医師の仕事と叔母の死
結婚式は大きな喜びと陽気な喧騒のなかで執り行われました。結婚によって、ナーグが長年抱いていた「家庭生活から離れ、生涯を修行に捧げたい」という願いは消え去りました。
これからは家庭のために稼がなければなりません。彼は人の下で働くことができない性分でしたので、医者という職業を選びました。妻は幼いため故郷デオボーグに置いたまま、ナーグは父親とカルカッタに戻り、開業しました。
ナーグの処方は素晴らしく、患者は増え続けました。父の勤務先のパル商店は彼を主治医にしました。「ナーグ・マハーシャヤがわれわれの主治医だったころは、家族の中で早死にした人は一人もいなかった」とパル氏は証言しています。
もしナーグが世間ずれしていたら、多くの富を得ていたでしょう。しかしナーグは治療代を請求しませんでした。ただ喜びから差し出されたお金だけを受け取るのでした。
開業から7年が過ぎたころ、叔母が危篤の連絡が入り、ナーグは急ぎ帰省しました。ナーグは叔母を救うためにあらゆる手段を尽くしましたが、徒労に終わりました。
彼女は最期のとき、ナーグの頭に手を置き「お前の心を常に神に留めておきなさい」と彼を祝福しました。彼女は神の御名を唱えながら息を引き取りました。
ナーグは日夜、もだえ苦しみました。
「なぜ人はこの世界にやってくるのだろう? なぜ人は死ぬのだろう? 死後はどうなるのだろう? 何がわたしの叔母に起きたのだろう?
「おお、なぜわれわれはこの苦しみに満ちた世界で奴隷のように生きなければならないのか? この世界での真の義務とは何だろう? どうすれば死で終わる人生の束縛から、苦しむ魂を救い出すことができようか?」
彼はこれらの疑問を解決できずにいました。
ナーグの仕事と結婚生活
ナーグは貧しい人々に無料で薬を与えただけでなく、栄養ある食事がとれるように、お金も渡しました。ときには自分の空腹を顧みず、乞食に食事を差し出しました。
狡猾な人々はお金があるのに治療費を払わず、ナーグからお金を借りておいて、決して返そうとはしませんでした。
この件に関して、親友のスレシュはこう語りました。
「ナーグが回診から戻るころになると、お金を借りようと待ち構えている人々の姿を見かけたものだ。彼は、頼まれたときはいつでも、決して嫌と言わなかった。彼の稼ぎのすべてが、貸付金と慈善に消えたのは、このためである。だから、幾日も自分の食べる物さえないことも珍しくなかった」
またナーグは、残ったお金を全て父親に差し出しました。ナーグは常々こう語っていました。
「真に必要なものはすべて神がお与えくださる、ということは真実です。それについて心配しても何の利益もありません。神への完全な自己放棄が幸福をもたらすのです。利己主義に基づいて私たちが企てることは、どれ一つとして思い通りの結果にはならないのです」
1880年、成人したナーグの妻シャラトカーミニーは、夫と暮らすためにカルカッタにやってきました。彼女はナーグの父に献身的に尽くしましたが、ナーグ自身は、膨大な仕事を抱えた上に、わずかな自由時間も瞑想と勉強に費やされており、妻の相手をする時間はありませんでした。
あるときナーグと妻は、一家の導師からイニシエーションを受け、マントラを授けられました。ナーグの宗教的情熱はさらに増大し、一日の大部分を修行に費やしました。ガンガーの岸辺で瞑想して夜を過ごしました。
ある晩のナーグは瞑想に深く没入し、上げ潮に気づかず、彼は波にさらわれてしまいました。彼は感覚を取り戻し、泳いで岸に戻りました。
仕事はおろそかになり、収入が減少しました。父ディンヤダルは、こんな夫に嫁いでしまった若き妻の行く末を心配しました。ナーグはシャラトカーミニーにこう言いました。
「肉体的な関係は永続しない。心のすべてを捧げて神を愛することができた者こそが、祝福されるのである。一度肉体に結び付けられたなら、何度生まれ変わっても、それを終わらせることはできない。
だから、この骨と肉からできた卑しむべき檻に執着を抱いてはいけないよ。母なる神の御足の下に保護を求め、そして彼女を、ただ彼女だけを思いなさい。そうしてこそ、あなたの生活は、今も、そしてこれからも高められるであろう」
ラーマクリシュナとの出会い
親友のスレシュはしばしばナーグのもとを訪れ、二人は宗教について熱心に語り合っていましたが、もはやそれだけでは満足できなくなりました。ナーグはスレーシュにこう語りました。
「無駄話に時が過ぎていく。真理を直接悟るのでなければ、意義ある人生とはならない」
スレシュは、カルカッタ郊外のドッキネッショルに大聖者が住んでいる、という話を耳にしました。その話を聞くと、ナーグは、会いたくてたまらなくなりました。待つことはできず、二人は朝食後ただちにドッキネッショルへと歩いて行きました。
1882年、ナーグは35歳でした。夏の日差しは容赦なく照りつけていました。しかし二人は暑さをものともせず、不思議な力に導かれるようにして歩き続けました。長いこと歩き続けたとき、ドッキネッショルを通り過ぎていました。道を引き返し、カーリー寺院についたのは、午後2時でした。
寺院は陰なす樹木と芳しい花々に囲まれた庭園の中にありました。冷たく清々しい水をたたえた池、高い尖塔を持つ寺院が輝いていました。
二人は、ラーマクリシュナの部屋に入りました。ラーマクリシュナは微笑みながら、小さな簡易ベッドの上に足を伸ばして座っていました。
ナーグはインドの習慣を遵守して、師の前にひれ伏して師の足に触れ、御足の塵をとろうとしました。しかしラーマクリシュナは足を引っ込め、触れることを許しませんでした。
ナーグは「自分は聖者の足に触れるのにふさわしくないのだ」と耐えがたい悲しみを味わいました。ナーグは部屋の一番隅に座りました。
ラーマクリシュナは、二人にいくつかの質問をした後、こう言いました。「あなた方はこの世界にパンカル魚のようにとどまる。在家であろうとも何も悪いことはない。パンカル魚は泥の中で生きる。しかしそれによって汚されない。
同様にあなた方は家庭にとどまっても、輪廻のゴミがあなた方を汚さないように注意深くありなさい」
この助言は、まさにナーグの長年の悩みに対する解答に他ならなかったので、彼はひどく驚き、ラーマクリシュナをじっと見つめました。
「なぜそのように見つめるのか?」とラーマクリシュナが尋ねると、「わたしはあなたにとてもお目にかかりたかったのですが、今は満たされました」とナーグは答えました。
ラーマクリシュナの生き生きした信仰
ラーマクリシュナは、二人を連れて、寺院の境内を案内しました。ラーマクリシュナは、シヴァ寺院とヴィシュヌ寺院に入ると神像を回ってお辞儀をしました。そしてラーマクリシュナがカーリーの聖堂の中に入ると、別人のようになりました。
カーリー女神への強い感情で満たされ、自制心を失ったかのように、震えていました。子供のように、カーリー女神の着物を手でつかみ、母なる神の周りを何度も回りました。
ナーグは、ラーマクリシュナの生き生きとした信仰と子供のような純粋さに、完全に魅了されました。
帰りの道すがら、ナーグは、ラーマクリシュナについて考え続けていました。彼は賢者であろうか、聖者であろうか、あるいはそれ以上の存在なのであろうか。
ラーマクリシュナとの会見は、ナーグの心に強い印象を残し、神を認識したいという燃えるような願望になりました。そのために彼は、まさに気が狂わんばかりでした。
ナーグは睡眠や食事にも無頓着となり、人と話をすることもやめました。スレーシュを相手に、ただラーマクリシュナについてだけ話しました。
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