【カーリー女神のヴィジョンと言葉】
ヴィヴェーカーナンダの身体は衰弱しました。喘息と糖尿病の症状がひどく出ました。彼はこの世での使命が終わりつつあることを感じました。
あるときヴィヴェーカーナンダは弟子とともに巡礼の旅に出て、アマルナートの洞窟の全身が氷でできたシヴァリンガを礼拝しました。そのとき、シヴァ神そのもののヴィジョンを目の当たりにしました。
洞窟から出たとき、ヴィヴェーカーナンダの左目には血のかたまりがあり、心臓は激しく高鳴っていました。帰ってきてから彼は言いました。「アマルナートへ行って以来、シヴァ神がわたしの脳髄の中に入っています。シヴァ神は去っていきません」
そして今度は、カーリー女神の強烈なヴィジョンに襲われました。
熱狂のあまり、ヴィヴェーカーナンダは暗闇の中で鉛筆と紙を手探りし、『母なるカーリー』という詩を書くと、そのまま力尽きて倒れました。
星々は消え、雲が雲を覆い
闇は振動し鳴り響く。
ほえたけり渦巻く風は、
いく百万の狂える魂であり
牢獄より放たれ、
木々を根こそぎもぎりとり
すべてのものを道から一掃する。
海は騒ぎ立ち、山なす波を巻き上げて
暗黒の空に届く。
青白い稲妻の閃きは、四方八方に
汚れた黒き幾千もの死の影を現わす。
疫病と悲哀をまき散らし、喜びに狂い踊りながら
来たれ、母よ、来たれ!
恐怖は汝の名前であり
死は汝の呼吸であり
ふるえる歩みの一歩一歩が
永久に世界をうち砕く。
汝よ、時よ、万物の破壊者よ
来たれ、おお、母よ、来たれ!
悲惨をあえて愛し
死の影を抱きしめ
破壊の踊りを舞踏するもの
彼のもとに母は来たる。
また、あるときヴィヴェーカーナンダは、廃墟と化した寺院の中にある、カーリー女神の像を見つけました。それはイスラム教徒によって破壊されたのでした。それを見た彼は言いました。
「どうして人々は不屈の反抗もできずに、このような冒涜を許したのか。もしわたしがそのときここにいたならば、このようなことは決して許さなかったでしょう。わたしは母なる神を守るために、命を投げ出したでしょう」
そのとき、母なるカーリーの言葉が、ヴィヴェーカーナンダの耳に、はっきりと聞こえました。
「信仰心のない者がこの寺院に入ってきて、わたしの像をけがしてもかまわない。あなたにとってそれはどれほどのことでしょう。あなたがわたしを守るのですか? それともわたしがあなたを守るのでしょうか?」
この体験に言及して、ヴィヴェーカーナンダは弟子たちに言いました。「わたしの愛国心はすべてなくなりました。今はただ『マー! マー!』があるのみです」
信者への手紙には、次のように書きました。「シヴァ神よ、シヴァ神よ、わたしの船を向こう岸に運んでください。
わたしはもはやドッキネッショルのバンヤンの木の下で、ラーマクリシュナの素晴らしい言葉をうっとりと聞き入っていた少年にすぎません。……他はすべてつけたしです。………今は、師の呼ぶ声のみが聞こえます。行きます。愛する神よ、わたしは行きます」
ここに、ここに、ブラフマンがいます!
ある日、ヴィヴェーカーナンダは、ベルル僧院の庭の、マンゴーの木の下に作られたベンチに座っていました。彼の周りで出家僧たちは忙しげに日常の義務を行っていました。
出家僧の一人が大きなほうきで庭を掃いていました。兄弟弟子のプレーマーナンダが、沐浴を終え、礼拝のために礼拝堂への階段を上っていたとき、突然、ヴィヴェーカーナンダが感動に震えながら言いました。
「ブラフマンを求めてどこに行くのですか? ブラフマンはすべてのものに内在しています。ここに、ここに目に見えるブラフマンがいるのだ! 目に見えるブラフマンを無視して、他のものを追い求めるとは、恥を知りなさい!
手にした果物と同じようにはっきりと、あなたの前に、ここに目に見えるブラフマンがいます! あなたには見えないのですか? ここに、ここに、ここにブラフマンがいます!」
このヴィヴェーカーナンダの言葉は、電気ショックのように、その時その付近にいた人々を突き刺しました。15分間ほど、彼ら全員がまるで石になったかのように、その場に固まっていました。
出家僧の手のほうきは止まりました。プレーマーナンダは恍惚状態になりました。そこにいた誰もが、言いようもない心の安らぎを経験しました。
また、ある日、兄弟弟子の一人が、全く偶然に、何気なく、ヴィヴェーカーナンダに尋ねました。「あなたはもう、自分が誰であるかをご存知ですか?」
ヴィヴェーカーナンダは答えました。「はい、知っています」
この回答を聞いて、そこに居合わせた人々は皆、恐れました。かつてラーマクリシュナは、「ナレンドラが自分が誰なのか分かったら、彼はヨーガによって肉体を捨ててしまうだろう」と予言していたからです。
皆は沈黙し、それ以上ヴィヴェーカーナンダに質問することはありませんでした。
ヴィヴェーカーナンダの最期の日
1902年7月4日の早朝、ヴィヴェーカーナンダは礼拝堂に入ると窓を閉じ扉のかんぬきをさし、ただ一人で3時間瞑想しました。そしてカーリー女神に捧げる美しい歌を歌いながら聖堂の階段を下りてから、こうつぶやきました。
「もしもう一人のヴィヴェーカーナンダがいたら、彼は、このヴィヴェーカーナンダがなしたことを理解しただろう。そして時が来れば、多くのヴィヴェーカーナンダが生まれてくるだろう!」
正午には、ふだんは自室で一人で食べていましたが、この日は弟子たちと食事を大いに楽しみました。食後には3時間のサンスクリット文法を講義して、それからプレーマーナンダと3キロほど散歩しました。
夕方、礼拝の鐘が鳴ると、ヴィヴェーカーナンダは自室に行き、数珠を繰りながら一人で1時間瞑想しました。彼は数珠を手にしたまま、ベッドに横になりました。1時間後、寝返りをして、非常に深く呼吸をしました。1、2分後、再び非常に深い呼吸をしました。
それが最後の息でした。彼の眼は眉間に寄り、神性な表情を浮かべていました。鼻孔と目に血がにじんでいました。これは伝統的なヨーガの考えによると、ヨーギーが高い世界へ行った証だとされています。享年39歳の若さでした。
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