【約束された弟子】ヨーガーナンダの生涯(3)師ラーマクリシュナを観察する

Ramakrishna world

四六時中、師ラーマクリシュナを観察せよ

ラーマクリシュナは「四六時中サードゥ(出家修行者)を観察し、その上で彼を信用せよ」と弟子たちに教えていました。 

そのサードゥが自分の教えどおりに実践しているか観察しなさい。言動不一致な人を、決して信頼してはならない

それは彼自身も例外ではありませんでした。師であるラーマクリシュナを最高の理想とするまで、「あらゆる方法でわたしを調べなさい」と弟子たちに奨励したのです。

ある晩、ヨーギンは師の許しを得て、ラーマクリシュナの部屋で眠りにつきました。真夜中、ヨーギンが目を覚ますと、部屋の扉が開いており、師がいないことに気づきました。散歩かと思いましたが、辺りに誰の姿も見えませんでした。

突然、ヨーギンに疑念が起こりました。「奥様に会いに行かれたのだろうか? でも『愛欲と金を放棄せよ』というご自身の教えに反することがあり得るだろうか?」 

ヨーギンは真実を知ろうと決心しました。彼は、サーラダ・デーヴィー(後のホーリーマザー)が寝泊まりしている音楽塔の扉を見張ったのです。

するとパンチャヴァティ(ラーマクリシュナの修行場)の方からサンダルの音が近づいてきました。間を置かず師が、ヨーギンのそばに立ちました。

「おや、ここで何をしているのかね?」師は尋ねました。ヨーギンはひどく恥じ入ると、頭を垂れて、口もきけずにいました。

ラーマクリシュナはすべてを理解しました。師は気を悪くするどころか、ヨーギンを安心させようとしました。

「よくやった! お前はサードゥを四六時中よく確かめ、それから信じるべきだ」師から優しい言葉をかけられましたが、ヨーギンはその夜は眠ることができませんでした。

師のなさることには必ず深い意味が隠されている

別のある時、ラーマクリシュナは自分への割り当て分のプラサード(神への供物のおさがり)が届かず、気をもんでいました。生まれの良さを誇りにしていたヨーギンは、思わずこう口をすべらしました。「あんなもの別に来なくても、かまわないではありませんか?」

しかし師の耳には入らない様子で、ラーマクリシュナは事務長のところに自ら急ぎました。師がつまらないことで動揺するのを見たヨーギンは、持ち前の批判精神を発揮しました。

「なるほど、師は偉大な聖者だが、つまらないことで心配なさるのは、やはり生まれた環境が影響するのだろうか? 師は貧しいブラーフミンの家の生まれだから」

ヨーギンが部屋で待っていると、ラーマクリシュナが帰ってきて、ヨーギンにこう言いました。

「ラニ・ラスモニ(カーリー寺院を建立した大富豪)は、修行者や信者たちにプラサードがゆき渡るように、巨額の財産を残したのだ。しかしこの寺院の神職たちはそんなことを考えもせずにプラサードを金に換えたり、時には売春婦にやってしまうこともあるのだ。だからわたしはあの敬虔な婦人の意志がかなうように、特に気を配っているのだよ」 

ヨーギンはこれを聞いて驚き、「ああ、何ということか! どんなささいなことでも、師のなさることには必ず深い意味が隠されている」 と知りました。

ラーマクリシュナ(1834-1886)

性欲を取り除く

ある日、ヨーギンは師に尋ねました。「人はどうしたら性欲を取り除けますか?」

ラーマクリシュナはこう答えました。「神に祈りなさい。神に祈ることでたやすく取り除ける」

しかしこのシンプルな方法は、ヨーギンの興味を引きませんでした。「神に祈る人はたくさんいるが、彼らの生活は何も変わらないではないか」と批判的に思いました。ヨーギンは師から何かヨーガの実践を教わることを期待していたのです。 

そのころドッキネッショルには、アクロバティックなポーズを見せるハタヨーギー(肉体操作をするヨーガの修行者)が滞在していました。ヨーギンはハタヨーギーのそばに座って、彼の言葉に耳を傾けていました。

ちょうどその時、師ラーマクリシュナがその場を通りかかりました。師は愛情をこめてヨーギンの手を取り、自分の部屋に連れて行きました。

「どうしてあそこへ行ったのか? おまえがそんなヨーガの運動を実践すれば、すべての思いは神ではなく、肉体に集中するだろう」

師の言葉にヨーギンは「もしかして師はハタヨーギーを嫉妬していて、自分への献身がハタヨーギーに移るのを恐れているのではないか?」と思いました。

しかし、彼は師への批判的思考を反省して、師から勧められた『神への祈り』の方法を試してみました。 すると驚いたことに、それは彼の性欲を一掃してくれたのです。

後にヴィヴェーカーナンダは次のように彼を称賛しています。「わたしたちの中で性欲から完全に自由な者がいるとすれば、それはヨーギンだ

ラーマクリシュナの最期

こうしてヨーギンは、師の注意深い導きのもとで成長していきました。彼は完全に師に帰依するようになりました。後にラーマクリシュナが病に倒れ、カーシープルで治療を受けていた時、彼は愛する師の病床に侍り、昼も夜も懸命に働きました。

看病による長期間の過労は、丈夫でないヨーギンの体にダメージを与えました。しかしこの献身的な弟子はひるまず身を粉にして働きました。

ラーマクリシュナがこの世を去る8日か9日前に、師はヨーギンに、 ベンガル暦のシュラヴァナ月29日目(西暦8月9日)以降を読むように頼みました。ヨーギンはそれぞれの日の行事と星の配置を読み上げていました。

ある日付のところまで来ると、師は「もうよい」とヨーギンを止めて暦を片付けさせました。その日付は西暦8月16日でした。このようにしてラーマクリシュナは肉体を去る日を決めたのでした。

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