ブッダ伝(9)絶世の美女ケーマー妃と赤子を亡くしたキサーゴータミの物語

仏教

ケーマー妃の美貌への執着を、ブッダが破壊する

ブッダの敬虔な信者であるマガダ国の大王ビンビサーラは、竹林精舎ちくりんしょうじゃなどの修行道場を寄進し、また、ブッダが好んで過ごした霊鷲山りょうじゅせんへの石段を整備したりしました。この石段は、王自身も頻繁に使用し、ブッダの説法を聞くために山を登ったのです。


ビンビサーラ王には多くの妃がいて、その中で絶世の美女として知られたのがケーマー妃でした。彼女は他の誰よりも美しい自身の美貌に、大きなプライドを持っていました。


ビンビサーラ王は「私はブッダの最も代表的な後援者の一人だが、ケーマー妃はブッダを一度も訪問したことがない。あの偉大な御方に妃がお会いできれば素晴らしいことだ」と考えていました。

しかし、何度王から勧められても、ケーマー妃はブッダへの訪問を拒み続けていました。なぜなら「すべての現象は無常であり、肉体は不浄である」というブッダの教えを伝え聞いていたからでした。彼女が自分の美貌に夢中になっていることを、ブッダから否定されるのではと内心恐れていたのです。


そこでビンビサーラ王は一計を案じました。詩人を雇い、ある林園の美しさを歌わせたのです。ケーマー妃はその林園に興味を持ち、お付きの者たちとピクニックに出かけました。林をあてどなく彼女は歩き、林の美しさを楽しみました。木陰の道に沿って歩いていたところ、霊樹の下で瞑想していたブッダにばったり出会ったのです。


ケーマー妃はブッダに敬意を表しました。そのときシュロの葉の扇でブッダを扇いでいる女性に気づきました。その女性はまるで天女のような美貌であり、自分とは比較にならない美しさでした。


ケーマー妃の眼がその美女に釘付けになっていると、その女性はみるみるうちに年老いていきました。美しさはあっけなく失われ、顔にはしわが増え、黒髪が白髪まじりになり、歯はボロボロ、腰は曲がり、とうとう床に倒れ落ちて、死んでしまいました。その肉体も汚い体液を出しながら腐っていき、骨になってしまったのです。


ケーマー妃は今目の当たりにした現象に衝撃を受けました。実はこの女性は、ブッダが神通力で現わした幻影だったのです。ケーマーの自分自身の美貌と肉体への囚われという煩悩が揺らぎました。ブッダはケーマー妃の心の動きを察知して語りかけました。

ケーマーよ、この肉体の集まりを見るがいい。病んで、不浄で、腐りつつある。いたるところから汚物が漏れ出している。肉体に執着する者は、愚か者だけである。執着の奴隷となる者は激流に流されてゆく。賢者たちはこれを断ち切って、一瞥いちべつすることなく、すべての苦悩を捨てて、歩んで行く

するとケーマー妃に真理を見る眼が開かれました。ブッダはさらに『十二縁起の法』を説きました。この説法の終わりには、彼女は解脱の境地に達しました。ケーマー妃は王宮に戻ると、ビンビサーラ王に出家の許しを乞いました。王は喜んでこれを許しました。

比丘尼ケーマーの智慧


ブッダはケーマーを最も智慧に優れた女性弟子として評価し、彼女を『大慧第一』と称しました。

ある日、コーサラ国のパセーナディ王が修行者や思想家たちから話を聞きたがっていたところ、偶然にも比丘尼ケーマーが近くにいました。王は彼女に「ブッダは死後存在するのか、しないのか?」という質問をしました。

ケーマーは「ゴータマ・ブッダは、そのようなことは語られていません。ブッダは計り知れない存在なのです。例えば、数学者がガンジス川の砂粒の数を正確に数えることはできませんし、海水の量を瓶で数えることも不可能です」と答え、王を大いに啓発しました。

後に、パセーナディ王はブッダ自身にも同じ質問をしました。ブッダからケーマーと同じ答えが返ってくると、王はケーマーの智慧に感心し、そのことをブッダに伝えました。

比丘尼ケーマーはどこに行っても人々から歓迎され、衣類や医薬品などの供物をたくさん布施されました。彼女はこれらの供物をすべて他の比丘尼たちに与えました。ケーマーはその智慧と指導力で比丘尼コミュニティから深く尊敬されました。

ブッダは、サーリプッタとモッガラーナが比丘僧団の中で二大弟子とされたように、ケーマーとウッパラヴァンナを比丘尼僧団の中で「見習うべき」二大弟子として指名したのです。

子供を亡くしたキサーゴータミーが、ケシの実を求めて彷徨う

コーサラ国の首都サーヴァッティに、ゴータミーという名の少女が住んでいました。彼女は元々裕福な家庭に生まれましたが、家運の衰退により、貧しい状況に陥りました。そのため、痩せた体型に育ち、『キサーゴータミー(痩せっぽちのゴータミー)』と呼ばれるようになりました。

やがて結婚したキサーゴータミーでしたが、夫の家族から軽んじられていました。しかし、彼女が玉のようなふくよかな男の子を出産すると、今度は逆に尊敬を受けるようになりました。彼女は子供に深い愛情を注ぎ、子供こそが家族関係の幸福の象徴だと感じていました。

だが、子供がよちよち歩き始めた頃、突然亡くなってしまいました。この悲劇はキサーゴータミーにとって受け入れ難いものでした。彼女は動かなくなった子供を抱きしめると、狂ったように町中を訪ね回りました。

「子供が病気で動かなくなってしまったんです。どなたかこの子を治せる人を知りませんか?」
しかし、死んだ人を生き返らせる方法など誰も知りません。

やがて心ある人が声をかけました「医者の中の王、医王と呼ばれる人なら知っているよ」
「本当ですか? それは誰ですか?」キサーゴータミーは、畳み掛けるように尋ねました。
祇園精舎ぎおんしょうじゃにおられるブッダです」
キサーゴータミーは、ただちに祇園精舎へ走って行きました。

ブッダに会ったキサーゴータミーは、子供が動かなくなったことを涙ながらに訴え、助けを求めました。ブッダは哀れに思い、優しく言いました。


「そなたの気持ちはよく分かる。かわいい子供を治す薬を教えよう」
「どうすればいいのですか?」
「これから町へ行って、芥子ケシの実をもらってきなさい」
「そんな簡単なことでいいんですか?」
「そうだ。だが、ただ一つだけ条件がある。その芥子の実は、今まで死人が出たことのない家からもらいなさい」

それを聞いたキサーゴータミーは、町に向かって一心に走りました。

キサーゴータミの出家と、生と死を超えるブッダの教え

町へ着くと、キサーゴータミーは、また一軒一軒と訪ね回ります。

「お伺いしますが、この家では亡くなられた方はありますでしょうか?」

「はい、うちでは昨年、父が死にました」
「この子が生まれたらすぐに妻が亡くなりました」
「何年か前に、子供を亡くしました」


どの家にも芥子の実はありましたが、どこも死人を出した家ばかりでした。 それでもキサーゴータミーは、死人を出したことのない家を探して駆けずり回りました。

やがてあたりが薄暗くなり疲れ果てたキサーゴータミーは、すっかり冷たくなった子供を抱きながら、ブッダのもとへ戻りました。

「芥子の実は得られたか?」とブッダが問うと、
「死人のいない家はどこにもありませんでした」とキサーゴータミーは答え、子供の死を受け入れ、泣き崩れました。

「こんな愚かな私でも、救われる道を教えてください」

ブッダは、死ぬのは子供だけではなく、彼女自身も必ず死ぬ運命にあることを教え、次の詩句を唱えました。

子や財産に心奪われて執着する人を、死神がさらっていく。眠りに沈む村々を大洪水が飲み込むように

この時、キサーゴータミーに真理を見る眼が開かれました。彼女はブッダに出家を願い出て、許しを得ました。

ある日、お堂で灯明を灯もしていたキサーゴータミーは、火が消えかかったり、再び燃え上がったりするのを見て、生と死の無常を悟りました。

そのとき、ブッダは燦然さんぜんと光を放ちながら彼女の前に現われ、

「ゴータミーよ、生きとし生ける者たちは灯明の火のように生じてはまた滅する。寂滅じゃくめつ(解脱)を得た者たちだけがその存在を知られない」と教え、次の詩句を唱えました。

不死の境地を見ることなしに百年生きるよりも、たとえ一瞬でも不死の境地を見られれば、これに勝ることはない

この教えを聴いたキサーゴータミーは、すべての束縛を解き放ち、解脱を得ました。

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