【トゥリヤーナンダからの手紙】
トゥリヤーナンダは信者や出家僧たちに、宗教的情熱に満ちた数多くの手紙を書きました。彼はある信者にこう言っています。
「君から手紙を受け取ると、わたしは君の心境を心に描くことができるのだよ。それであまり考えることなく、インスピレーションによって返事を書くのだ」
ここに1915年10月23日付の、トゥリヤーナンダの手紙をご紹介します。
「昨日、久しぶりにあなたの手紙を受け取りました。あなたが健康で、自分の仕事に取り組んでいると知って、うれしく思っています。主だけが、彼の意思が何なのかを知っておられます。それは人間の知性を超えています。
しかし、われわれが聖典や偉大な聖者から理解することは、次のようなことです。彼は一切の善であられます。彼は、われわれにとってひどく辻褄が合わないように見える中でも善を生み出します。
もし人がこの考えに確固たる信を持つならば、平安を得るでしょう。さもなければ、人は避けられない不安や苦しみを経験することになります。
クリシュナはギーターの中でこうおっしゃっています。
『私が一切の供養と修行の究極目的であり、すべての世界のマヘーシュワラ(大自在神)であり、すべての生類の幸福を願う朋友であると知る人は、永遠なるシャーンティ(平安)の境地に達する』[第五章.二十九節]
われわれはあなたが人びとの苦しみについて書いていた描写を読んで、悲しみを感じます。しかし、わたしの心にある考えが浮かびました。
これはあなたが心ゆくまで主に奉仕する素晴らしい機会なのです。わたしはあなたにスワミジ(ヴィヴェーカーナンダ)の言葉を思い出してほしいと思います。
『これらはあなたの前に現われた彼(神)の多様な姿なのです。彼らを拒むなら、あなたはどこに神を探し求めるというのですか?』
もしあなたが飢饉に打ちひしがれてる人々にしっかりと奉仕するなら、それによって、間違いなくあなたは主に奉仕することになります。あなた方みなに祝福あれ!
主はあなたに、彼に奉仕するための素晴らしい機会をお与えになっているのです。それを最大限に活かして、あなたの生命を祝福されたものにしてください。
これ以上言うべきことが何かあるでしょうか? もしあなたが正しい態度で奉仕するなら、あなたの心の状態も良くなるでしょう。やってみてみてください。そうすれば、あなたは結果を見るでしょう。
現実的な実践なしに、どうやって理解できるでしょうか? 欲望に関するあなたの問題は消えるでしょう。欲望は心の弱さ以外の何ものでもありません。ちょうど燃料を加えなければ、火は消えるように。
同様に、あなたが欲望に喜びを供給しなければ、それはあなたから去っていきます。あなたが欲望を感じたときは、主に強く祈り、彼の助けを求めてください。そのあと、あなたは欲望が再び起こらないことに気づくでしょう。
できる限り規則的にジャパと瞑想を実践してください。そして、あなたの仕事を単なる現世的な仕事と見なさずに、主への礼拝と見なしてください。
『おお、主よ、私が行なうどんな仕事も、あなたへの礼拝なのです』[シヴァマーナサ・プージャ・ストートラム、四]
『ゆえに、神に奉仕し、ヨーガに励むがよい。それこそが、あらゆる行為をする際の秘訣なのだ』[ギーター、第二章.五十節]
普通の仕事が主への献身の精神で行なわれ、このように礼拝に変わるなら、ヨーガになるのです。そのような行ないは、大いなる偉業なのです! その仕事がエゴを消し去り、自身を神に明け渡して行なわれるとき、それは本当に礼拝になるのです。
もしあなたがこのことを覚えておくことができるなら、それで十分です。もしすぐに全てをうまく行なえなくても、何度もこれを実践してください。
最高の願いを込めて トゥリヤーナンダ 」
若き出家修行者たちへの訓練
このような助言は、トゥリヤーナンダの心の奥底から出てくるのでした。あるとき彼は次のような言葉を口にしました。
「あなたは母なる神が眠っていると思うか? いや、違う。彼女は常にここで(自分の胸を指さして)目を覚ましていらっしゃる!
だから、わたしの言うことはただの言葉ではない。これはわたしの直接的経験から来ているのだ」
トゥリヤーナンダに仕える若き出家僧たちはそのことを感じていました。病気の彼に対するブラフマーナンダの計らいで、若者たちは侍者として彼に仕えていたのです。聖者に奉仕し、聖者から訓練を受けることは、たいへんな祝福と見なされていました。
トゥリヤーナンダは非常に厳しい言葉で侍者を叱りつけることが度々ありました。しかし、それは速やかに彼らのエゴを弱め、心のけがれを浄化するために意図されたものでした。
トゥリヤーナンダは病に苦しみ続けました。様々な病気が次々と後を絶たず、体に腫瘍が現われました。ドクターは糖尿病が敗血症を起こしていると診断しました。
それにも関わらず彼の心は、肉体の苦痛によって少しも乱れませんでした。彼は手紙にこのように書いています。
「これがまさに肉体のあり方なのだ。今日は無事だと思えば翌日は悪い。結局それは、滅亡に向かって進んでいくことしかできないのだ。
人の肉体は永遠のものではない。いつかは、それは逝かねばならないのだ。それゆえ何をそんなに騒ぐことがあろう」
トゥリヤーナンダがプリに滞在中に目を患い、目薬が処方されました。ある朝、侍者が点眼すると、体中が焼けるような感じがしてトゥリヤーナンダは叫びました。間違って硝酸を差してしまったのです。
他の者たちがあわてて彼の目を洗い流している間、侍者は自責にかられ震えながら泣きだしました。
トゥリヤーナンダはただ微笑して「母なる神の思し召しだよ」と言いました。彼の目は何ともありませんでした。
昏睡状態からの復活
トゥリヤーナンダの糖尿病が悪化しました。一時は昏睡状態におちいりました。ドクターたちは匙を投げました。
しかし突然彼は目を開き「この度はまだ死なないぞ」と言い放ちました。その瞬間から彼の病状は、好転し始めました。
後にトゥリヤーナンダはこの出来事について話しました。「わたしは自分のプラーナ(生命力)が肉体から出ていこうとするのを感じた。しかしもう一つの力がプラーナを引き留めようとした。二つの力の間で本物の綱引きが行なわれた。
わたしの生命の息がまさに肉体を去ろうとしたとき、スワミジが現われ愛情深くこう言った。『兄弟ハリよ! 君はどこに行こうとしているのか? 君のときはまだ来ていないんだよ』。たちまち精力が体内に生じ、激しくプラーナを引き戻し、内部の座に落ち着かせたのだ」
プレーマーナンダの最期
1918年、兄弟弟子プレーマーナンダは伝染病であるカラアザール熱に感染し、死の床にありました。当時この病の治療法は知られていませんでした。ある日、彼はトゥリヤーナンダに会いに来てくれと頼みました。
トゥリヤーナンダは彼のベッドの端に座りました。プレーマーナンダは衰弱していて、話をすることもできませんでした。トゥリヤーナンダは深く胸を突かれて、この兄弟弟子の手を握りしめました。
プレーマーナンダは自分の病気の感染を恐れて、椅子に移ってくれと手まねで頼みました。しかしトゥリヤーナンダは承知しませんでした。
病める兄弟弟子が口にできた唯一の言葉は「師の恩寵」でした。二人の間にこれ以上交わす言葉はありませんでした。
翌日、プレーマーナンダは亡くなりました。
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