マヘンドラナート・グプタ(M)の生涯(7)Mから広まるラーマクリシュナの福音

Ramakrishna world

普遍のメッセージ: 直弟子たちが語るMの功績

不滅の言葉』の発表は、ヴィヴェーカーナンダをはじめ、この作品に登場する弟子や信者たちが、まだ生きているときから始められています。

偉大な在家信者ギリシュ・チャンドラ・ゴーシュがMに宛てた手紙(1900年3月22日)には次のように書かれています。「『不滅の言葉』は三年間の長きにわたり闘病しているわたしが生きている証であると、大きな声で言いたいです。あなたは、全人類の最後の日にあっても皆の感謝に値する御方であります」

兄弟弟子ラーマクリシュナーナンダのM宛ての手紙(1904年10月27日)には「あなたが最高の神の化身の、最高の叡智がぎっしり詰まった普遍のページを出版されたことで、全人類は大きな借りをつくりました」とあります。

兄弟弟子プレーマーナンダの手紙には「『不滅の言葉』を読んで、幾千の人が救われ、無数の信者が至福の歓喜を味わい、また、どれほどの人々が世間の苦悩から救われて心の安らぎを得たことか」と記されています。

その他多くの直弟子や信者たちが称賛したことからも、『不滅の言葉』の内容が決してMの妄想ではなく、正確かつ正当であることが証明されています。

『不滅の言葉』第一巻は1902年、第二巻は1904年、第三巻は1908年、第四巻は1910年、第五巻は1932年に出版されました。インド各地の言語や外国語――実に多くの言語で翻訳されています。


本の発表後、ラーマクリシュナ僧院やホーリーマザーの住居に、次々と新しい信者たちが集まりはじめました。出家僧の数も増えていきました。

彼らが出家の道を選んだのは、その80%以上が『不滅の言葉』を読んでからである」と兄弟弟子ヴィジュニャーナーナンダは結論づけています。

Be in the world, but not of the world.

1905年、Mは学校を購入しました。それ以降、Mは先祖伝来の自宅よりも、たいていは学校の屋根裏部屋で暮らしました。

彼の長男が学校の管理を行ない、M自身は教師としての現場の仕事から退きました。残りの人生を、彼は師ラーマクリシュナのメッセージの伝道に捧げたのです。

Mは背が高く、立派な胸板で、仙人のような長いあごひげをしていました。大きく穏やかな目をしており、彼の恍惚としたムードは、そこに深く神聖な雰囲気を創り上げていました。

彼は自分で食事を作り、自分で必要な物をそろえ、誰からの奉仕も受けようとはしませんでした。彼の食事はミルクとご飯と少量のギーでした。夜はミルクと食パン一枚でした。彼の衣類は、一枚のドーティ、一枚のベンガル・シャツ、一足のニス塗りの黒いスリッパだけでした。

Mの部屋も簡素でした。窓際の床には縞模様のブランケットが広げられ、その上には黄土色のベッド・シーツがかけられていました。壁にはラーマクリシュナと神々の絵が飾られ、部屋の片隅にはテーブルがあり、筆記具や本が載っていました。

Mが好んで使っていた言葉に「Be in the world, but not of the world.(世間で暮らせ。しかし、世間のものにはなるな」があります。

Mはときどき真夜中に議事堂前に行き、そこで乞食たちと一緒に眠りました。こうすることで一時的にも、自分は何も所有しない人間だと感じたのです。

M、説き始める

Mは人々に説き始めました。師ラーマクリシュナの言葉をひたすら説きました。Mは信者からどんな世俗的な話をされても、どんな質問をされても、いつの間にか、ラーマクリシュナの話題にすり替えてしまうという特殊な能力を持っていました。

出家修行僧の一人はこう語っています。「4階建てのモートン・スクールの屋上には、欄干で囲まれた、トゥルシーの生える天国のようなひっそりとした場所がありました。そこに座ると、広大に広がる青空だけが目に入りました。

トゥルシーの林のなかには、つる草が生えていました。そこには常に愛にあふれたMが座って、昼も夜も深く神を瞑想していました。彼の話は尽きることのない喜びの源でした。時とともに、信者の数は増えていきました」

Mは星々の輝く夜空を指差しながら、「このような環境の中で、信者たちと神の愛の話をしながら座れるとは、なんと祝福された恩寵だろう!」と声をあげました。

ニティヤートマーナンダ、Mに説教しに行く

ジャガバンドゥ・ロイ(のちのニティヤートマーナンダ)という若者がいました。彼は『不滅の言葉』を手に取りましたが、ほとんど理解できませんでした。当時の彼の憧れは、世界を席巻した英雄ヴィヴェーカーナンダでした。

ある日、ジャガバンドゥは友人と議論していました。友人はラーマクリシュナ僧団の信者であり、ホーリーマザーからイニシエーションを受けていました。「Mは、ラーマクリシュナの言葉以外は何も話さない」と友人は言いました。

「なぜ彼はヴィヴェーカーナンダのことを話さないのか? インドを救ったのは彼ではないか。自由への道を開いたのは彼ではないか」とジャガバンドゥは言い返しました。

かなり白熱した議論になりました。「もし君がそう確信してるなら、行って、彼にそう言ったらどうだい」と友人は最後に言いました。

Mに説教しに行ったジャガバンドゥは、Mの教えの網に捕らえられました。午後、雨がちょうどあがり、彼はモートン・スクールの四階のテラスに座わりました。

Mは挨拶を口にしたあと、1分ほどその神聖で洞察力に富んだ両目を彼の顔にとどめました。するとおもむろにヴィヴェーカーナンダについて語り始めました。

それは不思議な事態でした。Mは三時間にわたり語り続けました。その内容は全てヴィヴェーカーナンダの偉大さについてでした。

「もしインドの若者が本当にスワミジ(ヴィヴェーカーナンダ)に従うなら、それは彼らのためになるだけでなく、国や国民のためにもなる」「彼の征服はシーザーやアレキサンダー、ナポレオンよりも偉大である」と。

ジャガバンドゥの心に平安が注がれました。彼はこのような甘美な喜びを経験したことが ありませんでした。彼の批判的な性向は溶け去っていきました。

「この人は何者なのか?」彼は驚嘆しました。「Mの言葉には少しもエゴの痕跡がない。‘わたし’という言葉はMには存在しない!」

ジャガバンドゥはこの日以来、毎日Mのもとを訪ね、一心に彼の言葉に耳を傾けました。終生Mを師と仰ぎ、忠実に彼に仕えました。Mの導きで出家修行僧ニティヤートマーナンダとなり、彼の言行録16巻を書き残しています。

コメント