【炎の献身者】ラーマクリシュナーナンダの生涯(2)

Ramakrishna world

【ラーマクリシュナの最期】

1886年8月15日、ラーマクリシュナは食欲もあり、上機嫌に見えました。午後にはヨーガについて質問した信者と2時間ほど話をしました。

その後、シャシは医者を連れてくるために11キロを走りました。医師の家は留守でしたが、別の場所にいると聞き、さらに走りました。医師は他に約束があると言いましたが、シャシはおかまいなく彼を引っ張って連れて行きました。

その夜、ラーマクリシュナはこれが最後になる会話を弟子たちとしました。夕食には乳粥を半分も食べました。

ラーマクリシュナは喉を指さし「ここには小さな何かがある。わたしの中に二人いる」と言いました。「一人は母なる神、もう一人は信者である。病気になったのは信者の方だ」

少し熱があったので、師は扇ぐように頼みました。そこで10人ばかりが一斉に、ヤシの葉で師を扇ぎ始めました。ラーマクリシュナは5つか6つの枕によりかかってベッドに座っていました。シャシはその大きな体で枕と師を支え、同時に師を扇いでいました。

ナレンドラ(後のヴィヴェーカーナンダ)は師の足をさすっていました。ラーマクリシュナはナレンドラに「この子たちを頼んだよ」と何度も繰り返しました。それから彼は横になりました。

8月16日午前1時6分、ラーマクリシュナはハッキリとした声で、最愛のカーリー女神の名を三度唱えると、深いサマーディーに入りました。突然ラーマクリシュナの頭が枕から落ちました。彼の喉から低い音が発せられ、体中の毛が総立ちになるのをシャシは見ました。

ナレンドラはその光景に耐えきれなくなって階下へ走りました。医師はラーマクリシュナの脈が止まっているのを診て、声をあげて泣き始めました。シャシは状況を察し、階下にいる人たちを呼び寄せました。

弟子たちは、それはいつものサマーディーだと信じていました。ナレンドラが戻ると20人ばかりで一緒にマントラ「ハリ・オーム」を唱えました。師がサマーディーから戻ってくるように繰り返し唱えました。彼らの願いも叶わず、師の肉体は再び生命のしるしを見せませんでした。

午前2時、医師は臨終を宣告しました。

ラーマクリシュナの喜び

師ラーマクリシュナの死後、シャシは極度の意気消沈にありました。ナレンドラは兄弟弟子たちの家を訪問し、師の放棄の教えを説き続けました。しばらくして、バラナゴルの一軒の貸家で僧院が発足し、ラーマクリシュナの若い弟子たちが集まり始めました。シャシもその一人でした。

若者たちの親がバラナゴル僧院にやってきて、彼らを家に連れ戻そうとしました。シャシの父親もやってきましたが、シャシは断固拒否しました。「わたしにとって、世間や家庭は、虎の群がるところと同じです!」

シャシの家は貧乏でした。学業優秀なシャシは、奨学金を得て大学に通っていました。シャシが大学を卒業したら、金を稼ぎ家族を貧困から救ってくれると、両親は期待していました。しかしシャシは世俗を放棄しました。両親のことを思うと彼の鋭い心は痛みました。

たびたび目に涙を浮かべて、シャシは兄弟弟子に話しました。「自分の義務に関して、わたしはどうしたらよいかわからない。ああ、わたしは両親に仕えられなかった。まったく彼らの役に立てなかった。両親はどれほど大きな期待をわたしにかけていたことか! 

貧しさのために母はひとつの宝石も持っていなかった。わたしは、彼女に何か買ってあげたかった。だが今はその願いも全部、叶わぬものとなった。しかし家に帰ることはできない。師が『愛欲と金を捨てよ』とお命じになったのだ」 

その後、若者たちは、正式に誓いを立てて出家修行僧になりました。シャシには何と『ラーマクリシュナーナンダ(ラーマクリシュナの喜び)』という最上級の名前がナレンドラから与えられました。実はナレンドラ自身がその名前を名乗りたかったのですが、師への比類のない献身ゆえに、シャシこそが相応しいと考えたのです。

ラーマクリシュナーナンダ(1863-1911)

バラナゴル僧院での日々

バラナゴル僧院の財源は乏しく、しばしば食べ物がない日もありました。何カ月もの間、ビンバというつる科の草を煮たものと、米と塩だけで過ごしていました。

彼らは腰布二枚と普通の布一枚と共用の外出着を数着しか持っていませんでした。夜は筵の上でレンガを枕にして眠りました。

ラーマクリシュナの若き弟子たちは、一心不乱に神の悟りを探求しました。瞑想、祈り、讃歌、聖典の学習などの修行に燃え、彼らは食事や肉体のことには無頓着でした。 

そんな兄妹弟子たちと全く異なるモードにあったのが、ラーマクリシュナーナンダでした。彼は兄弟弟子たちが飢えないように様々な世話をしたのです。彼らの生活費のために、短期間でしたが校長として仕事に出たこともありました。

彼は兄弟弟子たちに言いました。「君たちは修行に専念してくれればいい。他のことは心配しないでくれ。わたしが托鉢をして僧院を守っていくから」

ヴィヴェーカーナンダ(ナレンドラ)は、バラナゴルでの日々をこう述懐しています。

「シャシが理想に向かう姿勢は、何と揺るぎないものであったか! 彼はわたしたちの母であった。わたしたちの食べ物を何とか手に入れてくれたのは、彼だった。

わたしたちはいつも3時に起きた。それから皆は、ある者は沐浴をすませてから、礼拝室に行き、ジャパと瞑想に没頭した。瞑想が午後4時か5時まで続くこともたびたびだった。

シャシは夕食を作って待っていてくれた。必要とあれば、ものすごい力でわたしたちを瞑想から引きずり出したものだった」

ラーマクリシュナーナンダの変わらない師への献身

師が肉体を去っても、ラーマクリシュナーナンダにとって、師の存在は常にリアルでした。彼は、師の遺骨に対して、生きているときと変わらない熱意をもって奉仕しました。彼は日々の礼拝用の水をガンジス河から汲み、祭壇の器を磨き、花を集め、師の食べ物の供物を用意しました。

ラーマクリシュナ―ナンダは、日夜、いかに最高の供物を捧げ、最高の礼拝を執り行なうかに集中しました。彼の礼拝の時には、全員が師の存在をはっきりと感じました。白熱した彼は最後にこう叫びました。「師に勝利あれ! 師に勝利あれ!」

ある日、ラーマクリシュナーナンダが兄弟弟子のサッチダーナンダに、祭壇に捧げる師の歯ブラシとして、新鮮な木の小枝を取ってくるように頼みました。

サッチダーナンダは、小枝の先端の片方を打って柔らかい繊維状にして歯ブラシにすることを知りませんでした。だから彼は小枝を打たず、そのまま持ってきました。

師に朝ご飯を捧げ終えた時、ラーマクリシュナーナンダは怒り心頭で、彼に駆け寄りました。

「このろくでなし! 君は今日、師の歯茎を血だらけにした!」

そこに居合わせたアドブターナンダは叫びました。

「兄弟! 何を見てるんだ!? 逃げなさい!」

状況を把握できずに呆然と突っ立っていたサッチダーナンダは飛んで逃げ、事態はすぐに鎮静化しました。ラーマクリシュナーナンダは他の枝をしっかり叩いて、柔らかい繊維状にし、前の歯ブラシは捨てました。

やがて兄弟弟子たちはみな僧院を離れ、放浪修行の旅に出ました。しかしラーマクリシュナーナンダだけは別でした。彼は12年にわたり、師の遺骨が祀られている僧院から離れませんでした。

放浪する兄弟弟子たちがいつでも帰れるように、師の遺骨と僧院を守るのが、彼が自らに課したミッションだったのです。ラーマクリシュナーナンダにとって師の遺骨があるこの場所以上の聖地は、どこにもなかったのです。

多年にわたって、ラーマクリシュナーナンダは揺らぐことない情熱を持って、日々の礼拝を執り行いました。    

秋の母なる神の祭典では、24時間連続の礼拝を行います。通常、この長時間の礼拝は何人かの僧侶で分担します。

しかしラーマクリシュナーナンダは祭典の朝6時に祭壇の前の席に着くと、その席を動くことなく翌朝の6時までとどまり続けました。それは他の偉大な兄弟弟子たちにとっても、驚嘆すべきことでした。

ある信者が彼に、「どうしてそんなことが出来るのですか?と尋ねました。するとラーマクリシュナ―ナンダは穏やかにこう答えました。

献身は、どんなことでも可能にするのです

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