリヤーナンダは叫びました。「ガンガラムよ! 環境がどんなに大きな力をふるうか君は知らないのだ」

ガンガラム「師よ、おそらくそうなのでしょう。しかし、ジャングルの中でどのようにして医療を受けられますか?」

そこでトゥリヤーナンダは、響き渡る声で言いました「ガンガーの水がわたしの薬である! そしてナーラーヤナ(神)がわたしの主治医である!

ガンガラムはもう何も言えなくなりました。トゥリヤーナンダの放棄の精神は、それほど堅固なものだったのです。

肉体への無頓着

1911年、トゥリヤーナンダの病気は糖尿病と診断されました。病気のために彼は不眠に苦しみました。ドクターはアヘンの服用を勧めましたが、彼はかりそめの肉体のために麻薬を用いることを拒みました。

体がいかなる調子であろうとも、トゥリヤーナンダは苦行を続けました。彼は手紙の中で次のように述べています。

「身体がたとえどのような状態であっても、神を呼びつづけることを怠ってはいけない。『身体は一人にして放っておけ、病気は一人にして放っておけ。 おお、わが心よ、お前は神の至福の内に住め』。

そのうち瞑想しようと計画するなら、彼は決して瞑想できないだろう。ヴィヤーサは『人生の問題が解決してから神を思おうと考えている者は、波がおさまってから海で沐浴しようと考える馬鹿者のようである』と言っている。

波は決して退かないであろう。ではどのように沐浴するか? 波の真っ只中で水を浴びる者、彼のみが沐浴をなし得るのだ。

同じ様に、快楽と苦痛、病と悲しみ、不幸と貧しさの真っ只中で祈れる者、彼だけが、主に呼びかけられるのだ。一方、『よい時期がくるでしょう、そうしたら私も祈るでしょう』などと言うような者、彼は決して祈らないだろう。

欲するものを全部持っている人はほとんどいない。 病気や苦しみは常についてまわる。どのような環境におかれても主に呼びかける者、彼のみが成功するのだ」

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