マヘンドラナート・グプタ(M)の生涯(4)ラーマクリシュナからの訓練

Ramakrishna world

M、泊まり込みでの集中修行

Mが自分自身の使命を遂行できるように、ラーマクリシュナはMを訓練しました。1883年12月14日から翌年1月5日の冬休みの間、Mはラーマクリシュナの元に泊まり込み、集中修行をしています。

ラーマクリシュナはMにバンヤンの樹の下で瞑想するように指示しました。Mは東を向いて、瞑想を始めました。

三時間が経過して瞑想を終えてMが目を開けたとき、瞑想の対象としていたラーマクリシュナ本人が、Mの前に立っていました。Mは至福に圧倒され、彼の足下にひれ伏しました。

12月29日、Mは家族のことが気になり、カルカッタの自宅に数時間だけ戻りたいと、師に許可を求めました。しかし、ラーマクリシュナは「ほうっておきなさい。隣人が家族の病気や苦労、そして厄介な世話をしてくれるさ」とMにここに留まることを要求しました。

あるとき、手紙を持った人がMの家からやってきました。手紙を見るや否や、ラーマクリシュナはまるで蛇に噛まれやしないかと怯えるように、大声で叫びました。

「これは何だ! これは何なのだ! 捨ててしまいなさい!」すぐにMは、毒物であるかのように手紙を投げ捨てました。Mの心に実現されてきた神聖な感覚が、世俗的な事柄によって壊されないよう、師は手紙を読むことさえ許さなかったのです。

師とともに暮らし修行することで、心のけがれが徹底的に落とされ、エゴが破壊されていきました。1月5日、ラーマクリシュナはMの心身の状態を見てこう言いました。

「もう家に戻って妻や子供と暮らせ。家の人たちに、自分は家族のものだと知らせてやれ。でも、内心ではお前も家族の者ではないし、家族もお前のものではないとしっかり心得ておくんだよ

ラーマクリシュナは言いました「この人には慢心がない」と。

ラーマクリシュナ、Mを称賛する 

ここでラーマクリシュナがMを評したコメントをいくつかあげてみます。それはMが並の人物でないことを表わしています。

「この人はファルグ川のように底の深い人物だ。奥深くに優れたものを持っている」「お前はプラフラーダ(ヴィシュヌ神の敬虔な信者)のようだ。すなわち『私はブラフマンである』そして『私は神の召使いである』の二つの境地にいる

「校長はたいそう純粋な人だ」「お前の額と眼は、厳しい修行を積んで上がってきたヨーガ修行者のようだ」

「あたかもチャイタニヤ様(15世紀の聖者、神の化身と言われる)の従順な従者の一人のようだ」「お前は私の身内だよ。父と子みたいなもんだ。舞楽堂の外の柱と内の柱みたいなものさ」

「チャイタニヤの物語を読むのを聞いたとき、お前が身内だとハッキリわかった」「マヘンドラは生まれながらに霊的成就のレベルにある」「お前は内輪の者だ。そうでないなら、どうしてお前の心がこんなにも引きつけられて、ここに足しげく通ってくるんだい?」などなど。

ラーマクリシュナ、母なる神に取りなす

またラーマクリシュナはMのために、たびたび母なる神に取りなしをしました。

師「母なる神よ、彼にあなたの姿を何度も見せてやって、喜ばせておくれ。さもなけりゃ、彼はどうやって生活していけるだろうか。彼はどうやって熱意を保てるだろうか? でも究極的には、母よ、それはあなたの御意思です」

「母よ、彼を目覚めさせておくれ。でなけりゃ、彼が他の人をどうして目覚めさせることができよう。なんで彼をこの世に置いておくんだい?」

「おお母よ、あなたは彼にシャクティ(神の力)の16分の1をお与えになりました! これはあなたの使命を果たすのに十分な力です」と。

ラーマクリシュナ、Mの心境を測る

ラーマクリシュナは、時おり弟子の心境を測るために、自分のことをどう思うか尋ねました。

師「わたしをどう思うかね? アンナ(インドの通貨の単位)にして、いくらくらいの神の智慧を、私は持っているだろうか?」

M「『アンナ』という言葉で何を示しておいでになるのか、わたしにはよくわかりません。しかしこれだけは確かでございます。わたしはかつてこれほどの智慧、忘我の愛、神への信仰、放棄、および包容性を、他のどこでも見たことがございません

師は笑いました。明らかに彼は弟子の答えを喜んでいました。

1885年6月28日、Mが師に出会って3年が経ちました。

師「さて、このようなことを全部見てきて、お前は何を感じるか」

M「キリストとチャイタニヤとあなたご自身、この三者は同一だと感じます。これら三者になったのは同じ御方でございます」

師「そうだ、そうだ! 一つだ、一つだ! ほんとうに一つなのだ。ここに(胸を指さして)このように宿っておられるのは彼のみである、ということがわかるだろう」

M「あなたは先日、神がどのようにして地上に化身なさるか、はっきりと説明してくださいました」

師「わたしが話したことを言ってごらん」

M「あなたは地平線まで、そしてその向こうまで広がっている野原を想像せよ、とおっしゃいました。それは何の障害物もなしに広がっています。ところがわたしたちは、自分の前にある一枚の壁のためにそれを見ることができません。その壁に一つの円い穴が開いております。その穴を通じて、わたしたちはその無限大の野原の一部を見ることができるのでございます

師「その穴は何であるのか、言ってごらん」

M「あなたがその穴でいらっしゃいます。あなたを通して、いっさいのもの――その終わりのない無限大の牧場――は見えるのでございます」

ラーマクリシュナはMの背中をたたきながら、彼の理解を喜びました。

人さらいの校長

師と出会った当時、Mは高校の校長を務めていました。彼は学生の中に見どころのある少年がいると、ラーマクリシュナのもとにせっせと連れていくのでした。こうしてテジャチャンドラ、ナーラーヤン、ハリパダ、ビノド、若いナレン、プラマタ、バンキム、パルトゥ、クシローデなどの少年が、ラーマクリシュナの親しい信者になりました。

Mの生徒の中にはラーマクリシュナ僧団の出家修行僧となった人もいます。ラカール(ブラフマーナンダ)、バブラム(プレーマーナンダ)、およびスボー(スボダーナンダ)などです。

そのため、ラーマクリシュナの信者たちの中には、Mのことを『人さらいの先生』とユーモア交じりに呼ぶ者もいました。これを聞いた師は「彼にピッタリのあだ名だね」と笑いました。

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