【インド六派哲学のマスター】ナーラーヤン・シャーストリの物語

Ramakrishna world

ドッキネッショルのカーリー寺院は、聖地プリーやガンガー・サーガルへ巡礼する街道に隣接しており、サードゥ(出家修行僧)たちの絶好の休息所になっていました。

それゆえラーマクリシュナのもとにも、様々な修行者がやってきました。このブログでは以前、裸の聖者トータープリーをご紹介しています。 

彼らの中にはラーマクリシュナに強い信仰を持ち、直々にイニシエーションを受けた者もいました。その中で代表的な一人がナーラーヤン・シャーストリです。

シャーストリ、六派哲学をマスターする

ナーラーヤン・シャーストリの望みは、インドの六派哲学を完全に修めることでした。六派哲学とは、ヒンドゥ教の正統派の哲学体系のことで

  1. ヴェーダーンタ学派
  2. ミーマンサ学派
  3. ヨーガ学派
  4. サーンキャ学派
  5. ニヤーヤ学派
  6. ヴァイシェーシカ学派

があります。

シャーストリはヒンドゥーの伝統に則り、それぞれの第一人者である師の下に数年間住み込みながら奉仕し、徹底的に各派の心髄を学んでいきました。五派哲学までを学び終えた時点で、彼の名前は既に故郷に知れ渡っていました。

そのときジャイプールのマハラジャ(大王)が、宮廷専属のパンディット(学者)として彼を高い給料で迎え入れたいと申し出ました。しかしシャーストリは六派哲学すべてをマスターする願望を持っていたので、その申し出を丁重に断りました。

最後のニャーヤ学派は、ベンガル地方のナディアにいる大家の元で7年間かけて学び終えました。こうしてシャーストリは25年という年月を費やして、それぞれの師のもとで、六派すべての哲学の心髄を習得しました。ついに彼は念願の六派哲学の大学者になったのです。

シャーストリは帰郷することにしました。その帰り道、彼は偶然ドッキネッショルのカーリー寺院に立ち寄ったのです。

ドッキネッショルのカーリー寺院

シャーストリ、ラーマクリシュナに出会う

ナーラーヤン・シャーストリはただの学者ではありませんでした。ほとんどの学者は、聖典の知識が増えるたびに、プライドと慢心が高まっていくものです。しかし、シャーストリは聖典の知識を得る度に、どんどん無執着の精神が増していったのです。

そして聖典の知識を真に体得するには、実際にサーダナー(修行)の実践が必要なことを、彼ははっきりと理解していました。このようなときに彼は幸運にも、ラーマクリシュナと出会うことができたのです。

ドッキネッショルのカーリー寺院では、巡礼者や苦行者、サードゥ、出家者、僧たちのための宿泊施設が整えられ、ラーマクリシュナの指示によって、彼らのための食物や修行用具などが、無料で配られていました。

求道者たちにとって、ドッキネッショルのカーリー寺院は、利便性が良く、食に困らず、しかも大聖者に会うこともできる最高のスポットでした。シャーストリも、しばらくドッキネッショルに滞在することにしました。

ラーマクリシュナを知れば知るほど、シャーストリの敬愛の念は深まりました。彼に礼拝し、より親密になりたいという思いが強まりました。また、ラーマクリシュナも偉大な学者であるシャーストリが来たことを喜び、二人は多くの時間を神について語らい過ごしたのです。

やがてシャーストリは、自分が学んだ聖典に書いてあるさまざまな境地を、実際にラーマクリシュナが体得していることに気づきました。ラーマクリシュナは昼も夜も実際に神と話し、サマーディに入っていたのです。

シャーストリは考えました。「ああ、なんと驚くべきことだろう! 聖典に記された隠れた意味を教え、注釈できる人が、あのお方以外にいるだろうか? この機会を逃してはならない。

何としてでも完全なるブラフマンの叡智に直接至る方法を学ばねばならない。人生は不確実だ。わたしはいつ死ぬかわからない。

真理にたどり着かないままに死なねばならないのか? いや、そんなことがあってはならない。せめて神を悟るまで最善を尽くすのだ。帰郷は延期しよう」

シャーストリの新たな願望

ラーマクリシュナとの聖なる交わりを繰り返すうちに、ナーラーヤン・シャーストリの放棄の精神と神へのあこがれはますます強烈なものとなりました。「学識で人を魅了しよう。マハーマホーパディヤエー(最高の博識者の称号)となって、名声と地位を築こう」などという賤しい取るに足らない願望は、心から完全に消えてしまいました。

謙虚な弟子としてシャーストリはラーマクリシュナの下にとどまり、その甘露のような言葉に毎日熱心に聞き入りました。そして今後、神以外の何ものにも心をおかないと決心しました。彼は神を悟ることに全力を尽くしました。

「ああ、師は人生において知るべきことをすべて知っておられる。何と穏やかでこだわりのないお方だろう! 死さえも克服しておられる。

マザー・カーリーの恐ろしいお姿も、普通の人を脅かすように師を悩ますことはない。さて、ウパニシャッドのリシ(古代の聖者)は、『偉大な魂が決意することは実現する』と言っている。

真にそのような人の恩寵を賜るなら、世俗の欲望から解放されて完全なるブラフマンの叡智に至るのだ。それならばどうして師におすがりして、ご加護を求めないことがあろうか?」

シャーストリは、師の加護を受けながら修行するためにも、ラーマクリシュナから正式にイニシエーションを授かりたいと願いました。しかし、その資格がないと師に拒否されたらと思うと、なかなかそれを言い出せずにいました。こうして時は過ぎていきました。

シャーストリ、放棄の精神が燃えあがる

そんなあるとき、ベンガル地方の有名な詩人であり弁護士であるマドゥスダンが、ラーマクリシュナのもとを尋ねました。ラーマクリシュナは自分ではなく、まずナーラーヤン・シャーストリを彼の元に向かわせました。シャーストリはマドゥスダンに、彼が自分の信仰を捨ててキリスト教徒になった理由を尋ねました。

それに対してマドゥスダンは「貧困ゆえに、そうせざるを得なかったのです」と答えました。

これを聞いたシャーストリは、非常な不愉快を感じて、厳しくこう言いました。「何たること! この無常の世にあって、生活のために自分の信仰を捨てるとは! 何たる卑しい考えだろう! 誰もがいずれは死ぬのだ。信仰を変えるくらいなら、死んだほうがよかっただろう」

シャーストリはさらにこう思いました。「人々はこんな彼を偉人だと思って、彼の書いた本を熱心に読んでいるのか!」 すっかり嫌悪感を催したシャーストリは、これ以上のマドゥスダンとの会話を拒絶しました。

そこに現われたラーマクリシュナに、マドゥスダンは教えを請いました。しかしラーマクリシュナはしばらくの間、何も言わずにただ黙ったままでいました。後に彼はこう説明しました。

「まるで誰かに口を押さえ込まれているように、何も話させてもらえなかったのだよ」。しかししばらくするとラーマクリシュナのその状態は治まり、彼は美しい声で神の歌を歌ってマドゥスダンの心を魅了しました。そして神への信仰がこの世で不可欠であることを、マドゥスダンに説いたのでした。

マドゥスダンが去った後、シャーストリはラーマクリシュナの部屋に続く東のベランダの壁に木炭で大きくハッキリした字を書きました。

「生活のために信仰を捨てるのは大恥だ」

ここに放棄の精神に燃えたシャーストリの心境が現われています。この文字は後々まで残っていました。

シャーストリの旅立ち

ある日、師が一人でいるのを見たナーラーヤン・シャーストリは、かつてからの願いを師に打ち明けました。その熱意を見て取ったラーマクリシュナは願いを受け入れて、吉祥の日にシャーストリにイニシエーションを与え、彼を出家させました。

シャーストリはその後、アッサムにあるヴァシシュタ・アシュラム(修行道場)に行き、神を悟るまで難行苦行に励むことを決意しました。彼はそのことを師ラーマクリシュナに報告し、眼に涙を浮かべながら師に祝福を乞うと、師に礼拝をして旅立っていきました。

その後のシャーストリの消息は知られていません。ヴァシシュタ・アシュラム(修行道場)での厳しい修行中に病気で亡くなったという人もいました。

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