重病を克服する:自灯明法灯明の教え
ブッダは35歳で悟りを開いた後、北インドを巡り、45年間にわたって教えを説き続けました。ブッダの信者は増え続け、多くの人が悟りを得ました。
ブッダが八十歳の雨季を竹林村で過ごしていた時、深刻な病に倒れました。死ぬほどの激痛に襲われながらも、ブッダは深い瞑想に入り、この苦しみを耐え忍びました。
従者のアーナンダは、ブッダの身体をマッサージしながらこう言いました。「尊い師よ、師がこのように衰弱されたのは初めてのことです。私は心配で身体が震え、途方に暮れました。
『師はまだ最後の教えを説いていない。このまま涅槃に入るはずがない』と自分に言い聞かせていました」
ブッダは返答しました。「アーナンダよ、これ以上私から何を望むのか。私はもう十分に真理の法を説いた。私に隠している奥義や秘伝は存在しない。
この肉体もすでに老い朽ち、古ぼけた車のように、あちらこちらが傷み壊れている。しかし、私が深い瞑想状態にある間は、身体に苦痛はまったく感じられないのだ。
アーナンダよ、そなたらは自己を灯明としなければならない。自己をよりどころとして、他をよりどころとしてはならぬ。
そなたらは法を灯明としなければならない。法をよりどころとして、他をよりどころとしてはならぬ。
『肉体』と『感覚』と『心』と『心の対象物』を注意深く観察して、精進を怠らず、貪りと憂いを除きなさい」
ヴェーサーリーは美しい!
雨季が明けると、ブッダはアーナンダを連れてヴェーサーリーへ托鉢に出かけました。食事が済むと、チャーパーラ霊樹のもとに向かいました。そこでブッダは感嘆の声をあげました。
「アーナンダよ、ヴェーサーリーは美しい。ウデーナ霊樹、ゴータマカ霊樹、サッタンバ霊樹、バフプッタ霊樹、サーランダダ霊樹、そしてチャーパーラ霊樹、それぞれが美しい!」
ブッダは美醜に囚われることなく、純粋に美しいものを楽しむ境地にあったのです。
チャーパーラ霊樹の下で、ブッダは自らの寿命を保つ力を捨てました。その瞬間、大地震が発生し、人々は恐怖に襲われました。
ブッダは、近辺に住む比丘たちを講堂に招集しました。そして「比丘たちよ」と語りかけました。
「そなたたちは私が伝えた教えを、熱心に学び、修行し、実践し、伝えてほしい。それがすべての衆生の幸福のためになるのだ。
真理の教えの根本とは何か? それは『三十七菩提分法』である。すなわち、四念処・四正勤・四神足・五根五力・七覚支・八聖道の中にある。
比丘たちよ、あらゆるものは無常である。怠ることなく精進しなさい」。そしてブッダは「これから三か月後に、私は涅槃に到るであろう」と表明しました。
翌朝、ブッダは身なりをととのえ、托鉢の鉢と外衣をもって、ヴェーサーリーへ托鉢に行きました。そこを去る時、ブッダは峠の上からふり返り、巨象の王のような眼差しでヴェーサーリーを眺めました。
「アーナンダよ、ヴェーサーリーは本当に美しい。これが私のヴェーサーリーへの最後の眺めとなるだろう」とブッダは言い、それからまっすぐ前を向いて「さあ、バンダ村へ行こう」と言いました。
ブッダ最後の食事:鍛冶屋の息子チュンダの供養『スーカラ・マッタワ』
バンダ村で心のままに過ごした後、ブッダはハッティ村、アンバ村、ジャンブ村を経由して、ボーガ市に到着しました。アーナンダ僧院で休息を取り、法を説きました。その後、ブッダはパーヴァーへと旅を続け、鍛冶屋の息子チュンダが所有するマンゴー林にやってきました。
知らせを受けたチュンダは急いでブッダを迎えに行き、敬意を表して礼拝しました。ブッダは彼に説法を行い、励まし、喜びを与えました。チュンダは、ブッダと比丘たちを翌日の食事に招待しました。
翌日、チュンダは『スーカラ・マッダワ』という特別な料理を含む豪華な食事を用意しました。ブッダはチュンダに、スーカラ・マッダワは自分だけに、他の料理は比丘のために用意するように伝えました。
食後、ブッダはチュンダに告げました。「スーカラ・マッダワの残りを穴に埋めなさい。この料理は他の誰にも消化できないだろう」と。
その夜ブッダは出血を伴う激しい腹痛に見舞われました。ブッダは念正智をもってこの苦痛を耐え忍んでいました。翌朝、病気にもかかわらず、ブッダは最後の旅を続けました。
旅の途中で、ブッダは道を外れ、木の根元に座りました。そして「アーナンダよ、水を持ってきてくれ。私は喉が渇いている。私は飲みたいのだ」と言いました。
アーナンダは返答して、「師よ、いましがた牛車の一隊が川を渡り、水は泥で濁っています。ここから遠くない場所にカクッター川があります。あそこの水は澄んでおいしいです。どうかそこまでお待ち下さい」と提案しました。
しかしブッダが三度も水を求めたので、アーナンダは小川に行き、泥水をすくいました。すると驚くべきことに、水は澄んで清らかに変わりました。
ブッダはカクッター河に向かい、そこで最後の沐浴を行い、さらにもう少し水を飲みました。その後、近くのマンゴー林へ行き、右脇を下にして横になり、休息を取りました。
ブッダはアーナンダに次のように語りました。
「アーナンダよ、鍛冶屋の息子チュンダの家で食べた食事が、私の最後の食事となった。誰かが『ブッダに悪いものを食べさせた』と誤解して、チュンダを責めるかもしれない。だからチュンダに伝えてほしい。
『私の人生で最も価値ある二つの食事がある。それは悟りを開く直前の食事と、涅槃に入る直前の食事である。この最後の食事を提供したチュンダは、大いなる功徳を積んだのである』と」
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