【多聞第一】ブッダの従者アーナンダ(阿難)の物語(1)

仏教

十大弟子の一人であるアーナンダは、ブッダの従兄弟で、長年にわたり侍者としてブッダに奉仕し続けた人物です。また、ブッダの説法を常に間近で聴き、一言一句違わず記憶できたため『多聞第一たもんだいいち』と称えられました。

彼は情に厚く、コミュニケーション能力に長けており、その美しい容姿からも多くの人々に愛され、慕われました。ブッダの養母の深い願いを聞き入れ、ブッダに懇願して、当時許されていなかった女性の出家の道を切り開いたのもアーナンダでした。

ブッダの没後、仏教経典の編纂においても彼は中心的な役割を果たし、その後の仏教教団の大きな発展に貢献しました。これから、そのアーナンダの生涯を詳しく紐解いていきましょう。

アーナンダの生い立ちから出家まで

アーナンダは、ブッダの父シュッドーダナ王の弟アムリトーダナ王(甘露飯王かんろぼんのう)の息子としてこの世に生を受けました。ブッダとは従兄弟の関係です。

アーナンダは生まれながらにして秀麗な顔立ちをしていました。その切れ長の美しい眼は青蓮華を思わせ、顔は清らかな満月のようで、その体からは黄金の光が放たれていました。

占い師は「この子は後に出家して、ブッダの弟子となり、常随の侍者となるでしょう」と占いました。

シッダールタがブッダとなり、カピラヴァストゥに凱旋して教えを説くと、多くの若者たちが弟子入りしました。そのときのブッダの言葉に、「アーナンダが出家すれば、私の滅後において長く大法を伝えるであろう」という予言がありました。

ブッダの威容と説法に魅せられたアムリトーダナ王は、我が子を出家させる決意を固めました。アーナンダはアヌルッダ、バグ、キンビラ、バッディヤ、デーヴァダッタといった釈迦族の王族の若者たちと共に、宮殿を離れました。アーナンダはその中で最も若く、まだ十代でした。

比丘尼僧団の創設:アーナンダの懇願

シュッドーダナ王の逝去の後、その妻でありブッダの育ての母でもあるマハーパジャーパティー・ゴータミーは、人生の無常と「生老病死」の苦悩を身をもって感じました。彼女は心底から出家を求め、ブッダにその願いを再三伝えました。

「釈迦族の多くの若者がすでに出家し、あなたのもとで学んでいます。その中には家庭を持っていた者も多く、彼らの妻たちもまた、出家の道を望んでいます」と、ゴータミーはブッダに強く訴えました。しかし、ブッダはこの要望を拒否しました。

数日後、ブッダがヴェーサーリーへ旅立ったことを知ると、ゴータミーは出家を望む五百人の女性を率いて彼の後を追いました。彼女たちは覚悟を示すために、美しい着物と宝石を捨て去り、裸足で数百キロの過酷な道のりを歩きました。

若き仏弟子アーナンダが水を汲みに林の外に出ると、女性たちの集団を発見しました。彼女たちはみな髪を剃り法衣を着ていました。彼女たちは疲労困憊しており、足は傷だらけで血が滲み、法衣はほこりにまみれ、泣いている者、倒れている者もいました。

アーナンダはその中に叔母の姿を認め、自分の目を疑いながら叫びました。「何ということです! ゴータミー妃ではありませんか!」

アーナンダはゴータミーから事情を問いただすと、これらの女性たちの深い願いに心打たれました。「ここでお待ち下さい。できる限りのことをいたします」。そしてブッダに彼女たちのことを話すと、出家を許すように懇願しました。

ブッダは言いました。「アーナンダよ、女性の出家は許されない。それは諦めるべきだ」。しかし、アーナンダは、ブッダの育ての母であるゴータミーの偉大な徳を強調し、彼女たちの出家を重ねてお願いしました。

ブッダは述べました。「マハーパジャーパティーは高徳な女性であり、すでに三宝に帰依し、五戒を守り、『四つの聖なる真理』を理解している。だから彼女は出家せずとも、在家で私の教えを実践すればそれで良いではないか」

「出家できないということは、女性では悟りの境地には至れないということでしょうか?」

「否、真理を前に男女の区別はない」とブッダは断言しました。

アーナンダは勢いを得て「もし女性が法と戒を守り、悟りに至ることができるならば、出家を許可すべきです」と熱く訴えました。従順なアーナンダがブッダにここまで食い下がったのは、後にも先にもこの時だけでした。

ブッダが女性の出家を認めなかったのは差別からではなく、女性が僧団へ参加することによって、男性修行僧の心が乱れることを懸念していたのでした。さらに当時の女性の社会的地位を考慮した現実的な理由によるものでした。しかし最終的にブッダは八つの戒律を守ることを条件に、女性の出家を許可しようという気持ちになりました。

この八つの戒律というのはかなり厳しいものでしたが、ゴータミーは歓喜してアーナンダに伝えました。「喜んでこの戒律をいただきますわ。命をかけてこの規則に従います!」こうして仏教教団に比丘尼僧団が創設されることになリました。

プラクリティからの求婚:アーナンダの危機とブッダの救い

仏弟子としての道を歩み始めてからも、若きアーナンダの天性の美貌は女性たちの注目を集め、ときには誘惑に悩まされることもありました。


ある日、アーナンダは祇園精舎を出発し、托鉢をしながら街を歩いていました。うだるような暑さで彼は喉の渇きを覚えました。そんな時、一人の若い女性が井戸端で水を汲んでいるのを見かけました。


「私は仏弟子のアーナンダです。恐れ入りますが、水を一杯いただけないでしょうか?」アーナンダが優しく尋ねると、女性は彼の美しさに目を奪われ、顔を赤くして目を伏せました。
「私は不可触民の娘で、プラクリティと申します。私のような身分の低い者に、水を差し上げる資格はありません」と、彼女は小さな声で答えました。


当時のインドでは、厳しい身分差別が存在していました。バラモンが頂点の司祭者階級、次にクシャトリアの王族や武士、その下にヴァイシャの生産者、そしてシュードラの奴隷階級がありました。プラクリティはこれらのどの階級にも属せない、最下層の身分でした。

アーナンダは柔らかく言いました。「師ブッダは、人間は生まれながらにして平等であると説いています。私は身分の違いを気にしません」

その言葉に心を打たれたプラクリティは、喜んで水を捧げました。アーナンダはその水を美味しそうに飲み干し、感謝の言葉を述べて立ち去りました。

このほんの小さな出来事が、プラクリティの心に深い恋慕の思いを芽生えさせました。彼女は呪術を得意とする母に頼み、アーナンダを自らに惹きつけるための術を施すよう求めました。

その頃、アーナンダは祇園精舎で瞑想に入っていました。そして心の中が情欲によって乱れ始めました。彼は無意識のうちに立ち上がると、何かの糸にひかれるかのように、ふらりふらりと歩き始めました。

しかし、道中でわずかに意識が戻ったアーナンダは、「ああ、世尊よ、お助けください!」と心の中でブッダに呼びかけました。するとブッダの神通力が瞬時に働き、彼の身にかかった呪術は効力を失い、アーナンダは危機を回避したのです。

それでもプラクリティはアーナンダを諦めることができず、翌日からは彼が托鉢するたびに彼に付きまといました。困り果てたアーナンダはブッダに相談し、ブッダはプラクリティを呼び寄せました。

「娘よ、どうしてもアーナンダと結婚したいのか?」とブッダが問いかけました。
「世尊よ、その通りです」とプラクリティは答えました。
「それならば、お前もアーナンダと同じ姿になりなさい」とブッダが言うと、プラクリティは髪を剃り、比丘尼の衣をまといました。ブッダは彼女の心が静まるのを待ってから、教えを説きました。

「娘よ、色欲は火のように自分を焼き尽くし、他人をも焼き尽くす。人は飛んで火に入る夏の虫のように、自ら炎に飛び込むことがある。しかし、智慧ある者は、常に色欲を遠ざけ、静かな幸せを得る。これからはそなたも、悟りを目指して精進するがよい」

プラクリティは、自分が情欲にかられてアーナンダを追い回していたことを深く恥じ、懺悔して、賢明に修行に励みました。後に彼女は解脱を遂げ、聖者の一人となったのです。

麻酔なしの手術

アーナンダは、驚くべき記憶力の持ち主としても知られていました。彼はブッダの説法を耳にするたびに、そのすべてを心の奥深くに刻み込み、何十年も正確に保存していました。また、アーナンダは記憶したことを寸分たがわず、細部まで全てをアウトプットできました。

弟子たちはブッダの説法で覚えきれなかったことがあれば、必ずアーナンダを探しました。精舎で勉強会をするときは、アーナンダがいつもブッダの教えを再現していました。それはブッダの口調や抑揚まで似通っていたのです。

ある年のこと、アーナンダの背中に大きな腫れ物ができて、高熱と苦痛を伴いました。その痛みはブッダの説法を聴聞している時だけは、すっかり忘れられるのですが、説法が終わるとまた、痛みがぶり返してくるのです。アーナンダはブッダに相談し、名医のジーヴァカに診てもらうことになりました。

ジーヴァカはこれは早く切開して膿を出さないと毒が全身に回ってしまう、しかしこれは大変な痛みを伴う手術になると考えました。

そこでジーヴァカは一計を案じました。説法の日、いつものようにアーナンダは全身全霊でブッダの言葉に耳を傾け、外界からの干渉を一切受け付けないほどの集中力を発揮しました。ジーヴァカは素早くアーナンダの背後に廻ると、そのまま手術を執り行いました。通常なら激痛が生じているはずですが、アーナンダは切開されていることすら全く気づかず、微動だにしませんでした。

後に、このときのことをブッダに尋ねられたアーナンダは、「世尊、私があなたの教えを聞くときには、たとえこの身体が砕かれようと、少しも痛みを感じません」と答え、ブッダは彼を褒め称えました。類似した話として、ラーマクリシュナの直弟子トゥリヤーナンダのエピソードがあります。

別のあるとき、アーナンダは夢の中で、頭の上に地球を乗せても少しも重さを感じないという不思議な夢を見ました。「これは一体どういう意味なのでしょうか?」とブッダに尋ねると、「それはそなたが、私の説いた教えを一句も忘れず、私の入滅後も暗唱できるということを意味している」と答えました。

コメント