はじめに~『ヨーガ・スートラ』の八段階の修行システムとは?
ヨーガの根本経典『ヨーガ・スートラ』
プラーナーヤーマ(ヨーガの呼吸法)という言葉は、ヨーガの根本経典『ヨーガ・スートラ(Yoga Sutras)』に早くも登場しています。『ヨーガ・スートラ』の成立は2世紀から5世紀頃、紀元前から古代インドに広まっていた様々なヨーガの哲学や実践を体系付け、編纂されたものです。編者はパタンジャリと伝えられています。
この経典は、極端に少ない195の短文(スートラ・Sutras)のみで成り立っています。それだけに一つ一つのスートラの濃縮度は非常に高く、シンプルなのです。
ヨーガは歴史的に師弟関係の中で伝承されてきました。一つ一つのスートラが師から弟子に注釈されながら、口伝されてきたのです。
『ヨーガ・スートラ』は冒頭で、
ヨーガとは心の作用を止滅させることである
とヨーガを簡潔に定義しています。ここでもわかるように、この経典の主題は心のコントロールであり、心の科学なのです。
八段階のヨーガの修行システムとは?
この『ヨーガ・スートラ』の中でも特筆すべきなのが、八段階のヨーガの修行システム(アシュターンガ・ヨーガ)を定めたことです。以下のように記述されています。
ヨーガの諸部門を修行していくにつれて、次第に心の汚れが消えていき、それに応じて叡智の光が輝きを増し、ついには識別智が現れる(Ⅱ・28)
八段階のラインナップは以下のとおりです。
①ヤマ(禁戒)
②ニヤマ(勧戒)
③アーサナ(坐法)
④プラーナーヤーマ
⑤プラティヤハーラ(制感)
⑥ダーラナー(精神集中)
⑦ディヤーナ(瞑想)
⑧サマーディー(三昧)
カタカナが並んでいて、引いてしまった方もいらっしゃると思います(笑)これからご説明しますのでご安心ください。
①ヤマ(禁戒)と②二ヤマ(勧戒)は、ヨーガ修行者が日常生活で守りたいルールのことです。社会や日々の生活の中で調和を保つための指針となります。
そして、③アーサナと④プラーナーヤーマです。身体と呼吸、プラーナのコントロールを通じて、心の安定と集中力を高めます。⑤プラティヤハーラ(制感)とは、感覚のコントロールのことです。
最後の3つは瞑想部門です。古代ヨーガの修行法は瞑想が中心なのです。⑥ダーラナーと⑦ディヤーナで、心の集中と寂静を目指します。最後に、⑧サマーディ(三昧)とは、完全なる内的平和と悟りの状態である最終段階です。
①から⑧のステップを階段を昇るように実践していき、最後には⑧サマーディに至るというシステムです。しかし、一つ一つのステップは、どれも重要でそこに優劣はありません。
『ヨーガ・スートラ』は心の科学としてのヨーガへの深い理解を提供し、心の平安と高い意識状態へと導きます。
本稿において、八つの段階について簡潔に解説します。これらがヨーガの呼吸法とどのように関係するのかも明らかになるでしょう。それにより、ヨーガの真髄をより深く理解し、日々の実践に生かすことができます。
ヤマ、ニヤマ~ヨーガ修行者の戒律
八段階の修行システムは、①ヤマ(禁戒)、②ニヤマ(勧戒)と戒律から始まります。ヨーガは調和とバランスを重視します。それは社会との関係や日々の生活においても同様です。以下の戒律をヨーガ修行者は自ら守ろうとします。
①ヤマ(禁戒・為してはいけないこと)
1.非暴力(アヒンサーahimsa):行動や言葉、思いも含めて、他を傷つけないこと。
2.正直(サティヤsatya):嘘をつかないこと。約束を守ること。誠実であること
3.不盗(アステーヤasteya):すべてのものを盗まないこと。
4.禁欲(ブラフマチャリヤbrahmacarya):性的に清らかであること。
5.不貪(アパリグラハaparigraha):生活の中で、必要以上の物を所有しないこと。貪欲を起こさないこと。
仏教の五戒です。この禁戒を実践することで、修行者と社会との関係に平安が訪れます。そして大きなエネルギーが保持され、さらなる実践に注ぎ込むことができるのです。
②ニヤマ(勧戒・為すべきこと)
続けて、ヨーガ修行者が日々の生活の中で積極的に取り組む項目になります。
1.清浄(シャウチャsauca):身体と心を清らかに保つこと。
2.知足(サントーシャsamtosa):足るを知ること。
3.苦行(タパスtapas):強い心で熱心に、自己を鍛錬すること。
4.読誦(スバディヤーヤsvadhyaya):聖典や経典を読み、マントラを唱え、自己を啓発すること。
5.神への祈念(イーシュバラ・プラニダーナisvara-pranidhana):神に祈りを捧げ、神を瞑想すること。
あなどってはいけない! ヤマ、二ヤマ
①ヤマ、②ニヤマを完璧に遂行するのはけっして容易ではありません。
例えば『ヨーガ・スートラ』では
非暴力(アヒンサー)の戒行に徹したならば、その人のそばではすべてのものが敵意を捨てる(Ⅱ・35)
と述べられています。
ガンディーはアヒンサーを自らの信条とし、インド独立運動の際にはアヒンサーを旗印として掲げたことはあまりに有名です。ですが、そんなガンディーでさえ最期は銃弾に倒れたのです。
もし、ガンディーがアヒンサーを完成させていたならば、暗殺者は敵意を捨てて自ら銃口を下ろしたはずです。そのことを思うと戒を貫く厳しさが伝わります。
八段階の修行システムは、らせん状に円環しています。八つの段階を一巡したら、再び①ヤマ、②ニヤマの戒律に至るのです。また、これらの一つでも完璧に成し遂げるだけでも、⑧サマーディ(解脱)の境地に至ることができるとも言われています。
アーサナ、プラーナーヤーマ、プラティヤハーラ~身体、呼吸、感覚のコントロール
③アーサナ(坐法・身体のコントロール)
③アーサナとは元々、瞑想をするための「坐法」を意味していました。ヨーガ・スートラでは、アーサナは以下のように明確に定義されています。
坐法は安定していて、快適なものでなくてはならない(Ⅱ-46)
しかし、私たちが一旦坐法を試みると、すぐに膝は痛み、足はしびれ、背すじは曲がり、身体を動かさずにはいられなくなります。
古代インドの人々も同様だったのでしょう。また、厳しい瞑想修練のために身体を害する修行者も続出したものと思われます。
長時間座り続けられる、強靭でしなやかな身体作りのために、人々は身体を前屈したり、反ったり、ねじったり、逆立ちしたりという、様々なポーズを考え出したのです。
筋骨格や内臓、神経系を整え、血流や解毒を促進させ、ホルモン系や免疫系にも働きかける効果があります。こうしてハタ・ヨーガが誕生しました。代表的なポーズだけでも100種類以上あります。
④プラーナーヤーマ(呼吸・プラーナのコントロール)
安定した快適な坐法が完成したら、④プラーナーヤーマに進みます。ここではプラーナ(生命エネルギー)のコントロールを主な目的とし、ヨーガの呼吸法を中心に実践していきます。
プラーナとは、気、宇宙に満ちたエネルギーのことであり、呼吸という働きによって、人はそれを生命エネルギーに変えていきます。
『ヨーガ・スートラ』では、
プラーナーヤーマを行うことによって、心の輝きを覆い隠している煩悩が消える(Ⅱ-52)
と述べられています。
③アーサナと④プラーナーヤーマ(ヨーガの呼吸法)は、『ヨーガ・スートラ』以降に発展したハタ・ヨーガにおいて大成し、その具体的な実践法が現在に伝えられています。
⑤プラティヤハーラ(制感・感覚のコントロール)
ヨーガ行者はバランスのとれた、穏やかな内なる世界を求めています。その一方で外界は、私たちを刺激し続けるありとあらゆるもので溢れかえっています。
⑤プラティヤハーラとは、こうした外の世界から目、耳、鼻、舌、身を入り口とした感覚を引き戻すことです。甲羅の中に首や四肢を引っ込める亀のように、外界の刺激や影響を遮断し、内界が乱されないようにするのです。
お釈迦様は雷鳴のために天地振動するような時に瞑想をしていて、その雷鳴を少しも知らなかったというエピソードがあります。
サーラダー・デーヴィーは、目を開けた状態であまりにも深く瞑想に没入するあまり、目玉にハエが止まっていても気づかず、目を傷めてしまったことがあります。
ダーラナー、ディヤーナ、サマーディー(三昧)~瞑想部門
⑥ダーラナー、⑦ディヤーナ、⑧サマーディー(三昧)。これらは、八段階の修行システムの中の瞑想部門です。
⑥ダーラナー(精神集中)
この部門ではまず何かひとつ集中する対象を定めます。『ヨーガ・スートラ』では、それは「自分にとって好ましいもので良い」としています。
ヨーガでは『トラータカ』という瞑想法があります。ロウソクの炎など一点を凝視する方法です。他にもマントラや神仏の御姿、特定のイメージや思考、音など、どれかひとつの対象に心を集中させていくのです。
呼吸を集中の対象にすることもよく行われています。原始仏教では『アーナパーナサティ』といって、いまあるがままの吸う息、吐く息に意識を向け続ける瞑想があります。ヨーガにも各種の呼吸法がありますね。禅宗では『数息観』といって息を数える瞑想を行います。
トータプリーはガラスの破片をラーマクリシュナの眉間に突き刺し、「心をこの一点に集中せよ!」と叫びました。ラーマクリシュナはただちにサマーディーの境地に入り、そのまま三日間、サマーディーの境地に浸り続けました。
⑦ディヤーナ(瞑想)
⑦ディヤーナ(瞑想)を音訳したのが、禅那です。そこから禅へ、つまりディヤーナは仏教『禅』の語源となっています。
心は瞬時にあちらこちらと彷徨っています。その彷徨える心をひとつの所にとどめて動かないようにすることは、暴れ馬を飼いならすほどの難しさがあると例えられています。
瞑想を始めるとまるで酔っ払った猿のように落ち着きのない心の動き、雑念や妄想に、気持ちが挫けるかもしれません。それでも決して短気を起こさず、たゆまず、根気よく瞑想を実践していくのです。
ヴィヴェーカーナンダとギリシュが樹の下で瞑想をしていたときがありました。すると、無数の蚊が二人に群がってきました。ギリシュは精神を集中しようとしましたが、駄目でした。
目を開けてヴィヴェーカーナンダの方を見ると、彼の体は一面蚊に覆われているにも関わらず、まるで何もないかのように、静かに瞑想に没頭していたのでした。
⑧サマーディー(三昧)
⑧サマーディーは『三昧』と漢訳され、現代でもよく使用されています。「読書三昧」「ゲーム三昧」など、その対象に集中して没入している様子を表しています。
心をひとつの対象にしっかりと固定します。精神統一ですね。そして対象に完全没入してひとつになるような段階を経て、心の働きが全面的に静止してしまうとき、サマーディと呼ばれる境地に至ります。
超集中のヨーガ
深い瞑想に入るポイントは?
古典『ヨーガ・スートラ』における瞑想のポイントは超集中です。一点集中と言ってもいいでしょう。一点に超集中し、それが成功すると、その一点が視覚的に拡大します。その拡大しきった対象に自分が完全に没入する形でひとつになり、サマーディに入ります。
『マハーバーラタ』には次の有名なエピソードが収められています。
武術の師ドローナは、木製の鳥を木の枝にかけ、弟子たちに一人ずつその鳥の目を狙わせました。そして、「何が見えるか?」と尋ねました。弟子たちは庭や木、枝、鳥などと述べましたが、誰一人鳥の目を射抜くことができませんでした。
次に、ドローナは一番弟子であるアルジュナに同じ質問をしました。「何が見える、アルジュナ?」と。彼は「鳥の目が見えます」と答えました。ドローナがさらに問うと、「他には何も見えません」と断言しました。
「本当に他には何も見えないのか? すべてを言うのだ」とドローナが追及しても、彼の答えは変わりませんでした。「目だけが見えます。他には何もありません」。そこでドローナは矢を放つように命じました。アルジュナの放った矢は、見事に鳥の目に的中しました。
私は少年期に10年ほど書道を習っていました。筆先に超集中できた時、筆先がぐわぁーと拡大し、私の視界全てを覆うという経験をしました。その瞬間、私が筆先に取り込まれ、私と筆先が一つになりました。そのときはまさに無双状態でした。超集中の続く限り思うがままに筆をふるうことができたのです。
超集中を瞑想の時に発動できるかがポイントになります。しかし現代人はあまりに忙しく、情報や五感を刺激するものにあふれているため、心はあちこちに散乱しがちです。
ですから、ただ単に座って目を閉じていても、本当の⑦ディヤーナ(瞑想)とは言えません。集中力を養う必要があります。その答えが、八段階の修行システムそのものなのです。
つまりただ座って目を閉じるよりも、準備段階をしっかり踏んでいくことが重要になります。①ヤマ、②二ヤマで日常生活を整えて、③アーサナ、④プラーナーヤーマ、⑤プラティヤーハーラで身体、呼吸、感覚をコントロール下に置きます。こうしたプロセスで散乱した心をしっかりとまとめて瞑想に入っていくのです。
なぜヨーガの呼吸法で集中力が高まるのか?
呼吸のコントロールによって、集中力を最適化することができます。それは集中力が呼吸の影響を大きく受けるからです。呼吸法が集中力を高められる理由は、いくつかの生理的、心理的な側面に基づいています。以下に主な理由を説明します:
1.自律神経の安定:深くリズミカルな呼吸は、自律神経系のバランスを整えます。特に副交感神経系が活性化し、リラックスした状態をもたらします。これにより、ストレスや不安が減少し、集中しやすい状態が生まれます。
2.注意力の向上:呼吸に意識を集中することで、心が現在の瞬間に留まりやすくなります。雑念や気が散ることから解放され、瞑想に対する注意力が高まります。
3.心理的なリセット効果:呼吸法を行うことで、心理的に「リセット」される感覚を得ることができます。これにより、ストレスや過去の出来事から離れて、新たな気持ちで集中することが可能になります。
4.ストレスホルモンの減少:深い呼吸はストレスホルモンのレベルを下げることが示されています。ストレスが減少すると、集中力やパフォーマンスが向上します。
このように、ヨーガの呼吸法は単に身体的な側面に影響を与えるだけでなく、心の状態や認知機能にも影響を及ぼし、結果的に集中力の向上につながるのです。
まとめ
『ヨーガ・スートラ』の八段階の修行システムは、ヨーガを体系的に理解するための枠組みです。このシステムは、道徳的な基礎である①ヤマと②ニヤマから始まり、身体的な③アーサナ、呼吸法の④プラーナーヤーマ、さらには⑤感覚のコントロール、⑥精神集中、⑦瞑想、そして究極的な意識の統合を目指す⑧サマーディに至るまでの進行を示しています。
『ヨーガ・スートラ』においては、心のコントロールと内面の洞察を目指す心の科学であることが強調されています。プラーナーヤーマの実践はこのプロセスにおいて重要な役割を果たし、超集中を高める手段となっています。
本稿では、『ヨーガ・スートラ』が示す八段階の修行システムを概観し、それぞれの段階がヨーガ実践においてどのように統合されるかを探りました。これらの教えを実践に取り入れることで、ヨーガの本質を深く理解し、日々の生活における心の平安と高い意識状態を得ることができるでしょう。
コメント