【炎の献身者】ラーマクリシュナーナンダの生涯(3)

Ramakrishna world

【ヴィヴェーカーナンダからの依頼】

師への献身と同様、ヴィヴェーカーナンダに対するラーマクリシュナーナンダの愛も、素晴らしいものでした。ヴィヴェーカーナンダのどんなささやかな望みでも、それを叶えるために、彼はいかなる苦労も厭いませんでした。

ヴィヴェーカーナンダは、厳格なヒンドゥー教徒であるラーマクリシュナーナンダを、ときどきユーモアでからかいました。あるとき彼はラーマクリシュナーナンダにこう言いました。

「僕は、君の僕に対する愛を試してみたいのだ。僕のために、イスラム教徒の店でイギリスパンを一つ買ってきてくれないか?」

ラーマクリシュナーナンダは承知し、ヒンドゥー教の伝統的な決まりを破って、本当にイスラム教徒の店でイギリスパンを買って来たのでした。

ヴィヴェーカーナンダは、世界宗教会議で最高の評価を受けたときも、欧米でヴェーダーンタやヨーガを説いているときも、インドを忘れませんでした。この英雄が祖国に帰還すると、インドの民衆は熱狂して彼を迎えました。

ヴィヴェーカーナンダが救済計画を初めて公表したのは、南インドのチェンナイ(旧マドラス)においてでした。それを聴いた人々は、どうかチェンナイにも兄弟僧を派遣して、僧院を作ってほしいと嘆願しました。彼はこう答えました。

「南インドの最も正統的な人たちよりもさらに正統的であり、それと同時にユニークで、神の礼拝と瞑想においてはその右に出る者はいない、という人物を送ることにしよう」

このときヴィヴェーカーナンダの頭にあったのが、ラーマクリシュナーナンダでした。

南インドは正統派ヒンドゥー教の拠点であり、保守的なエリアでした。そこに新たな息吹を吹き込むには、優れた知性とゆるぎない信仰を持ち、伝統を深く敬う人物が必要でした。これらの条件を全て満たし、なおかつ慈悲心あふれる人がラーマクリシュナーナンダだったのです。

チェンナイに布教活動に行くことは、ラーマクリシュナ―ナンダにとって師の遺骨から離れることを意味していました。しかしそれがヴィヴェーカーナンダの望みであるため、彼は喜んで承諾したのでした。

人はどうしたら善き真理の説教者になれるのか?

ラーマクリシュナーナンダは、ヴィヴェーカーナンダに、人はどうしたら善き真理の説教者になれるのか尋ねました。

ヴィヴェーカーナンダは答えました。「まずはじめに、人は光り輝いていなければならない」

そしてラーマクリシュナーナンダの顔に触れて言いました。「恩寵は必要だ」

さらに彼の唇に触れて言いました。「人は優しく話さなければならない」

ヴィヴェーカーナンダは彼の胸に手を置いて、魂を揺さぶる声で言いました。

心だ! 心だ! 人は広大かつ自由な心を持たねばならない。さもなければ、誰もその言葉に注意を払わない。わたしは知力を通じて果たせなかったことを、心を通じて、それより遙かに多くのことを果たすことができた。それはわたし達の主(ラーマクリシュナ)もまた同様に為された

ラーマクリシュナーナンダ(1863-1911)

ラーマクリシュナーナンダ、チェンナイで猛烈に働く

1897年、34歳頃のラーマクリシュナ―ナンダは、チェンナイに到着しました。たった一人でのスタートでした。彼は猛烈に働きはじめました。

週の何日かは、日に数回講義をしました。それらのクラスはチェンナイ中に散らばっていたため、彼は長い時間をかけて一日中歩き回りました。夜、僧院に帰る頃には疲れ切って、料理を作る力も残っておらず、パン一切れで夕食をすますこともありました。

このような激しい努力をしても、彼には「自分がやっている」という自尊心は全くありませんでした。彼は「自分は神のしもべである」と思っていました。

講義を終えて僧院に戻ると、自ら自分に罰を与えることがありました。「講義の仕事でわたしのなかに、いかなるうぬぼれも生まれませんように」と祈りました。彼はあるとき、こう言いました。

「もしペンに意識があれば、彼はこう言うでしょう。『わたしは何百通も手紙を書きました』と。しかし実際には何もしていないのです。ペンを握っている人が手紙を書いたのですから。

そのように、わたしたちには意識があるので、自分たちがあらゆることをしていると思うのです。しかし本当は、ペンがわたしたちの手の中にあるように、わたしたちはより高い力(神)の手の中にある道具なのです。神がすべてのことをなさるのです

僧院の物資やお金に窮することも頻繁でした。しかし彼はそれを誰にも話しませんでした。ある日のこと、僧院には、チャパティ(イースト菌不使用の平たいパン)を焼くためのギーがなくなりました。するとそこへ偶然、彼の生徒の一人がやってきて、ギーを彼に供養しました。

「生きるために必要なものを、どのようにして手に入れているのですか?」と聞かれてラーマクリシュナーナンダはこう答えました。「何か必要なときには、いつも神が与えてくださるのです」

さらに彼は言いました。「もしどうしても助けなしでやっていけないなら、主ご自身にお願いすればいいではないですか。どうして他の人に頼むのですか?」

実際、ラーマクリシュナーナンダは何度も、この言葉通りのことを経験しました。たとえばある年のラーマクリシュナの生誕祭のとき、貧しい人に配る料理のためのお金が全くありませんでした。

困ったラーマクリシュナーナンダは、一晩中、ぶつぶつと神への祈りを唱えながら、僧院の中を歩き回りました。するとその翌朝、彼の本を読んで感動したある王子から、多額の寄付が届いたのでした。

チェンナイにおいても変わらない師への献身

チェンナイにおいても、ラーマクリシュナーナンダは、師への礼拝を続けました。彼は師が生きていたときと同じように、師に仕えました。

たとえば、温かい方がおいしい料理を師に捧げるときは、竈に火を燃やしておき、そこから温かい状態で少しずつ、師に供えました。また、食後には必ず木の枝のハブラシを供えるのでした。

昼食をお供えした後は、師が楽に休めるように、しばらくの間、祭壇を扇で扇ぎました。夏の夜などは、うだるような暑さで師の眠りが妨げられないように、窓を開け、扇で風を送りました。

また、ぶつぶつと師と何か話しているラーマクリシュナーナンダの姿が、よく見かけられました。

あるとき政府の高官がラーマクリシュナーナンダを訪ねて来ました。ちょうどそのときラーマクリシュナーナンダは、朝の礼拝を終えて、師を扇で扇いでいるところでした。「シヴァであるグル、真理であるグル、永遠のグル、至高のグル・・・」と師を称える詞章を唱えながら。

彼の顔は紅潮していました。数時間にわたり師を扇ぎ続けました。その様子を見た高官は、深い畏怖と尊敬の念に打たれ、ラーマクリシュナーナンダにひれ伏して、そのまま帰って行きました。

またあるとき、議論好きの学生が「亡くなった人の写真を礼拝するのは精神異常者である」と大胆にラーマクリシュナーナンダを批判しました。それに対してラーマクリシュナ―ナンダは、「師の写真や寺院の神像は、単に感覚のない、生命のない、反応のないものではない。会話することもできる生きた神々である」と答えました。

この言葉には、実に誠実で純粋な響きがありました。何とこの懐疑的な学生は、「彼が言ったことは真実に違いない」と自分の狭い考えを改めたのでした。

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