ブッダ伝(13)幽閉されし王:ビンビサーラの最期

仏教

王妃の禁断の願いと運命の子の誕生

マダガ国の大王ビンビサーラはブッダより5歳年少で、15歳で戴冠し、その治世は52年におよびました。その時代、インドは十六の国による群雄割拠の時代でしたが、ビンビサーラ王はマガダ国をインド最強の国へと押し上げ、国民はかつてない繁栄を享受しました。

ゴータマ・シッダールタが悟りを開いてブッダとなると、王は深く仏教に帰依しました。王は仏教僧団に竹林精舎を寄進し、ブッダが長く過ごし説法を行った霊鷲山りょうじゅせんへの石段を造りました。さらに王は宝塔を建立して、ブッダの頭髪と爪を奉納しました。そこは聖地として絶えず祀りが行われました。

そんな繁栄の中、ビンビサーラ王の第一王妃であるヴェーデーヒー妃が懐妊しました。しかし、彼女はある禁断の思いに悩まされました。それは、夫である王の血を飲みたい、という異常な欲望でした。

王妃はこの欲望を誰にも明かすことができず、彼女の健康は日に日に悪化し、やつれていきました。

ビンビサーラ王が病気なのか、悩みを抱えているのかと問うても、何も答えなかった王妃でしたが、王の優しさと説得によって、ついにその禁断の願いを打ち明けました。王は愛する王妃にこう言いました。  

「おお、愚かな王妃よ! なぜそなたは、自分の欲望を満たすのが難しい、と思ったのか?」

それから王は侍医に指示して、自分の右腕を小さな金のナイフで切らせて、金の杯に血を溜めさせました。それを水と混ぜて王妃に飲ませました。こうして、王妃の異常な欲望は満たされたのです。

ヴェーデーヒー妃は自分のおなかに宿る子が、この異常な衝動の源であることに気づいていました。また、王家の占い師はこの子が将来、王の敵となり、父を暗殺する運命にあるという不吉な予言しました。しかし、ビンビサーラ王は我が子の生命を奪うことを拒否しました。

こうして、アジャータシャトル王子は生まれ、愛情と慈しみの中で成長していきました。

ビンビサーラ王暗殺未遂事件

アジャータシャトル王子は、父王のもとで立派に成長し、その風貌と気品は多くの人々を惹きつけました。その一方、仏弟子デーヴァダッタはブッダに対抗意識を燃やし、仏教教団に君臨するという野望を抱えていました。

そして彼はアジャータシャトル王子に目を付けました。王子はデーヴァダッタの神通力によってたちまちその心を支配され、王位への野心と父王への復讐心に駆られるようになりました。

ある静かな夜、アジャータシャトル王子は父王ビンビサーラの寝室に忍び込みました。しかし、王宮の護衛によって寸前で捕らえられ、忍ばせていた短剣が見つかると、ただちに王の前に連行されました。

「我が子よ、なぜそなたは剣を持って私の寝室にやってきたのか?」とビンビサーラ王は問いました。

アジャータシャトルは告白しました。「父上を殺すためです」
「どうして私を殺したいのか?」
「私は一日も早く王になりたいのです」
「なんだ、そのことなら、折をみて私から言い出そうと思っていたのに。私を殺そうなどと、いったい誰にそそのかされたのだ?」

王の問いかけに、王子は沈黙を貫きましたが、最終的にデーヴァダッタの名を口にしました。

この暗殺未遂事件を受け、側近たちは王子とデーヴァダッタの即時処刑を進言しましたが、ビンビサーラ王はこれを退けました。「アジャータシャトルを処刑はしない。我が息子だぞ。デーヴァダッタも処刑しない。彼はブッダの従兄弟であり、かつては尊敬された高名な比丘であったのだ」

そして王は「王子とデーヴァダッタの両方を許す!」と仏教の教えによる寛容さを示しました。「これにより二人が改心することを望む。明日、私が退位し王子が即位することを布告せよ。十日後に戴冠式を行うのだ」

幽閉されし王

霊鷲山

デーヴァダッタが突然王宮に現われ、何やらアジャータシャトル王子と密談していました。その二日後、ビンビサーラ王と側近たちは突如として捕らえられ、牢獄に幽閉されました。

ビンビサーラが入れられた牢獄は、暗くジトジトしていており、虫が這う音が絶えず聞こえていました。唯一の小窓からは、ブッダが滞在する霊鷲山りょうじゅせんの姿が望まれました。ビンビサーラには食事が与えられませんでした。

ヴェーデーヒー妃だけは、夫であるビンビサーラとの面会が許されており、彼女は頭髪の結び目に食べ物を隠して牢獄に持ち込んでいました。しかし、それが発覚しアジャータシャトルに禁じられてしまいました。

彼女は今度は滋養のある練り物を身体に塗りつけて運び、それを剥がしてビンビサーラに与えました。しかし、この行為もまた発覚し、ついにはヴェーデーヒー妃自身の訪問が禁じられました。

ビンビサーラの肉は落ち、身体は日に日に衰弱していきましたが、彼の心は決して折れませんでした。彼はアジャータシャトルやデーヴァダッタを恨むことなく、ただただ息子を憐れみ、彼の幸せを願い続けました。

ビンビサーラは牢獄の中で、霊鷲山を望みながら瞑想にふけり、経行を行いました。ブッダの教えを反復し、ブッダの御名を唱え続けました。彼はすでに聖者の初めの段階に達しており、その悟りの至福によって生きていたのです。

アジャータシャトルの改心とビンビサーラの死

そのような中、アジャータシャトル王に第一子が誕生しました。その瞬間、彼の心は強烈な父性愛で満たされました。

「このような愛は、父上も経験したのだろうか?」と思い、彼は母ヴェーデーヒー妃のもとへと急ぎ、尋ねました。「母上、私がこの世に生まれたとき、父上はどのように感じていましたか?」ヴェーデーヒー妃は深い悲しみと愛情を込めて語り始めました。

「あなたが生まれたとき、あなたのお父さまの愛情は計り知れないものでした。あなたがまだ赤ちゃんの頃、あなたの指に腫れ物ができてしまって、ずっと泣いていたの。誰もあなたをあやすことができませんでした。でも、お父さまは、訴訟の審理中にもかかわらず、あなたを抱き上げ、腫れ物があるあなたの指を口に含んだのです。

あなたはその温もりで安心し、そのまま眠りにつきました。その腫れ物がまもなく破れて臭い膿が出たとき、あなたを起こさないようにと、お父さまはそれを吐き出さずに飲み込んだのよ。嗚呼、あなたへのお父さまの愛情は、本当に偉大でした!」

この話を聞いたアジャータシャトル王は、感動に涙しました。そして自らの過ちを深く悔やみ「私は今、迷妄から目が醒めました。父上に申し訳ないことをした。どうかお許しください。父上にこれまでの行いを心からお詫びしに参ります」と言い、駆け出しました。

アジャータシャトルは幽閉されている父の元へと急ぎました。彼が蒸し暑くカビ臭い牢獄に到着したとき、ビンビサーラは既に息絶えていました。霊鷲山を望む窓の下で、彼の顔には微笑みが浮かんでいました。

アジャータサットゥ王は、自分の愚かさと無慈悲さを深く悔み、父王の葬儀を厳かに執り行いました。そしてヴェーデーヒー妃も、夫への深い愛と悲しみの中で間もなくこの世を去りました。

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