アドブターナンダの生涯(4)ラーマクリシュナの最期とホーリーマザーとの聖地巡礼

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ラーマクリシュナの最期とラトゥの奉仕

1885年、ラーマクリシュナは咽頭癌を患い、治療のためにコシポルのガーデンハウスに移りました。若い弟子たちは住み込みで師の看病をしました。ラトゥもその一人でした。

ある日ラーマクリシュナは言いました。「やがて衰弱のために、自分で用を足すこともできなくなるだろう」。これを聞いた信者たちは深く心を痛め、暗いムードになりました。

そのときラトゥは恭しく合掌して言いました。「師よ、わたしがおります。わたしはあなたの掃除人です。わたしが何もかもお世話いたします

彼の言葉にみんなは感動しました。しかし同時にこのセリフは子供のように舌足らずで、訛りが強かったため、ラーマクリシュナと信者たちは大笑いしました。

ラーマクリシュナは寝る前に「ハリ・オーム・タット・サット(主よ、あなただけが実在です)」のマントラをよく唱えていました。最後の晩、ラトゥが扇であおいでいるときも師はそれを唱えていました。

夜の11時、ラーマクリシュナはサマーディに入りました。ナレンドラ(後のヴィヴェーカーナンダ)は兄弟弟子たちに「ハリ・オーム・タット・サット」を唱えてくれと頼みました。彼らは1時近くまでマントラを唱え続けました。

すると師がサマーディから戻ってきました。それから師はシャシ(後のラーマクリシュナーナンダ)が介助したプディングを少し召し上がりました。

突然、ラーマクリシュナは再度サマーディに入りました。そしてついに肉体を捨てました。1886年8月16日のことでした。

愛する師ラーマクリシュナが亡くなり悲しみを抱えたラトゥは、しばしばナレンドラの家に行きました。ナレンドラは、師にまつわる多くの話を詳しく彼に語りました。

ラトゥは彼に言いました「兄弟ロレン(ラトゥはナレンを訛ってこう呼びました)、ざっくばらんに言うが、師はあなたを愛していたので、あなたがいなければ生きていくことはできなかった」

するとナレンドラは笑って返答しました。「兄弟よ、心配しなくてもよい。彼は君も、シャシも、ラカールも、非常に愛しておられた。

だから彼はこれからも常に君たちのそばにいるだろう。君たちに比べれたら、わたしはほんのわずかしか師にお仕えしていなかった!」

ホーリーマザーとの巡礼の旅

サーラダー・デーヴィー(ホーリーマザー)が再び平安を見い出すように、ラーマクリシュナの在家信者バララーム・ボースは、彼女を巡礼の旅に誘いました。サーラダー一行は北インドの聖地をまわりました。ラトゥもお供しました。

ラトゥは食事の時間が不規則でした。彼の特性として時間の概念が極めて希薄だったのです。

彼はよく時ならぬ時刻にサーラダーや付き人のところにやって来て、「食べ物をください」と頼みました。そのうえ、ラトゥは何匹かのサルにも彼の分を与えていました。

付き人の女性たちはこれを嫌がっていました。しかしサーラダーはラトゥのそばに座り、愛情深く彼の面倒を見ていました。彼女はラトゥの心が繊細であることをよく知っていました。サーラダーは付き人に頼み、ラトゥが好きな時に食べられるように、ラトゥの食事に蓋をして取っておきました。

あるときラトゥの姿が見えなくなりました。サーラダーはとても心配しました。それから三日後、ラトゥはニコニコしながら忽然と姿を現わしました。

彼は「ヤムナー川のほとりにいました」と言い「すごくおなかがすきました。食べ物をください」と子供のようにねだりました。

サーラダーはすぐに食事を与えました。ラトゥはそれを食べるとすぐにいなくなりました。サーラダーは言いました。「ラトゥは本当に変わった子ねぇ!」

幽霊屋敷、バラナゴル僧院

ラーマクリシュナが逝去した後、若い弟子たちは出家修行僧になりました。リーダーのナレンドラは、ラトゥに『アドブターナンダ』という出家名を与えました。

これは「たぐいまれな喜び」という意味です。バラナゴルに一軒の屋敷が借りられ、彼らはそこで修行に励みました。

このバラナゴル僧院の様子を、ナレンドラの弟が次のように描写しています。

「僧院は、とても古くて荒廃していた。一階の部屋の床は陥没しており、ある箇所では地面の下まで沈み込んでおり、蛇やジャカルの住みかになっていた。二階への階段の踏み板の半分はなかった。

二階の部屋の床は、ある所もあり、ない所もあって、床下の礎石がむき出しだった。扉の雨戸と窓の大部分は失われていた。

屋根の垂木のほとんどが落ちており、屋根瓦は割れた竹で支えられていた。僧院の周囲はイバラで覆われていた。おまけに幽霊屋敷という噂通りに本当にお化けが出た」

出家僧たちは自らを「シヴァ神に仕える幽霊たち」とおどけて呼んでいました(シヴァ神は幽霊を家来にしていました)。

ラーマクリシュナの遺骨や師の遺品は聖堂に保管され、日々礼拝されました。ベッドなどなく彼らはみな床で寝ていました。

ある日、アドブターナンダのかつての保護者であった叔父と思しき男が、僧院にやって来て「故郷の村を一度訪れてほしい」と言いました。

アドブターナンダは彼がよく使うフレーズで返答しました。「あなたは自分のダルマ(務め)を行いなさい。わたしは自分の道を知っています」

その男は重い心持ちで僧院を去りました。兄弟弟子たちは「彼は本当に君の叔父さんなのか?」と尋ねました。アドブターナンダは答えました。「この僧の叔父はみんな死んだよ 」

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