【ホーリーマザー】サーラダ・デーヴィーの生涯(終)最後のメッセージ

Ramakrishna world

ラードゥの逆上

ラードゥはホーリーマザーに、母スラバラと同様いつも歯向かい、罵り、悪態をつきました。他の人には決して耐えられないひどい仕打ちを、マザーに与え続けました。ラードゥはまるで彼女を苦しめるために生まれてきたかのようでした。

その後、ラードゥは結婚し、子供も産みましたが、ラードゥは夫の実家に住むことを嫌がり、夫と共にマザーのもとに住み続けました。ラードゥの夫は裕福な家の出身でしたが、あまり頼りにならない人でした。

結婚や出産を経験しても、ラードゥは落ち着くことなく、その狂気性や常軌を逸した行動はよりひどくなっていき、マザーを苦しめました。彼女の弟子の一人は、この頃のことを、日記に記しています。

「赤ん坊が六ヶ月になった今も、ラードゥは衰弱のために立ち上がることさえできない。這いまわるのがやっとだ。

さらに悪いことに、彼女はアヘン中毒になってしまった。ホーリー・マザーは、体調を崩して熱を出されることもある。ラードゥにアヘンをやめさせようとされたが、ラードゥは言うことを聞かなかった。

ある朝、野菜を切っていたホーリー・マザーのところに、ラードゥがアヘンを欲しがって這ってきた。ホーリー・マザーがおっしゃった。

『ラーディ、いい加減にしなさい。なぜ立ち向かえないのですか。もうあなたの世話は見きれませんよ。わたしはあなたのために、まったく修行ができないでいるのよ。それにどこにそんなお金があるというのです』

このちょっとした小言に逆上したラードゥは、野菜籠から大きなナスをつかみあげると、力を込めてホーリー・マザーに投げつけた。ナスは背中に強く当たり、鈍い音がして、その箇所がみるみる腫れあがった。師の写真を見つめると、手を合わせてマザーは祈った。

おお、主よ。彼女がしたことをご覧にならないでください。彼女は知能が低いのですから

それからご自分の足からとった塵をラードゥの頭につけておっしゃった。

『ラーディ、師はわたしのこの体に、ただの一度でさえ荒々しい言葉を投げたことはなかったのよ。それなのに、あなたはこんなに問題ばかり起こして!

あなたにとってわたしがどういう存在か、どうして理解できないのでしょう。わたしが我慢ばかりしているからいけないのかしら。わたしを誰だと思っているの』  

ラードゥはわっと泣き出した」

ホーリーマザーの奉仕

世俗の苦しみに喘ぐ多くの人々、また神の至福を求める多くの人々が、ホーリーマザーのもとに助けを求めてやってきました。

サーラダーは身分の上下、貧富、罪人・善人も問うことなく、あらゆる人々を受け入れ、教え、導き、安らぎを与えました。

ジャイラムバティで病気になったある弟子は、マザーの看病を受けて深く心を動かされました。「いつでもわたしにこのような愛情を注がれるのでしょうか?」

マザーは答えました。「そうですよ、子供よ。わたしの愛に引き潮も満ち潮もありません

ラーマクリシュナ自らは弟子を選ぶのに非常に厳格でしたが、ホーリーマザーは母親の愛情に促されて、だれに対してもこの恵みをこばむことができませんでした。  

マザーはよく口にしました。「わたしは、善人だけでなく、悪人の母でもあります。わたしを母と呼ぶ人に、決して背を背けることはありません。子供が泥やほこりにまみれていたら、汚れをぬぐってひざに抱いてやるのが母の務めではありませんか

真の師にとって、イニシエーションを与えるということは弟子の罪を自分が引き受けるということです。マザーはこのことを知っていました。

彼女はたくさんの弟子を持ったことに対して、肉体の病という対価を払う必要がありました。それでも、一人でも多くの人を救いたいという願いが勝ったのです。

師としてのホーリーマザーは修行の必要性を常に強く説いていました。「神は純粋そのものであられ、心身のコントロールなくして悟ることはできません」

マザーを師とし、マザーの祝福を受けた者に、修行する必要があるのかと問われると「ポイントは、貯蔵庫に並べられたさまざまな食料品も調理しなければならないということです。早く調理した人は早く食事にありつけるのです。

朝食べられる人もいれば、夜になってから食べられる人もいます。また調理を怠るならば断食せざるを得なくなるでしょう。熱心に修行するほどに、早く神に至ることができます」と答えました。

弟子が修行できない時には、彼らの代わりにマザー自身が修行に励みました。弟子の悪行の重荷を引き受け、肉体的な苦痛を背負いました。それは何の見返りも、感謝の言葉すら求めない愛でした。

 あるときマザーは弟子にこう言いました。「あなたたちが解脱に至るまで、この世でもあの世でもその責任を負い、導き続けるでしょう

ホーリーマザーの晩年

元気だったホーリーマザーの体も、徐々に弱っていき、歩くのには杖が必要になっていました。彼女はジャイラムバティの滞在中にマラリアにかかりました。

1919年12月、マザーは発熱し、その後、容態は悪化し続けました。サーラダーナンダは治療のため彼女をカルカッタに連れて行きました。

翌日からサーラダーナンダは、有名なカルカッタの医師たちを手配して、できる限りの治療を試みました。ついにその病気は『黒熱病』と判明しましたが、当時、この病気の特効薬はありませんでした。サーラダーナンダは宗教儀式も行ないましたが、全く効果はありませんでした。

ある信者は、聖ラーマクリシュナに病気からの回復をお願いしてくださいとマザーに頼みましたが、彼女はこう答えました。

「どうしてそんなことができるのですか。師が定められたことは必ず起こります。私に何が言えるでしょう。師がお連れ下さるときにはまいりましょう」

また「師自身がどんなに苦しまれたか、あなたは見ていないわ。わたしは全てこの目で見たのですよ」と言いました。

そのような激しい苦痛を伴う病床にあっても、マザーはイニシエーションを与え続けました。その姿を見ていたある弟子がこう言いました。「イニシエーションは止めましょう。マザーは他人の罪をご自身に背負って苦しまれているのです」

しかしマザーはこう答えました。「なぜそんなことを言うの? 師がお生まれになったのは、ラスゴッラ(インドの甘い菓子)を召し上がるためだったのかしら?

ホーリーマザーの最期

容態を心配した弟子にマザーは次のように言いました。

「わが子よ。わたしはとても弱っています。師がこの肉体を使って成し遂げようとされていたことは成就したのです。今わたしの心が求めるのは師だけです。他には何も求めません。

わたしがどんなにラードゥを愛し、彼女のためにやってきたかわかるでしょう。でも今のわたしの態度は全くその反対なのです。

あの子がやってくると、わずらわしくなって自分に言うのですよ。『わたしの心を引きずり降ろそうとするこの子が、どうしてここにいるのかしら』とね。

こうしたことはすべてわたしの心をこの世に引きとめて、師のお仕事を続けるようにと、師がなされたことなのですよ。そうじゃなければ師が亡くなられた後、どうして生きることなどできたでしょう」

古い友人たちが訪ねてきても、マザーは会うのを拒否しました。そして最後には、ラードゥとの絆を完全に断ち切りました。ラードゥにジャイラムバティに帰るように言い渡したのです。

このことを知ったサーラダーナンダは、深いため息をついてこう言いました。「これ以上、マザーを地上にお引き留めするのは無理でしょう。ラードゥから自分を解放されたからには、他に何の希望もありません」

亡くなる前の週、マザーは、サーラダーナンダを部屋に呼びました。サーラダーナンダがベッドの前にひざまづくと、彼女は彼の手をつかんで、言いました。

「シャラト。わたしはすべてを残していきます」そしてすぐに手を離しました。サーラダーナンダは非常な努力をして涙をこらえると、忍び足で部屋を出ました。

死の数日前には、マザーの両足は腫れあがり、歩くこともできなくなりました。そのとき、ある女性信者がやってきました。入室は禁じられていたので戸口に立っていると、マザーは部屋に入るように指示しました。

彼女は入ってくると、泣きながら言いました。「お母さん、わたしたちはどうなってしまうのでしょう?」

マザーは答えました。「どうして恐れることがあるのでしょう。あなたは師にお会いしたじゃないの。何をおびえるというのです?」

それからさらにこう言いました。「あなたに話しておきましょう、子供よ。平安を望むのなら、誰の欠点も探らないことです。自分の欠点を調べなさい。世界を自分のものとすることを身につけなさい。子供よ、誰一人、他人はいません。全世界があなたのものです

これが、ホーリーマザーが悩める人類に贈った、最後のメッセージでした。

1920年7月21日午前1時半ごろ、マザーは数回深呼吸をすると、そのまま深いサマーディに入り、肉体を捨てました。その瞬間、長い病に苦しみつづけた肉体には安らぎが生じたように見え、神々しい光が放たれました。そのため、多くの信者は、彼女がまだ生きていると思ったほどでした。

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