盗まれた宝石と見いだした真理
旅の途中で、ブッダは一本の樹木の下に坐して瞑想に入っていました。そんなとき、装いも立派な三十人の若者たちが現れ、ブッダに敬意を表して問いかけました。「修行者の御方、この辺りで一人の女をお見かけになりませんでしたか?」
ブッダは静かに問い返しました。「どうしてその女性を捜しているのか?」
「私たちはそれぞれの妻と共にこの森を訪れて遊んでいました。しかし、仲間の中には妻を持たない者が一人おり、彼のために遊女を雇ったのです。遊びに興じている隙に、その遊女が私たちの宝石を盗んで逃げたのです。それで、彼女を捜しているのです」
ブッダは若者たちをじっと見つめて問いを投げかけました。「さて、その遊女を捜すことと、自己を探し求めること、どちらがより価値があると思うか?」
若者たちはブッダの尋常ならぬ問いかけに驚きました。「ええ、確かに自己を求め見いだすことの方が遥かに価値があります」と答えました。
「では、そなたたちに道を説こう」とブッダは告げ、彼ら三十人の若者たちに『四つの聖なる真理』を説き明かしました。
彼らは宝石を盗まれるという経験と、それに対する執着心から、この教えがまさに必要な時に与えられたと感じました。心打たれた彼らは、膝をついて出家の志を表しました。
「来たれ、心清らかな者たちよ」とブッダは彼らを弟子として迎え入れました。このようにして、ブッダが行くところ、新たな出家者や信者たちが加わっていきました。
竜王との対決:ブッダの神通力の示現
バラモン教において聖火の儀式は大変重要なものとされ、火神アグニはとくに崇拝されていました。その聖火儀礼をつかさどる火の行者たち、カッサパ三兄弟がウルヴェーラー地方に道場を構えていました。
その三人とはウルヴェーラーに住むウルヴェーラ・カッサパ、ネーランジャラー河のほとりに住むナディー・カッサパ、ガヤーに住むガヤー・カッサパで、それぞれ五百人、三百人、二百人の弟子がいて、この地方で絶大な信仰を集めていました。
ある日、そこに一人の出家修行者がやってきたと聞いてウルヴェーダ・カッサパが会ってみると、威容さかんなる壮年の沙門でした。彼ブッダは「もし差し支えなければ、あの聖火堂で一晩泊めていただきたい」と申し出ました。カッサパは、「聖火堂は危険だから止めたほうがいい。凶悪で猛毒を持つ竜王が住み着いているのです」と反対しました。しかし、ブッダは答えました。「ご心配なく。私が危険にさらされることはありませんから」
その夜、ブッダが堂内に入り坐禅を組むと、竜王は不機嫌となり彼に向かって煙を吐き出しました。ブッダも神通力を用いて煙を吐き返しました。怒りの燃えた竜は火炎を放ちましたが、ブッダも火の原理に集中して火炎を放ち返しました。
聖火堂内は一時、まるで火事で燃えているかのように火と煙で充満していました。行者たちが「あの修行者は竜王に殺されたにちがいない」と話しながら聖火堂を遠巻きにして見ていると、やがてブッダが聖火堂から平然と姿を現わしました。
そして托鉢椀の中に収めた竜を見せて「カッサパ、これが竜王です。もう害はないでしょう」とブッダは話しました。
カッサパはブッダの威神に驚きましたが「この修行者には、類まれな神通力がある。しかし、彼はいまだ私には及ばない」と高慢の心を捨てられずにいました。
火を拝するバラモン教徒、カッサパ三兄弟の帰依
その後もウルヴェーラ・カッサパの近くで、ブッダは神通力を発揮し続けました。突然空から四天王が来訪し、光り輝く姿でブッダを礼拝しました。また、ブッダが衣を洗おうとすると、池や衣を干す大石が現われました。さらに、大洪水が来てもブッダの周りだけが乾いてほこりが立っていました。
その他、数え切れないほどの奇跡を行いました。これらの奇跡はすべてカッサパとその弟子たちのプライドを砕く布石だったのです。そうしてブッダは空中に跳び上がり告げました。
「カッサパよ、あなたは聖者ではない。聖者となるべき道を、あなたはまだ歩んでいないのだ」
カッサパは反論しました。「私たちは長い間、火神を崇拝し祭祀を行ってきた。これが全くの無駄だったというのか?」
ブッダはネーランジャラー河を指さして言いました。「カッサパよ、もしあの河を渡りたいと思ったら、あなたはどうするか?」
「泳ぐか、船で渡るでしょう」
「もしこちらの岸に座って『あちらの岸よ近づけ!』と祈ったらどう思うか?」
「それは愚かな行為ですな」
「カッサパよ、それと同じことではないか。己の無明や煩悩を滅ぼし尽くさなければ、いくら儀式や祈りを続けたとしても、解脱できるわけがない」
ブッダの言葉はカッサパの高慢をへし折りました。彼は長年培ってきた信念が、誤っていたことを悟りました。突然カッサパは、ブッダの足元に身体を投げ出し礼拝しました。「どうか私をあなたの弟子にして、解脱への道を歩ませてください!」
カッサパは弟子たちと話し合いました。そして彼らはみな、髪の毛を剃り、火の祭祀の器具などすべてをネーランジャー河に流しました。そしてカッサパと五百人の弟子すべてがブッダの元へ行き、出家して教えを受けることを願い出ました。
ブッダは言いました。「来たれ、修行僧らよ。教えはよく説かれた。苦しみを滅するために清らかな修行を行え」
翌日、ナディー・カッサパとその三百人の弟子たちが、長兄ウルヴェーラ・カッサパの元へ慌てて駆けつけてきました。彼らはウルヴェーラーの川下で何百もの髪の束や祭祀の道具が河に流れてくるのを目撃し、「兄の教団に何か壊滅的な異変があったのではないか」と心配したのです。
兄から事情を聴いた後、ナディーカッサパと彼の三百人の弟子たちも、ブッダのもとで出家することを決意しました。末弟のガヤー・カッサパとその二百人の弟子も同様に出家しました。
ブッダの説法「すべては燃えている!」
ブッダは千人の出家修行者たちをガヤーの山腹に召集し、法話を始めました。
「修行者たちよ、すべては燃えている。何が燃えているのか?
六つの感覚器官:眼、耳、鼻、舌、身体、心が燃えている。
六つの感覚の対象:色、音、臭、味、触、心の対象が燃えている。
六つの感覚意識:視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、意識が燃えている。
眼は常に燃えており、それは視界に映るもの全て、そしてそれに対する快、不快、どちらでもない反応が、欲望、嫌悪、迷妄の火によって燃やされている。これらは、生、老い、病、死という苦しみの火、さらに悲しみ、怒り、恐怖という苦しみの火によって燃え上がる。耳、鼻、舌、身体、そして心も同じく燃えているのだ。
修行者たちよ、そのように観察しなさい。欲望、嫌悪、迷妄の炎にその身を焼き尽くされてはならない。すべての感覚や感情、思考に対する煩悩を手放し自由になることで、悟りに到達するのだ」
千人の修行者たちはブッダの教えに一心に耳を傾け、真理を見る法の眼が開かれました。彼らは深く感動し、喜びに満ち溢れました。こうして、熱心な火の行者であったカッサパ三兄弟とその弟子たちの煩悩の火が消え、平安と明晰さが心を満たし始めたのです。
カッサパ三兄弟と千人の弟子たちが集団改宗したことは、仏教教団を飛躍的に発展させ、ブッダの名声はまたたく間にマガダ国中に知れ渡りました。
ビンビサーラ王の帰依と竹林精舎の寄進
ブッダはマガダ国の王ビンビサーラとの約束を果たすために、千人の出家修行僧一行を引き連れて首都ラージャガハ(王舎城)へと向かいました。ビンビサーラ王は、うわさの新しい宗教指導者が釈迦族出身の若き修行者であることを思い至りました。
悟りを得た人が王舎城近郊のラッティ林園に滞在していると聞き、王は多くのバラモンや資産者たちと共にブッダに会いに行きました。
当時すでに名高い宗教家であったウルヴェーラ・カッサパと、彼よりも遥かに若いゴータマ・ブッダのどちらを師と仰ぐかで、人々の間に混乱がありました。カッサパがブッダの足に頭をつけて礼拝し、公に自分が弟子であると宣言したことで、その混乱は収まりました。
ブッダはビンビサーラ王を含むバラモンや資産者たちに『四つの聖なる真理』を説き、彼らはその法話を聞いて、汚れなき真理を見る眼が開かれました。王は合掌し感動に震えながら語りました。
「尊い方よ、私は王子の時に五つの誓願を立てました。
一つ目は、戴冠して王になること。
二つ目は、我が国に悟りを得た人が訪れること。
三つ目は、悟りを得た人に直接会って、敬意を表すること。
四つ目は、ブッダから悟りの道を示してもらうこと。
五つ目は、ブッダの教えを理解すること。
今、これらの誓願すべてが果たされました。
師よ、私を在俗信者として受け入れてください。そして、明日、王宮で食事の供養をお受けください」
ブッダは沈黙をもってビンビサーラ王の申し出を受け入れました。翌朝、ブッダと千人の弟子たちは王宮にて供養を受けました。そしてビンビサーラ王は、金の水瓶でブッダの手に水を注ぎながら述べました。
「尊い方、王都から一里の場所に竹林園と呼ばれる大きな美しい林があります。行き来が容易で、日中は静かで、夜は更に静かで、瞑想に適しています。これをブッダと出家修行僧の集いに寄進したいと思います。どうかお受け取りください、そして伝道と修行の場として使っていただきたい」
ブッダは微笑み、この寄進を受け入れ、王や家来とその客人一同に法を説いて喜ばせました。こうして竹林園は『竹林精舎』と呼ばれるようになり、仏教教団の中心地の一つとして栄えました。ブッダの教えが急速に広がり、多くの人々が教団に加わりました。
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