ラーマクリシュナが愛と信仰を捧げた神、【カーリー女神】の物語

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はじめに

ラーマクリシュナは、カーリー女神に深い愛と信仰を捧げました。彼は痛烈なあこがれと極限の熱意で女神を悟ったのです。その後、ヒンドゥー教のさまざまな宗派やイスラム教、キリスト教においても最高境地に到達しましたが、カーリー女神への愛は彼の生涯を通じて続きました。

それでは、このカーリー女神とはどのような神様なのでしょうか? 本稿では、インドの主な神々とカーリー女神を簡単に解説し、カーリー女神の神話をご紹介します。さらに、ラーマクリシュナとカーリー女神のエピソードもまとめてみます。

知っておきたい! インド(ヒンドゥー教)の主要な神々

カーリー女神を紹介する前に、インドの主要な神々について押さえておきましょう。まずはヒンドゥー教の三大神、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァから始めます。

ブラフマー(Brahma)

宇宙の創造神。通常、四つの顔を持ち、東西南北の全方位を見渡す能力を象徴しています。また、彼は経典や数珠、水壺を持ち、神官(バラモン)の姿をしています。

インド古典哲学の根本原理ブラフマンを神格化した存在ですが、神話が発達せず、ヴィシュヌやシヴァほどの信仰を集めていません。日本では梵天ぼんてんとして知られています。

ヴィシュヌ(Vishnu)

宇宙の維持王族の衣装を身にまとっています。必要に応じて化身(アヴァターラ)として地球に降り立ちます。特にラーマクリシュナが有名です。ラーマクリシュナもヴィシュヌの化身の一人であると信者から信じられています。

シヴァ(Shiva)

インダス文明のモヘンジョダロから、瞑想の姿勢をとるシヴァらしき印章が出土して、ヨーガの起源ではないかと言われています。

シヴァは宇宙の破壊神。この破壊は否定的な意味合いではなく、再生のための宇宙のサイクルの一部とされています。シヴァは灰を身体に塗りつけ瞑想するヨーギー(ヨーガ修行者)やナタラージャ(宇宙のダンスを踊る姿)として描かれることがあります。ヨーガや舞踊、武術の開祖とされています。 

他にも人気のある神々をピックアップしましょう。

女神たち(Devi)

ヴィシュヌやシヴァに加え、女神たちも多くの信仰を集めています。主な女神としてラクシュミー(豊穣と繁栄の女神)、サラスヴァティー(学問と音楽の女神、弁財天に相当)、ドゥルガー(シヴァの妻パールヴァティの戦闘形態)、カーリー(パールヴァティの狂気の形態)などが有名です。

ガネーシャ(Ganesha)

日本でもよく知られている、頭が象で身体が人間の神様です。障害を取り除く神として、新しい始まりや重要な出来事の前に祈りを捧げることが一般的です。

ハヌマーン(Hanuman)

猿神の勇者で、『西遊記』の主人公『孫悟空』のモデルとされています。叙事詩『ラーマーヤナ』では、ラーマ神に仕えて大活躍します。

これらの神々はヒンドゥー教の教義や神話の中で重要な役割を果たしており、インド文化や宗教、ヨーガにおいて非常に重要な存在です。彼らの物語は古代の聖典や伝説に豊富に描かれており、今日でも多くの人々によって語り継がれています。

偉大なる力の女神【カーリー】とは

恐ろしい異様な姿

カーリー女神は、青黒い肌色に3つの目と4本以上の腕を持っています。彼女は武器の刀と斬首された首を持ち、牙をむき出しにした口からは長い舌を垂らしています。

さらに、ドクロや生首で作られた首飾りと、切断された腕で腰を飾っているという恐ろしい姿で描かれています。これらの特徴は、カーリー女神の凄まじい破壊力と他の追随を許さない圧倒的な強靭さ、神の聖なる暴力性を現しています。

意義と象徴

カーリー女神は破壊の女神として知られていますが、彼女の破壊は宇宙の秩序を維持し、悪や一切の障害を怒涛のごとく粉砕するためのものです。

カーリー女神は、力と強さ、迅速、勝利、怒り、変革、守護などを象徴し、信者たちは自己の意気地なさ、迷妄や、欺瞞、怨み、悪意、ものぐさな心を打ち据えて、叩き直してくれる、カーリーの強さと変化をもたらす力を敬愛しています。

カーリー女神の物語

女神信仰の聖典『デーヴィー・マーハートミャ』からカーリー女神が登場する部分を抜粋する形でご紹介します。そこでは戦闘モードの女神ドゥルガーとカーリーが悪魔たちと壮絶な戦いを繰り広げます。

悪魔のスンバと二スンバ

かつて、スンバとニスンバという二人の大悪魔がいました。二人は慢心と力によって、インドラ神(天界の王、雷神)から世界を奪ってしまいました。

神々は、かつて窮地を救った女神ドゥルガーのことを思い出し、女神を讃える讃歌を唱え始めました。讃歌に応えて女神は姿を現しました。スンバとニスンバの部下たちは雪山を輝かせる女神の姿を見て、悪魔の王に報告しました。

ドゥルガー女神

「誰も見たことのないほど美しい女神がおります。あの女神を捕らえて、お会いになってください。あなたのもとにはかつて神々のものであった多くの宝があります。あらゆる宝はあなたのもの。女性の中の宝であるあの女神を手に入れてください」

スンバはこの言葉を聞いて、女神を連れてくるよう指示しました。使者となった悪魔のスグリーヴァは、女神のもとへ行き、甘くやわらかく語りかけました。

「悪魔の王スンバは三界の支配者です。あらゆる宝は彼のもの。女性における宝であるあなたも彼のものです。さあ、彼を夫としてください」

これを聞いたドゥルガーは、微笑みながらこう返しました。

「スンバとニスンバは、たしかに三界の王であろう。ところで、私は浅はかにも誓いを立てている。『戦いで私に勝ち、私から驕りを取り除いてくださる方、私と互角の力を持つ方、その方の妻となりましょう』と。だから、スンバかニスンバがこちらに来て、私と戦って私の手を取りなさい。そのように伝えなさい」

使者の言葉を聞いた悪魔の王は「あの女神の髪を引っ掴んでおびえさせながら連れてこい」と、ドゥームラローチャナという悪魔を派遣しました。

ドゥームラローチャナは6万の軍勢を率いて女神のもとへやってきました。そして、「おとなしく悪魔王の妻となれ。そうでないなら力ずくで連れて行くぞ」と脅しました。

しかし女神ドゥルガーは「フン!」という雄たけびだけで、彼を灰にしてしまいました。負けじとドゥームラローチャナの大軍が女神に襲いかかりましたが、女神の乗り物である獅子が、悪魔の軍を蹴散らしました。

カーリーの登場

怒った悪魔の王は、チャンダとムンダという二人の大悪魔を派遣しました。大軍を率いたチャンダとムンダは、ヒマラヤ山の中腹で、獅子に乗り笑みを浮かべた女神を見ました。

彼らが女神を生け捕りにしようと近づくと、女神ドゥルガーは激しい怒りを発しました。そして眉をひそめた彼女の額から、恐ろしい形相をしたカーリー女神が、剣と縄を持って飛び出しました。

カーリーは彩り鮮やかな髑髏どくろを持ち、人間の髑髏を連ねた首飾りを身に着け、虎の皮をかぶり、口を大きく開き、舌なめずりをし、目は真っ赤で、その咆哮は天空を満たしました。彼女の肌は真っ黒だったため、「カーリー(黒い)」と呼ばれました。

カーリーは悪魔の軍団に猛然と襲いかかり、彼らをなぎ倒し、食らいつきました。象や馬、御者も戦車もなにもかもを口の中に放り込み、咀嚼そしゃくして飲み込みました。悪魔の全軍はことごとく滅びました。

恐ろしい眼をしたカーリーは、チャンダとムンダに恐ろしい矢を雨のように浴びせられましたが、彼女はそれらをすべて飲み込み、身の毛もよだつ咆哮ほうこうをあげながら、恐ろしい笑い声を発しました。

カーリーは大剣を掲げてチャンダに駆け寄り、彼の髪をつかみ、その剣で頭を切り落としました。カーリーはムンダも倒しました。生き残った軍勢は恐怖に満たされ逃げ散りました。

カーリーは、チャンダとムンダの死体をつかみ、ドゥルガーのもとへ行きました。「このチャンダとムンダを、大いなる供物としてあなたに捧げる。次はご自身で、スンバとニスンバを倒されるがよい」と言いました。

ラクタビージャの討伐

大悪魔チャンダとムンダが殺され、軍隊も壊滅させられると、悪魔の王スンバは怒りに燃えて新たな軍勢を率いて出発しました。迎え撃つドゥルガーとカーリー女神は、それぞれの弓弦の音と咆哮を響かせました。すると、男神たちの力(シャクティ)が女神の姿を取って悪魔と戦うために現れました。

ブラフマー神の力はブラフマニーとなり、マヘーシュヴァリ(シヴァ神)の力はマヘーシュヴァリとなり、軍神クマーラの力はカウマーリ、ヴィシュヌ神やヴァラーハ、ナラシンハ、インドラ神の力も女神の姿を取って現れました。ドゥルガーの身体からも、恐ろしい化身が飛び出しました。

こうして誕生した女神たちの助けを得たドゥルガーと、悪魔の軍勢との間に戦いが始まりました。女神たちは獰猛どうもうに戦い、悪魔たちを粉砕しました。悪魔の軍勢は総崩れとなり、逃げ散りました。

中でも特に強大な悪魔ラクタビージャは、彼が傷つくとその血から新たな悪魔が生まれるという特異な能力を持っていました。インドラ神の化身アインドリーがヴァジュラ(雷の武器)でラクタビージャを打ち、彼の血が大地に滴るたびに、無数の悪魔が湧き出しました。他の女神たちも彼と戦い、傷つけましたが、血が大地に触れるたびにさらなる悪魔が誕生し、世界は悪魔で溢れかえりました。

この状況を見たドゥルガーはカーリーに指示を出しました。「カーリー女神よ、ラクタビージャの血を残らずその口で受け止め、そこから生まれた悪魔を食べながら戦え」。

ドゥルガーが攻撃するたびに流れる血をカーリーは全て飲み込み、血から生まれた悪魔たちを次々と食べ尽くしました。ついにラクタビージャは力尽き、倒されました。女神たちは血に酔いしれて乱舞しました。

二スンバとスンバの討伐

その後、悪魔の王スンバとニスンバ自身が軍勢を率いて出陣しました。彼らと女神たちとの間でさらに激しい戦いが繰り広げられました。

長い戦いの末、ドゥルガーはニスンバに致命傷を与えました。ニスンバが倒れると、彼の体から精悍せいかんな男が現れ、「待て!」と叫びましたが、ドゥルガーは笑いながら彼の頭を切り落としました。

スンバはドゥルガーに挑戦しましたが、ドゥルガーとスンバの間での空中戦は、ドゥルガーの圧倒的な勝利に終わりました。スンバは力尽き、地に倒れました。

これにより世界は再び平和を取り戻しました。神々は喜び、天界では楽神ガンダルヴァたちが音楽を奏で、天女アプサラスたちが踊りました。ドゥルガー女神の勝利により、善が悪に打ち勝ち、正義が回復されたのです。

なぜカーリーは、シヴァ神を踏みつけているのか?

『デーヴィー・マーハートミャ』の記述ではここで一つ切りですが、カーリー女神の外伝が以下のように伝承されています。

勝利に酔ったカーリーが踊り始めました。そのあまりのステップの激しさに大地が粉々に砕けそうになりました。誰もカーリーを止めることができません。

そこでシヴァ神が身を挺してカーリーの足元に横たわりました。カーリーは夫シヴァを踏みつけて我に返り、ペロリと長い舌を出しました。

そんなカーリーの姿が多くの絵や像で表現されています。

ラーマクリシュナとカーリー女神

ラーマクリシュナとカーリー女神の出会い

ラーマクリシュナは、20歳から生涯のほとんどをコルカタ郊外のドッキネッショル寺院で過ごしました。この美しい寺院の本尊はカーリー女神です。

この寺院を建立したのは、ラニ・ラスモニという徳の高い大富豪の女性でした。彼女はシヴァ神と母なる神に特別な祭祀を行いたいと、ヴァーラナシーに参拝する準備をしていました。

しかし、その前夜、彼女の夢にカーリー女神が現れ、「ヴァーラナシーに行く必要はない。ガンガー河畔の美しい場所に私の石像を安置し、毎日供物を捧げて祭祀を行ないなさい。私はその像の中に現れ、あなたの日々の礼拝を受けるでしょう」と告げました。

そこで彼女は祭祀のために用意していた莫大な資金を投じ、ドッキネッショルに壮麗な寺院を建立しました。

ドッキネッショルのカーリー寺院

ここのカーリー聖堂の神職を務めることになったのがラーマクリシュナだったのです。

青年僧ラーマクリシュナは、全身全霊を込めてカーリー女神に尽くしました。彼は「もし神が本当に存在するなら、生きた神を目の当たりに見たい」と切望しました。類まれな神へのあこがれと渇望により、ついにラーマクリシュナは母なる神を直接見て悟ったのでした。

普遍的宗教の教え

その後、ラーマクリシュナはヒンドゥー教の様々な宗派やイスラム教、キリスト教においても最高の境地に到達しました。彼は、世界の全ての宗教が同じ目的を持っていること、神に至る道において、礼拝の方法や教えの言葉は異なるが、本質的には同じ一なる神(真理)への道であると説きました。

ラーマクリシュナは後に、宗教の多様性について次のように語っています。「一つの池に四つの沐浴場があるとしよう。一つの沐浴場でヒンドゥーは水を飲んでジョルと呼び、別の場所でイスラム教徒はパニと呼び、また別の場所でキリスト教徒たちはウォーターと呼ぶ。さらに別の人々はそれをアクアと呼ぶかもしれない。

四つとも一つのものを指しているのに、違いは名前だけである。あのお方のことをある者はアッラーと呼び、ある者はゴッドと呼び、またある者はブラフマンカーリーと呼ぶ。ラーマハリイエスドゥルガーという名で呼ぶ者たちもいる

ラーマクリシュナの驚愕すべき経験談

ラーマクリシュナは宗教や宗派主義を超えた大聖者であり、彼のスタイルとしては神のことを「マー(母なる神)」と呼ぶことを好み、母なる神の子供のような態度を取りました。

ナレンドラ(のちのヴィヴェーカーナンダ)は、初対面のラーマクリシュナに「あなたは神をご覧になったことがありますか?」とストレートに質問しました。

ラーマクリシュナは「あるよ」と即答し、「わたしは、ここでお前を見ているように神を見るのだ。神に話しかけることもできる。だが、誰が神を愛しているだろうか? 

人々は自分の妻や子供、財産のためには、土砂降りのように雨を流すが、誰が神を求めて涙を流すだろうか? 人が神を求めて心から泣いたら、神はきっと姿を現わしてくださるよ」と語りました。

ラーマクリシュナは宇宙の全てに神が偏在する様を見ており、信者たちに自身の驚愕すべき経験を次のように話しています。

「ねえ、マーが様々な布に身を包んでおられるのがはっきりと見えるのだよ。いろいろなお姿をとられて、その背後からのぞいておられるのだ。しばらくはいつでもすべてがそんなふうに見えるという状態にあったのだ。

私の心境がわからない人たちは、誤りを正してなだめようとしてくれた。ラムラルの母たちは嘆き悲しんで泣き出した。私はその人たちを見ると、マーがそれぞれの人になって、すべてをなされているのを見たのだ。

そして彼女たちの態度を見ているうちに、笑い転げて叫んだのだよ。『マーよ、なんと上手に化けられたこと!』

ある日カーリー聖堂で瞑想していたとき、どうしてもマーのお姿が心に思い浮かばないことがあったのだ。すると、ドッキネッショルのガートに沐浴に来ていた娼婦のラーマニの姿で彼女が現われて、神像の前に置かれた水差しの陰からのぞかれたのだ。私は笑って言ったのだよ。

『おお、マーよ。今日はラーマニになりたがっておられる! 結構でしょう。今日はそのお姿で私の礼拝をお受けください』

こうしてマーは、『私は娼婦でもある。私以外に誰も存在しない』ということを理解させてくださったのだよ」
 

カーリー・マーに慰められる

ナレンドラはラーマクリシュナの元に足しげく通うようになりました。しかし彼の鋭い知性と気高い精神は、ラーマクリシュナの言葉や行動に対して疑問を持ち、納得のいく答えを求めることを決して躊躇ためらいませんでした。

彼はあるとき、「女神の石像などを拝んで、一体どんな効果があるのですか? もし神との対話が単なる幻覚だとしたらどうなのですか?」と、最新の科学的知見を引き合いに、ラーマクリシュナに対して真摯に、しかし厳しく追求しました。

それがあまりにも激しかったので、純粋なラーマクリシュナは混乱して、カーリー聖堂へと駆け込み、涙を流しながらカーリー・マーに訴えました。

「マー! ナレンドラがひどいことを言う。私が今まで見たり、教わったりしたことが、全て偽りだったのかい?  私はだまされていたのかい?」

しかし、カーリー・マーは慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、「心配しないで。ナレンドラがそう言うのは、彼が今、そういう時期にいるからです。もう少し辛抱して。やがて彼も、あなたの言葉に耳を傾け、信じるようになるでしょう」とラーマクリシュナを優しく慰めました。

それから3年後、ラーマクリシュナの導きにより、ナレンドラはついにカーリー女神を受け入れました。ラーマクリシュナが大喜びだったことは言うまでもありません。

まとめ

カーリー女神は、首には生首を連ねたネックレスをぶら下げ、腰には切断した腕を連ねたものを巻きつけるなど。数多くの神々の中でもまさに最恐ともいえる御姿をしています。カーリー女神はその神話で凄まじい破壊力と他の追随を許さない圧倒的な強靭さ、神の聖なる暴力性を現していましした。

しかし、ラーマクリシュナにとっては優しい慈母(マー)でした。ラーマクリシュナはカーリー・マーに対して、子供のような態度を取ることを好みました。ラーマクリシュナによって、カーリー女神は新しい姿をこの世界に現したと言えます。

ラーマクリシュナは多くの人々に神の愛と信仰を説き続け、最後は愛するカーリー・マーの名前を3度唱えて、この世を去りました。

ラーマクリシュナは唯一の神が多くの異なる形態や特性を持っていると説きました。彼はそれを「マー」呼ぶことを好み、実際に話しをすることができたのです。彼の生涯と教えは、宗教や宗派主義を超えた普遍的な真理を伝えるものであり、今日においても多くの人々に影響を与え続けています。

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