【近代インドの大聖者】ラーマクリシュナの生涯(前編):多宗教を悟る壮絶な修行

Ramakrishna world

近代インド最高の聖者:ラーマクリシュナ

近代インド最高の聖者と仰がれるラーマクリシュナは、ブッダ(お釈迦様)、シャンカラと並ぶ、『インド三大聖者』の一人とされています。

ラーマクリシュナは壮絶な修業によってヒンドゥー教の各宗派のみならず、キリスト教、イスラム教においても悟りを得て、神への信愛(バクティ)と「すべての宗教の真髄はひとつである」とユニバーサル(普遍的)宗教のメッセージを世に伝えました。

これから神に狂い、神に酔った大聖者ラーマクリシュナの驚嘆すべき生涯を、ぜひ最後までご覧いただければと思います。

生い立ち、最初のサマーディー体験

ラーマクリシュナは、1836年にインドのベンガル地方の牧歌的な農村で生まれました。彼は貧しくも信仰心の厚いバラモン階級の家に生まれました。幼名であるゴダドルとは、『棍棒を持つ者』という意味で、ヴィシュヌ神の別名です。

ゴダドルはとても魅力的で愛らしい子供でした。彼は村の女性たちに愛され、生まれつき歌が上手で、甘くやさしい声を持っていました。

小学校では基本的な読み書きを学びましたが、算数などの科目には興味を示しませんでした。宗教劇を見ると、それを真似て演じるのがとても上手でした。

村には無料の宿泊所があり、放浪する修行者たちが頻繁に利用していました。ゴダドルは彼らと一緒に過ごすことを好み、積極的にお世話をしました。

彼らから聖典の朗読を聞くときは、一心不乱に耳を傾けていました。これによってゴダドルは『ラーマーヤナ』や『マハーバーラタ』などのインド神話のほとんどを覚えてしまいました。

6歳のとき、彼は最初の覚醒体験をしました。夏のある日、おやつを食べながら畑のあぜ道を歩いていると、雨を告げる雷雲が急に空に広がり、真っ白な鶴の群れが黒雲に向かって飛翔していく光景を目にしました。

その美しさに圧倒された彼は我を失い、歓喜のエクスタシーに入りました。内外の感覚は全て消え失せ、例えようのない至福に没入し、ゴダドルはその場に倒れました。

このときが彼の最初のサマーディー体験だったと言われています。彼はその後の人生で、日常的にサマーディーに入るようになります。

あこがれと渇仰だけでカーリー女神を見神する

1855年、大富豪ラニ・ラスモニはコルカタから6キロほど離れたドッキネッショルのガンジス河の岸辺に、巨万の富を費やしてカーリー女神を祀る寺院を建立しました。

あるとき信心深い彼女の夢にカーリー女神が現われてこう言ったからです。「ガンジス河畔に私の石像を安置し祭祀を行いなさい」と。

そして、ゴダドルの兄が神職として迎えられました。兄の呼びかけにより、ゴダドルも助手として寺院に住むことになりました。彼が19歳の時です。

しかし、翌年に兄が急逝きゅうせいしたため、ゴダドルは寺院の祭祀を引き継ぐことになりました。そして、その後の生涯のほとんどをこの寺院で過ごすことになります。

これから後に『ラーマクリシュナ』として知られるようになる人の、12年にわたる壮絶な修行の日々が始まるのです。

ドッキネッショルのカーリー寺院

ドッキネッショルのカーリー寺院で、青年ラーマクリシュナは、全身全霊を込めてカーリー女神に仕え、時には聴く者すべてを魅了する賛歌を歌いました。彼は「もし神が本当に存在するなら、生きた神を目の当たりに見たい」と熱望しました。

彼にとって、カーリー女神の像は単なる石像ではなく、母なる神そのものでした。彼はその像に内在する神を求め、聖堂で何時間も座り続けました。

ラーマクリシュナは、まるで生きている神に対するように、「おお、マー(母)よ、あなたがいらっしゃるというのは本当ですか? マーよ、なぜあなたは話をなさらないのですか?」と呼びかけました。

彼のあこがれは日に日に強まり、夕方の鐘を聞きながら叫びました。「また一日が過ぎてしまいました。マーよ、それなのに私はあなたを見ていません。この短い人生の一日が過ぎたというのに」

そして、聖堂の扉が閉まると、深夜には境内の密林で何時間も瞑想を続けました。彼は文字通り寝食を忘れていたのです。

体内の血液が常に胸と脳に向かって動くので、彼の胸は絶えず赤みを帯びていました。時には激しい焦燥感に駆られ、頭を地面にこすりつけ、子供のように泣きながら、

「マーよ、どうか私にお姿をお見せください」と懇願しました。

この強烈な神への渇望が周囲に誤解され、彼は狂人と見なされていました。しかし、ラーマクリシュナは外界を一切気にすることなく、ただ神のお姿を見たい一心で、すべての時間、すべての思いを注ぎ込みました。   

そんな日々が続いたある日、ラーマクリシュナは、「今生では自分は母なる神にお会いすることができないのかもしれない」と悲嘆にくれ、「自分には生きている価値がない」と絶望しました。

その時、ふと目を開けると、聖堂の中に吊るされた剣が目に入りました。ラーマクリシュナは突然その剣を掴んで、刃を自分の喉に突き刺そうとしました。その瞬間、世界の全てが視界から消え去りました。

四方八方から光の大波が押し寄せ、光の海の底に母なる神が現われ、彼は意識を失って倒れました。ラーマクリシュナは、かつてない強烈な至福を経験し、母なる神を直接見て、それを悟りました。

修行の最初の4年間、ラーマクリシュナは誰か師につくことなく、ただ神への強烈なあこがれ、神への類まれな渇望によって悟ったのです。

ドッキネッショル寺院のカーリー女神像

ブラーフマニーの来訪:64のすべてのタントラ修行を成就する

母なる神を悟るという偉大な成就をなし遂げたにもかかわらず、ラーマクリシュナはその歩みを止めることはありませんでした。さらなる高みへと進んだのです。彼自身がのちに次のように語っています。

「ある時、一人の木こりが、木を取りに森に入った。一人の出家修行者が彼に『前進しなさい』と言った。彼は教えに従って前進すると、白檀びゃくだんの木を見つけた。数日後、彼は考えた。『あの出家修行者は、「前進しなさい」と言った。彼は、「ここで止まれ」とは言っていなかった』

そこでさらに前に進み、銀の鉱脈を発見した。数日後さらに進んで金の鉱脈を、そして次にはダイヤモンドやその他の宝石の鉱脈を発見した。このようにして彼は、巨万の富を得たのだ」

ラーマクリシュナはさらに激しい修行を通して、ヒンドゥー教の神々であるラーマやシーター、クリシュナなどを次々と見神し、体得していきました。

その頃、バイラヴィー・ブラーフマニーという美しい女性修行者がカーリー寺院にやってきました。25歳のラーマクリシュナは子供のように彼女のそばに座り、自分の修行のあらゆる出来事を話しました。周囲の人々が自分を狂人と見なしていることも打ち明けました。

ブラーフマニーは母のようにやさしく、「それらは聖典にも書かれている高い境地です」と彼を安心させました。そして、正式なタントラ(密教)修行の実践を勧めました。ラーマクリシュナは母なる神の所に行き、お伺いを立て、承認を得ました。

ブラーフマニーは彼にタントラ聖典にある64の主要な修行法のすべてを行わせました。その一つとっても、人によっては成就するのに一生かかる場合もあり、その中のあるものは危険で、修行者が足を踏み外してしまうこともあるのです。しかし、ラーマクリシュナはいずれの修行においても三日以上かかることはなく、次々と成就していきました。

また、これらのタントラの修行においては、性的な行為を含んだ女性のパートナーが用いられることもあります。しかし、彼はそのような女性を一切用いることなく厳しいテストを次々と通過し、ついにタントラの修行を完成させました。

一方、ブラーフマニーは彼を神の化身(アヴァターラ)であると確信しました。

トータプリーの来訪:究極のサマーディーに6か月間入り続ける

今度はトータプリーという名の裸の行者が、ドッキネッショルにやってきました。この人は若くして出家し、40年にわたる一途な瞑想修行の末についに究極のサマーディー(ニルヴィカルパ・サマーディー、すなわち宇宙の原理であるブラフマンと、自己の魂との合一)の境地に到達しました。

そんな彼が気の赴くままに聖地を巡礼し、カーリー寺院でラーマクリシュナに出会いました。この時、ラーマクリシュナの顔は光輝いて見えました。

トータプリーは彼に魅かれ、「あなたはヴェーダーンタの修行をするつもりはありませんか?」と尋ねました。ラーマクリシュナは母なる神の所に行き、お伺いを立て、許しを得ました。

トータプリーは言いました。「ブラフマンは、永遠に自由な、時間と空間と因果の限定を超えた唯一の実在である

ラーマクリシュナはトータプリーに命じられた通りに、心をすべての対象から完全に引き離し、ブラフマンに集中しようとしました。長年の鍛錬のおかげで、瞑想そのものは難しくありませんでした。

ただ一つ、瞑想中に美しいカーリー女神が現われ、心がどうしてもそこに没入してしまうのでした。このことをトータプリーに訴えると、彼は近くに落ちていたガラスの破片を拾い上げ、ラーマクリシュナの眉間に突き刺し、雷のように叫びました。

「心をこの一点に集中しなさい!」

この時の悟りの瞬間を、ラーマクリシュナ自身は次のように語っています。「わたしは、断固たる決意をもって、再び瞑想の坐についた。女神の優美な姿が現われると、私は智慧の剣をもって、真っ二つに切り裂いた。

最後の障害が取り除かれた。わたしの心はただちに『無相の実在』の底なき深みに溶け込み、ニルヴィカルパ・サマーディーの境地に入ったのだ」

こうしてラーマクリシュナは三日間、サマーディーの中に浸っていました。トータプリーは驚嘆して言いました。「この偉大な魂は、わたしが40年かけて得た境地を一日のうちに悟っている!」

トータプリーがドッキネッショルを去った後、ラーマクリシュナはブラフマンとの完全な合一の状態にあり続けたいと考え、実際にニルヴィカルパ・サマーディーにとどまり続けました。

一旦その状態に入ると、もう通常状態に戻れないリスクがあります。また、長期間その状態に入り続けると、肉体は21日間しか持たないと言われています。しかしラーマクリシュナはなんと六か月もの間、この状態に入り続けました。

その間、肉体の活動は停止し、ハエがラーマクリシュナの鼻の穴や口の中を出入りしました。髪はほこりがたまってもじゃもじゃでした。

ある時、突然、なぞの修行者がやってきて、ラーマクリシュナの状態を一目で理解しました。「たくさんの神の仕事が、この御方の肉体によってなされなければならない」と彼は言いました。

彼は時々、ラーマクリシュナの身体を棒でたたき、意識を肉体に戻させようとしました。少し意識が戻り始めると、彼はラーマクリシュナの口の中に無理やり食べ物を詰め込みました。

六か月後、非二元の世界から通常意識に戻ってきたラーマクリシュナは、自分が実は神の化身であることを悟りました。

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