【名脇役】ヨーガーナンダの生涯(終)

Ramakrishna world

【ヴィヴェーカーナンダ、胸の内を明かす1】

欧米から帰国したヴィヴェーカーナンダはただちに救済活動を開始しました。しかし兄弟弟子たちの多くは彼の救済活動には無関心でした。彼らは孤独に難行苦行を実践し、世間から離れて静かな生活を送ることを望んでいたのでした。

欧米での経験から、ヴィヴェーカーナンダは、インド社会の欠点の一つは組織化の欠如であると考えていました。彼は兄弟弟子たちに救済活動のための組織『ラーマクリシュナ・ミッション』の発足を呼びかけました。その際、反対の声をあげたのがヨーガーナンダでした。

リーダーであるヴィヴェーカーナンダに対しても、ヨーガーナンダは持ち前の批判精神を発揮したのです。彼はかつて師ラーマクリシュナを完全に受け入れるまで、その批判的な視点で何度も観察したくらいです。彼は、愛する兄弟弟子でさえも手加減はしませんでした。

ヴィヴェーカーナンダは一見、師を表に出すことなく、自分のやり方で救済活動をしているように見えました。ヨーガーナンダはその点を質しました。「聖ラーマクリシュナは皆に、世俗を放棄し、全エネルギーを神の悟りに捧げることを望まれていた。しかしスワミジ(ヴィヴェーカーナンダ)は師の教えから逸れ、自らの決断で組織を発足させようとしている」と。

この言葉はヴィヴェーカーナンダを立腹させ、彼が胸に秘めた師への熱い想いを吐露させました。「わたしは、あの霊的巨人、聖ラーマクリシュナの教えに手を加えるにはあまりにもちっぽけな人間なのだ」。ヴィヴェーカーナンダは万感をこめて言いました。

聖ラーマクリシュナがお望みになれば、一握りのちりから百万のヴィヴェーカーナンダを創ることができる。しかし師はわたしを、彼のミッションを遂行するための道具としてお創りになられた。それだからわたしは、師のご意志以外のいかなる意志も持ち得ないのだ

この驚嘆すべき師への信仰は、ヨーガーナンダの批判的精神を屈服させました。ラーマクリシュナ・ミッションが発足した時、ヴィヴェーカーナンダが総長に、そしてヨーガーナンダは副総長に就任したのです。

【ヴィヴェーカーナンダ、胸の内を明かす2】

過去に前例のないヴィヴェーカーナンダの救済活動が、いつも兄弟弟子に理解されたわけではなく、彼らの衝突はたびたび繰り返されました。兄弟弟子の一人は、ヴィヴェーカーナンダをこのように非難しました。「あなたはアメリカにおいて、ラーマクリシュナについて説くことはなかった。あなたはただ自分の考えを説いただけだ」

それに対してヴィヴェーカーナンダは率直に答えました。「人々には、まず最初にわたしを理解してもらいます。そうすれば、彼らも聖ラーマクリシュナを理解するでしょう」

この出来事から二年後、「師の教えを説かずに、働き、講演し、貧しい人と病人に奉仕してまわることに自分たちを駆り立てる」と別の兄弟弟子がヴィヴェーカーナンダを非難しました。

この時も、議論の口火を切ったのはヨーガーナンダでした。「師は神への愛のみを強調された。だから、愛国的仕事のために施設などを作るのは、欧米の影響を受けたヴィヴェーカーナンダ独自の考えである」と。

最初のうちは双方とも気軽に意見を述べ合っていました。しかしヴィヴェーカーナンダは次第に真剣になり、厳しくなり、堂々とこう言い放ちました。

「あなたはわたしよりも聖ラーマクリシュナを深く理解しているとでも思っているのか! 神の叡智は、心の最も優しい働きを殺してしまうような干からびた知識だと思っているのか!

あなたのいうバクティは、人を無力にする、感傷的で愚かなものです。あなたは自分が理解した聖ラーマクリシュナを説こうとしている。しかしその理解は浅いものだ! そんなものは振り棄てなさい!

あなたのラーマクリシュナなんかに、誰が目を輝かせますか? あなたのいうバクティや解脱に、誰が注意をむけますか? あなたの聖典が述べることに、誰が耳を傾けますか?

もしわたしが無智、迷妄に沈んでいるわが同朋を、自力で起き上がるように目覚めさせ、そしてカルマ・ヨーガの精神によって彼らを奮い立たせることができるならば、わたしは喜んで千の地獄にも落ちていこう。

わたしはラーマクリシュナの、また誰の信奉者でもなく、自己のバクティや解脱に心を奪われる者でもありません。ただ他人のために奉仕し、援助する人の信奉者です!」

感情の高まりでヴィヴェーカーナンダ声は詰まり、体は震え、目は燃えるように輝いていました。そして彼は隣の部屋へ消えました。兄弟弟子たちが心配して見に行くと、彼は半ば閉じた眼に涙を浮かべて、瞑想にふけっていました。

1時間ほどしてヴィヴェーカーナンダは、再び兄弟弟子たちのところに戻ってきました。彼は言いました。

わたしは圧倒されずに、聖ラーマクリシュナのことを思ったり語ったりすることはできません。だからいつもジュニャーナ(智慧)の鉄の鎖で自らを縛りつけようと努めています。なぜなら、母国のための仕事がまだ終わっていないし、世界へのメッセージがまだ十分に伝えられていないからです。

神への愛の感情が湧き出て、自分がそれに没入しようとしているのに気づくと、わたしはそれを激しく鞭打ち、厳しいジュニャーナによって、自分を石のように堅固にします。

ああ、わたしにはなさねばならない仕事があります。わたしはラーマクリシュナのしもべです。師は、なすべき師の仕事をわたしに残した。

その仕事を終えるまで、わたしに休息は与えられません。ああ、わたしは師のことをどのように話せばよいのだろう。わたしに対する師の愛を!」

ヨーガーナンダの批判的発言がきっかけで、兄弟弟子たちはヴィヴェーカーナンダの真意を理解できました。彼の師に対する愛ははるかに深く、彼が心の奥に純粋なバクティを持ち、またラーマクリシュナが彼を通じていかに仕事をされているかを知りました。ヨーガーナンダたちは、ヴィヴェーカーナンダの高ぶる感情を和らげるために、彼を外へ誘いました。

この一件があってから、兄弟弟子たちはヴィヴェーカーナンダを非難することをやめました。そして彼らもまた、苦しむインドや世界の人々のための奉仕に全力を注ぐようになったのです。

ヨーガーナンダの最期

ヨーガーナンダの残された人生は残りわずかとなりました。病気で彼の身体が衰弱してしまい、ホーリーマザーへの奉仕が十分に果たせなくなりました。そこで一人の若い出家僧(後のディラーナンダ)が彼の代役として、マザーの身辺の御用を務めるようになりました。

ホーリーマザーがカルカッタにいるときには、たくさんの女性たちがホーリーマザーと彼女に仕える若い出家僧のもとに集まりました。この状況を見たヴィヴェーカーナンダはヨーガーナンダを咎めました。

「彼の純潔の誓いが危険にさらされたら、一体誰が責任を取るのか?」

「わたしだ!」という答えがヨーガーナンダ即座に返ってきました。

「わたしは彼のために自分のすべてを犠牲にする覚悟でいる!」

その言葉が非常に誠意をもって発せられたので、ヴィヴェーカーナンダも、他の誰もヨーガーナンダに反論できませんでした。

ヨーガーナンダの容態は日増しに悪くなり、彼の苦しみはついに終わりを告げました。1899年3月28日、彼はこの世を去りました。享年37,8歳の若さでした。ラーマクリシュナの出家した直弟子たちの中で、最初に師に出会ったのがヨーガーナンダであれば、最初に師の御許に帰ったのもヨーガーナンダでした。

死の直前に彼は口にしました。「わたしのジュニャーナ(智慧)とバクティ(信愛)はあまりにも大きくなってしまい、わたしにはそれらを言い表すことはできない」と。

その厳粛な瞬間に枕もとにいた兄弟弟子のアドヴァイターナンダは、「わたしたちは突然、高い状態にある命の流れを強く感じた。魂が肉体に宿っていた時よりもっと高い、もっと自由な、超意識になっていることをはっきり理解した」と語りました。

ヴィヴェーカーナンダはヨーガーナンダの逝去の様子に深く心を動かされ、しみじみと言いました。「これは終わりの始まりだ」。

ヨーガーナンダ最期の日、ホーリーマザーは足を前に投げだして涙を流していました。付き人が慰ようとすると、「今朝早く師があの子を連れにいらしたのを見たのです」と泣き出されました。

翌日、彼女は言いました。「これは建物の壁からレンガが一つ抜け落ちるようなものであり、凶兆です」。

兄弟弟子サーラダーナンダは次のように述べました。「ラーマクリシュナ僧団の中でも、サマーディを経験し、激しい放棄と智慧と信仰を兼ね備えている彼のようなヨーギーは珍しい」。

ヨーガーナンダの身近にいた出家僧の一人は、次のように書いています。「彼は実に偉大な聖者だったので、わたしのような最年少の者でさえ、彼のいる僧団に自分も属していると思うと畏敬の念に満たされるのです」

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