ブラフマーナンダの帰還
ブラフマーナンダの帰還は、兄弟弟子たちに大きな喜びをもたらしました。彼は兄弟弟子に言いました。
「僕はヴリンダーヴァンで非常に幸福だったけど、ここの僧院に住むためにあの聖地を去った。僕の兄弟たちと人類に奉仕したいと思ったのだ。
われらの師、聖ラーマクリシュナは至上の愛と献身の権化だった。僕たちの生涯、僕たちの僧院は、この世の苦しみと不幸を背負った世界中の人々にとって、やすらぎと希望と平安とならなければならない」
そのころヴィヴェーカーナンダはサイクロンのように欧米を駆け巡っていました。そんな彼が『ラジャ(王)』の帰還を知ったとき、彼はもう、ラーマクリシュナ僧団の運営については何ら心配することはない、と感じました。
2年後、ヴィヴェーカーナンダは欧米での輝かしい成功をおさめ帰国しました。ブラフマーナンダは彼の首に花輪をかけて歓迎しました。
ヴィヴェーカーナンダは「師の息子は師その人と見なされるべきである」と聖典の言葉を引用して、身をかがめブラフマーナンダの足に触れました。
ブラフマーナンダは優しく微笑み、ヴィヴェーカーナンダの足に触れて「人の兄はその父のごとく敬われるべきである」という、別の引用で返しました。
ヴィヴェーカーナンダはインドでの仕事のために、集めた金の全部をブラフマーナンダに渡し、「これでホッとした。神聖な委託金を本当の持ち主であるわれらのラジャに返した」と言いました。
1897年5月1日、ヴィヴェーカーナンダは、ラーマクリシュナの出家・在家の弟子たちの代表者会議を開き、ここで正式に『ラーマクリシュナ・ミッション』が結成されました。
そしてブラフマーナンダは、そのコルカタ・センターの長に選ばれました。その後、1902年、ブラフマーナンダはこのラーマクリシュナ・ミッション全体の長の座に推薦され、その後、彼自身がこの世を去るまで20年以上、その地位にありました。
ヴィヴェーカーナンダとブラフマーナンダ
ラーマクリシュナの高弟の双璧であるこの偉大な二つの魂は、その性質は大きく異なり、またそれは相補うものでもありました。かつてラーマクリシュナはこう言いました。
「ナレン(ヴィヴェーカーナンダ)は絶対者、非人格神の領域に住んでいる。彼は、引き抜かれた鋭い識別の剣のようだ。
ラカールは神、大慈悲者、一切の恵まれた性質の宝庫の領域に住んでいる。彼は、母の膝の上で一切を彼女に任せ切っている幼子のようである」
ブラフマーナンダは現実的で常識的な人であり、地方の問題を熟知していたため、ときにはヴィヴェーカーナンダが指示した計画を変えなければなりませんでした。それに対しヴィヴェーカーナンダは怒り、興奮しました。しかしのちに自分の誤りに気づくと、ブラフマーナンダが当惑するほど後悔するのでした。
ヴィヴェーカーナンダは大の動物好き、ブラフマーナンダは庭園を愛しました。一方のペットがもう一方の庭園を荒らすと二人の間に喧嘩がはじまり、その真剣さに、周囲の人たちは笑い転げました。
あるとき、ヴィヴェーカーナンダはブラフマーナンダを厳しい言葉で激しく叱責しました。ブラフマーナンダは自室にこもってひどく泣きました。実は彼が兄弟弟子のミスをかばって、自分が罪をかぶったのでした。
彼が泣いていると知るとヴィヴェーカーナンダはたいへん狼狽しました。彼の部屋に飛び込むと、ブラフマーナンダを抱きしめて、一緒に泣き出しました。そして言いました。
「ラジャ、ラジャ、どうか兄弟、許しておくれ。君をしかるなんて、何という悪いことをしたのだろう!」ヴィヴェーカーナンダが激しく泣いているのを見て、今度はブラフマーナンダが驚いて、こう言いました。
「君が僕をしかった、それが何だ! 君は僕を愛すればこそしかったのではないか」ヴィヴェーカーナンダは再び彼を抱きしめ、繰り返し、こう言いました。
「兄弟よ、どうか許しておくれ。僕たちの師は、君をあんなにも愛していた。ただの一度も、君に粗い言葉などおかけになったことはなかった。それなのに僕はこんなにつまらないことで君をしかるなんて」
このように話し合った後、二人は平静に戻りました。
ヴィヴェーカーナンダの逝去
ある日ブラフマーナンダは、ベルル僧院でガンジス河の堤防の上に坐っていました。突然、彼はドゥルガー女神が僧院の庭に向かってガンジスの水面を歩いて来るのを見ました。女神は僧院の庭にある神聖なヴィルワの樹の下を通り過ぎると姿を消しました。
そこにヴィヴェーカーナンダがボートに乗ってやってきました。「ラジャ、すぐに母ドゥルガーの礼拝の準備をしたまえ。わたしは母ドゥルガーがこの僧院で祀られているヴィジョンを見たのだ」と話しました。
ブラフマーナンダも自分に起きたことを話しました。この日以来、ラーマクリシュナ僧院ではドゥルガー女神の祭礼が毎年行われるようになったのです。
二人の巨人は肩を並べて、師の名のもとに始められた仕事を推し進めました。そしてインドに洪水や飢餓、その他の災害が起こった時、必ずラーマクリシュナ僧団の僧侶たちが現われて救済活動をするようになりました。
臨時に開かれる救急施設の他に、常住の福祉事業および僧院が設けられていきました。1899年、恒久的な本部がベルルに設けられました。海外にもセンターが設立され僧侶が送られました。仕事は急速に発展しつつありました。
しかし、二人は長くともに働くことはできませんでした。ヴィヴェーカーナンダの生涯は早くも1902年に断ち切られたのです。
ブラフマーナンダのうっとりさせる仕事
ヴィヴェーカーナンダは師から託された仕事の基盤を作りました。しかし彼の人生はあまりに短く、それらを結実させる時間を持てませんでした。
いまやその責務はブラフマーナンダの双肩にかかり、彼は全組織から指導を求められる立場になりました。
それでも彼の落ち着きは少しも乱れることなく、心が波立つこともありませんでした。
仕事の秘訣について彼はこう語っています。「あなたの心の全部を神に捧げよ。心のエネルギーを少しも浪費しなければ、世間をうっとりさせるほどの仕事ができるのだ」
ブラフマーナンダの遥かかなたを見るようなまなざし、半ば閉じられた目、深く静かな落ち着きは、彼の思いがこの次元に属していないように思われました。
しかし、彼は進行しつつある仕事の細かいところまでよく知っていました。遠くのセンターで働いている者たちも含めて、僧団のメンバーたちそれぞれの気質をよく理解していました。
あるとき、三人の若い修行者が同時に、ラーマクリシュナ教団への出家を許されることになっていました。そしてその中の一人の少年は、着実に修行を実践してきたので、周りから高く称賛されていました。
しかし出家の儀式が始まろうとしたとき、ブラフマーナンダは突然、この少年の方を向いて、「君はなぜここにいるのか。わたしは君には教団への出家を許さない。あちらに行きなさい」と言いました。
そこにいた者たちはみなショックを受け、ブラフマーナンダは冷酷だと思いました。しかし後にこの少年自身が、自分は周りから称賛されて、うぬぼれていたと告白しました。
ブラフマーナンダのこの思い切った行動により、致命的な慢心にまで成長したかも知れない種子を殺したのでした。少年は十日間、ひどく悩んだ後、改めて出家を正式に許されました。
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