わたしは海水の入った水差しを持っている
師の若き弟子スボーは、はっきりとものを言う性格でした。ある日、ラーマクリシュナは彼に「行って、校長(M)と話してきなさい」と指示しました。
スボーは「彼は在家の者であるのに、そんな彼から神について何を学べとおっしゃるのですか?」と返事しました。しかしラーマクリシュナは、「彼はお前に、わたしから学んだこと以外は何も話さないだろう」と強く言いました。
こうしてスボーがMのところへ行くと、Mは、さりげなく師に関する話題を始めました。そしてスボーの遠慮ない率直な言葉に対して、Mは、今日よく知られる次の言葉を使いました。
「わたしは取るに足らない者である。しかしわたしは大海のそばに住み、海水の入った水差しを持っている。人が訪ねてきたら、わたしはそれで人をもてなす。彼(ラーマクリシュナ)の言葉のほかに、わたしに何を話せるというのだろう?」
校長、辞任する
Mは機会があればいつもラーマクリシュナのそばにいました。コルカタの信者の家に師が訪問したときには、学校の昼休みの間だけでも、会いに行ってそばにいたのです。
あまりに頻繁に師のもとに通うため、生徒たちの試験の成績が悪かった時に「校長はパラマハンサ(大覚者)に夢中になっているから、学校の仕事の時間があまりないようだね」と、学校のオーナーから皮肉を言われました。
Mは敬愛する師が引き合いに出されたことに我慢できず、すぐに辞表を提出しました。ラーマクリシュナはこのことを聞いて喜び、
「よくやった。マー(母なる神)が雇ってくださるよ!」と保証しました。その2週間後、彼に大学の教授の仕事が与えられました。
Mの金銭的奉仕
ラーマクリシュナは何か必要なものがあると、Mに頼んでいました。そして「誰からでも受け取るわけにはいかないんだよ」と言っていました。
師に指示されてMは、信者が訪問した際の馬車賃を支払っています。あるときは、巡礼に出る信者のために毛布を、また師にカップ、マントおよびスリッパを買っています。
ナレンドラ(ヴィヴェーカーナンダ)は父の死後、膨大な借金と一家の家計を背負い、息も絶え絶えになっていました。彼は当時のことを次のように述懐しています。
「朝起きて食べ物が足りない日には、『友人に昼食に呼ばれています』と母に嘘をついて家を出た。何も食べない日もあったが、自尊心から、私はそれを誰にも話さなかった。
『ひどく顔色が悪いし、悲しそうだよ』と言ってくれる人はごくわずかだった。そんな中でただ一人、私は黙っていたのに、事態を察した友人がいた。彼は母に時々匿名で送金をしていたのだった。彼への恩は決して忘れないだろう」
この友人とはMでした。Mは内密でナレンドラに金銭的援助を続けていたのです。
ミッション・インポッシブル
師ラーマクリシュナは咽頭がんを患い療養生活に入りました。1886年、Mは病床のラーマクリシュナからあるミッションを申し受けました。
聖地プリを訪れ、ジャガンナート神の像を抱擁するよう頼まれたのです。しかしジャガンナート寺院では参拝者が神像に触れることは許されていませんでした。
Mは寺院に赴くと、大胆に祭壇に上り、すばやくその神像を抱きしめました。司祭たちはそれに気づきました。Mはすぐさま、ポケットいっぱいに詰め込んでいたコインを、あたりにバラ撒きました。司祭たちはコインを拾うのに必死になり、その間にMは寺院を脱出したのでした。
Mがミッションから戻ってきたとき、ラーマクリシュナはしばらくのあいだMを強く抱きしめました。「今、こうして私は、主ジャガンナートを抱きしめているのだよ」と言いました。
コメント