最も愚鈍とされた弟子:チューラパンタカとは
ブッダのもとには多くの出家修行者たちが集まりました。これまでご紹介した弟子たちはみな幼少期から驚くべき非凡さを示していましたが、今回は愚鈍さで代表的な人物を取り上げます。
そのチューラパンタカ(周利槃特)はブッダの弟子の中で最も物覚えが悪く、ブッダの教えの一つも記憶できなかったと言われています。
彼は皆から馬鹿あつかいされましたが、ブッダから与えられたたった一つの指示を貫き通し、ついに悟りの境地に至りました。
パンタカ兄弟:対照的な二人の出家
チューラパンタカとその兄マハーパンタカは、コーサラ国サーヴァッティのバラモンの家庭に生まれました。兄は非常に優秀で、多くの学問を修め、やがて名声を得て500人の弟子を持つようになりました。
一方、弟チューラパンタカは物覚えが悪く、自分の名前すら覚えられないほどでした。それでも彼らの父は、チューラパンタカを深く愛し、自身の死に際して「彼の面倒を見てほしい」とマハーパンタカに託しました。
マハーパンタカがある日、サーヴァッティ城外の林の中で授業をしていると、多くの人々が門外に詰めかけているのを見かけました。彼が「今日は何の日か?」と尋ねたところ、弟子の一人が「今日はブッダの高弟であるサーリプッタとモッガラーナが500人の弟子と共に訪れます。皆、彼らを迎えるために待っているのです」と答えました。
マハーパンタカはこれを聞いて「サーリプッタとモッガラーナはバラモン出身ながら、クシャトリヤ階級のゴータマに従い出家した。そんな彼らを出迎える必要があるのだろうか?」と疑問を呈しましたが、彼の弟子の中で仏教徒の一人が「師よ、彼ら二大尊者は悟りを開いて、比類なき威徳を備えています。あなたもその教えを聞かれるならば、喜んで出家を望むようになるでしょう」と答えました。
マハーパンタカは仏教に興味を持ち始めました。そして密かにブッダの弟子を訪れ、深遠な教えを聞き、そのまま出家してしまいました。
チューラパンタカは、突然兄がいなくなり、身寄りもなく家事もできず、生活に困り果ててしまいました。そんなある日、悟りを得た兄が戻ってきて、「お前も出家しろ」と言いました。チューラパンタカは、兄の言葉に従い出家しました。
チューラパンタカの試練
マハーパンタカはブッダの教えを簡単な詞句にまとめて、弟に覚えさせようとしました。それは、
「身体・言葉・心において悪を行わず
生き物に害を加えず
正念で空を観察すれば
無益な苦しみは避けられる」
という短いものでした。チューラパンタカはこれを何とか覚えようと毎日繰り返しました。しかし、四ヶ月が経過し、近くにいた牛飼いが口ずさむほど親しんでいたにもかかわらず、彼自身はその教えをまったく記憶できませんでした。
そして精舎での会合で、弟子たちが順番に教えを朗唱する中、チューラパンタカだけが何一つ唱えられませんでした。兄もさじを投げ「もうお前には無理だろう。何一つ覚えられないのだから。僧衣を脱いで、家に帰れ! ここにいてはいけない」と告げて、チューラパンタカを精舎の門の外に追い出してしまいました。
チューラパンタカは途方に暮れて、その場で泣き崩れてしまいました。ブッダは天眼を用いて彼の苦しみを察知し、その場に現れました。
「チューラパンタカよ、どうしてこんな所で泣いているのか?」
「私はどうしようもない馬鹿者です。兄はあなたの教えをかみ砕いて、短い詞句にまとめてくれました。それなのに、私は何か月もかけても、それすら覚えることができませんでした。それで兄に『もう弟子をやめて家に帰れ』と追い出されてしまったのです」
ブッダは優しく彼を慰めながら言いました。「チューラパンタカ、なぜ兄に追い出されたその足で、わたしのもとへ来なかったのか。悲しむ必要はない。お前は自分の愚かさを知っている。世の中には、賢いと思っている愚か者が多い。自分の愚かさを知ることこそ、悟りへの第一歩なのだ」
ブッダの指示とチューラパンタカの解脱
ブッダはチューラパンタカの手を取り、優しく門の中へと導きました。そして、智慧第一のサーリプッタに彼の指導を任せました。しかしサーリプッタでさえもどうにもできず、ついにさじを投げてしまいました。
そこでブッダは彼の掃除好きを見越して、一枚の布を持ってきて彼に渡し、「塵を払わん、垢を除かん」と唱えながら精舎を掃除するように伝えました。
それ以降、チューラパンタカは師の言葉を心に留めながら毎日の掃除に励みました。彼は「塵を払わん」と覚えると「垢を除かん」を忘れるという困難に直面しました。逆もまた同じでした。それでも彼は諦めずに愚直に掃除を続けました。
掃除に没頭する日々の中で、ブッダから称賛の言葉を受けたことがありました。「お前は何年掃除をしても、飽くことを知らない。師の言葉にこれほど忠実に従うとは、稀なことだ」と。
長年にわたる精進の末、チューラパンタカに「払うべき塵や除くべき垢とは、自分の心の汚れのことである」という洞察が生じました。ある日、いつものように布を持って掃除をしていると、突然、『貪(むさぼり)』『瞋(いかり)』『痴(おろかさ)』に代表される煩悩が心の汚れであり、自分を苦しめてきた根本原因であると理解しました。彼の心から貪瞋痴の三毒が払い除かれていったのです。
チューラパンタカは深い瞑想状態に入り、自身の過去を見通す力(宿命通)を得ました。これにより、彼は過去世においてカッサパ・ブッダの弟子であり、ずば抜けた記憶力と理解力を持つ天才だったこと、それによって傲慢となり他者を馬鹿にしていたこと、その悪行から今生は愚鈍な者として生まれ変わったことを知りました。
彼はさらに衆生の生死のサイクルを見通す力(天眼通)と、煩悩の漏れが尽きて二度と輪廻に生まれない力(漏尽通)を得て、ついに解脱を果たしました。
そこに兄のマハーパンタカが現われました。弟は師ブッダへの感謝を口にしながら輝いていました。彼の目は 澄みきった鏡のように美しく、汚れたものの欠片も無く、叡智の光に満ちていました。「お前、悟ったのか!?」と驚きを隠せないマハーパンタカが問うと、チューラパンタカはただ微笑みました。
この微笑みは、彼が体験した内面の変化と悟りの深さを物語っていました。兄弟は互いに深い理解と尊敬の念を交わし、兄はチューラパンタカの旅路が完結したことを祝福しました。
チューラパンタカの説法
チューラパンタカが悟りを開いたというニュースは、以前の愚鈍な彼を知る多くの人々に衝撃を与えました。その一方で他宗教の信者たちは、「何一つ覚えられない馬鹿者が悟りを得るなどという教えは、仏教がたいしたことがない証拠だ」と非難しました。仏教徒の中にも彼の悟りについて疑いを持つ者がいました。
これを知ったブッダは静かに述べました。「悟りのために多くの教えを学ばねばならないわけではない。一つの詩句でも、真にその意味を理解して、実践するならば、悟りを得ることができるのだ」
あるとき、比丘尼たちの集会でパンタカ尊者が説法をすると伝えられました。比丘尼たちは賢者マハーパンタカが来るとばかり思っていましたが、会場に現われたのが弟のチューラパンタカであることにがっかりしました。「何一つ覚えられないことで有名な彼に、いったいどのような説法ができるのでしょうか」と。
しかし、いざチューラパンタカが法を説き始めると、比丘尼たちはその内容の深さと尊さに圧倒されました。彼はもともとが天才だったのです。カルマの浄化により封印されていた叡智が解き放たれ、説法に表れ出ていました。比丘尼の中には感動で涙を流す者までいました。
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