デーヴァダッタの慢心
デーヴァダッタはシッダールタ王子(後のブッダ)の従兄弟で、少年時代は、王子の遊び友だちでした。またブッダの侍者アーナンダとは兄弟です。シッダールタがブッダとなってカピラヴァストゥへ凱旋した後、デーヴァダッタは、ほかの釈迦族の若者たちとともに仏教僧団に入りました。
デーヴァダッタは釈迦族王家の血筋からくる威厳と才知を持ち合わせ、しかも雄弁でした。彼はサーリプッタら高弟たちが一目置くほどで、コーカーリカーやカタモーダカティッサ、カンダデーヴィヤープッタ、サムダダッタなど多くの側近が彼についていました。
ブッダが伝道布教を始めて37年目、ブッダ72歳のとき、デーヴァダッタはマガダ国の王子アジャータシャトルに近づき、種々様々な神通力を示しました。これにより王子の心をとらえ、その日から師として崇敬を受けるようになりました。
以来、王子から日を空けずにたくさんの施物がデーヴァダッタの本拠地ガヤーシーサに届けられ、弟子の数も急増しました。この成功によりデーヴァダッタは高慢となり、血筋から言ってもブッダの後継者は自分であり、この国最大の教団を率いることは自分の運命であると考えるようになりました。
デーヴァダッタがブッダに引退を勧告する
ある日、ブッダが王や民衆の前で説法している最中、デーヴァダッタは立ち上がりました。上衣を左肩にかけ直し、固く握りしめた両手を挙げて、ブッダに対して次のように進言しました。
「世尊、私はアジャータシャトル王子をはじめ従者たちを私の弟子としました。ビンビサーラ王は高齢であり、アジャータシャトル王子の即位が近いことは明らかです。その暁には、私は世尊と同様、マガダ国王の師となるわけです。
世尊、あなたもすでに高齢になられました。今こそ、世尊は隠居され、余生を安穏にお過ごしください。そして教団の指導を私に引き渡されますように。私は力と若さを持って、教団を新たな時代へと導く準備ができています」
ブッダはデーヴァダッタの提案を静かに退けました。
「デーヴァダッタよ、そなたは思い違いをしている。この世における地位や階級に囚われることは出家修行者にふさわしくない。教団を率いるという野望を抱いてはならない。
デーヴァダッタよ、私の弟子の中にはサーリプッタやモッガラーナのような偉大な解脱者たちもいる。それなのに私の後を狙うような卑しい者に、どうして教団を任せられようか」
デーヴァダッタは大衆の前で己を辱められたとして、腹を立て不機嫌になりました。彼はブッダに敬礼した後、その場を去りました。
デーヴァダッタがブッダに五つの新しい戒律を進言する
デーヴァダッタは、自身の権威を確立するために新たな戦略を取りました。彼は側近たちとともに意気揚々とブッダのもとへ赴き、今度は次のような進言を持ち出しました。
「尊き師よ、私は比丘たちの修行をさらに厳格化するために、五つの新しい戒律を提案いたします。
- 比丘は生涯、林に住むべし。村に住んではならない。
- 比丘は生涯、托鉢し、在家の接待を受けてはならない。
- 比丘は生涯、糞掃衣(ボロを縫い合わせた衣)を着るべし。在家から布施された衣を着てはならない。
- 比丘は生涯、樹下で瞑想すべし。屋舎に入ってはならない。
- 比丘は生涯、魚肉を食してはならない 」
ブッダはこれらの提案を明確に否定しました。
「デーヴァダッタよ、比丘たちの修行は、外形的なルールに拘泥することではない。樹下でも屋内でも、糞掃衣でも供養された衣でも、それらのことに囚われる必要はない。
これらの苦行をそなたが自発的に行うことは構わない。むしろ私はそれをほめている。だが、それを比丘たちに強制すべきではない。衣食住に溺れない限りは、苦行に専念する必要はない。よって私はこの五つの戒律の要求に応じない」
デーヴァダッタはニヤリと笑いました。それから、彼は追従者とともに立ち上がり、ブッダに敬礼しその場を後にしました。
その後デーヴァダッタらは、ブッダが聖なる五つの戒律を否定したというニュースを広め、自分たちは真の戒律を遵守しているとアピールしました。
デーヴァダッタが仏教僧団の分裂を引き起こす
ある日、デーヴァダッタは、新しく仏教教団に出家したばかりの五百人の比丘を集め、「ブッダの指導は生ぬるい! ブッダは着物も軽いものをつけ、方々からご馳走を受けて、もう昔の気力はなくなっている。僧団も内から腐りかけている」と非難し、巧みな弁論を展開しました。
最後に「私が提唱する五つの新しい戒律を守らない限りは、悟りを開くことは不可能だ。さあ、我に従え!」と熱く彼らを誘導し、そのまま彼の本拠地ガヤーシーサへ引き連れてしまいました。デーヴァダッタは仏教僧団の分裂を引き起こしたのです。
その数日後、サーリプッタとモッガラーナがふらりとガヤーシーサにやってきました。デーヴァダッタはそのとき、比丘たちで膨れ上がった集会の中央に坐り熱弁をふるっていました。そして二人を見て歓迎しました。デーヴァダッタは己の野心に目がくらみ、ブッダの高弟までもが自分の傘下に入りに来たのだ、と思い込んだのです。
これまでの暗躍と、新しい弟子たちへの連日の指導からか、この日のデーヴァダッタはひどく疲れを感じました。彼はサーリプッタに説法の代役を頼むと、そのまま眠気に耐えかねて眠りこけてしまいました。実はこれは密かに行っていたモッガラーナの神通力によるものでした。
サーリプッタは、深い洞察と智慧を持って比丘たちに語りかけ、ブッダの教えの真の意義を説きました。いかにデーヴァダッタの話術が素晴らしくても、『智慧第一』のサーリプッタの説法はまさに別格でした。やがて比丘たちは真理の光を見出し始めました。
「すべて生じる性質のものは、滅する性質のものである」
そうして五百人の新参の比丘たちは、ブッダの教えの崇高さに気づかされたのです。サーリプッタとモッガラーナは、彼らを竹林精舎へ連れて帰りました。デーヴァダッタの側近たちが抗議して何か叫んでいましたが、これも『神通第一』のモッガラーナが抑え込んでしまいました。
デーヴァダッタをコーカーリカがたたき起こし、事態を知らせました。何が起こったのかを理解すると、デーヴァダッタは血相を変えて怒り狂い、そのショックから病に倒れました。
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