ナーグ・マハーシャヤの生涯(4)米ぬかだけで暮らし、己を打ち続ける

Ramakrishna world

味覚の欲望のコントロール

ラーマクリシュナの指示により、ナーグは出家修行者になることをあきらめました。それでも彼は、人生のすべてを瞑想と祈りに捧げる決心をしました。

ナーグの雇い人であったパル氏は、もはやナーグが仕事をするのは不可能であると判断しました。パル氏は、長年貢献してくれた彼ら父子への御礼として、給与をナーグと折半することを条件に、ナーグの仕事を正直者ラオジットに引き継ぐことにしました。

ラーマクリシュナはこの取り決めを知り、喜びで叫びました。「それで良い! それで良い!」

全てのわずらいから解放されたナーグは、いっそう厳格な修行に打ち込み始めました。ラーマクリシュナのもとへさらに頻繁に訪問しました。このころからナーグは、シャツと靴を止めて、代わりに布を身体に巻きつけるだけになりました。

食事は一日の終わりにほんの少し摂るだけでした。彼は物思わしげに「この肉体があるうちは、税金は払わなければならない」とぼやいていました。味覚の欲望をコントロールするために、塩や砂糖での味付けすることも止めました。

ナーグはこう言いました。「もしわたしが昼夜食事のことばかり考えるなら、いつわたしは神を思うことができようか。いつ礼拝することができようか。常に食事を考えることは、人に一種の狂気を作り出すのである

ナーグは、お菓子なども一切食べませんでした。プラサード(神に捧げられたお供物のお下がり)以外は、決して甘いものに触れようとしなかったのです。

米ぬかだけで暮らそう

ナーグは、家の一部を米商人のキルティヴァス一家に貸していました。そのため家には米ぬかが大量にありました。あるときナーグは、自分は米ぬかだけを食べて暮らすべきだと考えました。

彼はこう自問自答しました。「美味しい料理がどうして必要であろうか? わたしの肉体と精神をどうにか保つためには、米ぬかだけで十分である」

こうしてナーグは、米ぬかを食べて暮らし始めました。

キルティヴァスは、聖者ナーグ・マハーシャヤを深く尊敬していました。ナーグの食のことを知ったキルティヴァスは、米ぬかを全部売り払い、その後も家に米ぬかが残らないように配慮したのでした。

ナーグの家は大通りに面しており、乞食の群れが毎日のようにナーグの家を訪れました。誰一人として手ぶらで帰る者はいませんでした。ナーグに一握りの米もないとき、キルティヴァスが代わりに乞食に施しをしました。

ある日、年老いた修行者がナーグの家に托鉢に来たとき、ちょうど家にはナーグ自身が食べるための一食分の米しかなく、またキルティヴァスも不在でした。

ナーグはその米を持って行者のところにいくと、「家には今、わずかな米しかございません。このお米だけでも受け取っていただけますか」と哀願しました。

年老いた修行者はナーグの謙虚で優しい心遣いに驚き、賛嘆の思いとともに、米を手にして立ち去りました。

自己を厳しく罰する

ナーグは世俗的な会話を徹底的に避けていました。もし誰かが世俗的な話題を持ち出すと、「聖ラーマクリシュナに栄光あれ! なぜこのような話にふけるのか! どうか主の御名を思いたまえ!」と叫びました。

また、ナーグは自分の心に他者への怒りや嫌悪が生じるのを感じると、それがいかなる理由であっても、手元にある物で自分自身を打つのでした。

ナーグは悪口を口にすることはありませんでした。しかしたった一度だけ、悪口を言ってしまったとき、彼は石を手にとって、自分の頭を打ち続けました。見る見るうちに血が滴り、全治一か月の怪我を負いました。

「これは正当な罰である。意地の悪い人間は罰を受けるべきである!」とナーグは言いました。

あるとき、スレシュがナーグの家を訪問すると、ナーグはちょうど料理中でした。おそらく、スレーシュを見たナーグの心に、何か好ましくない感情がわいたのでしょう。

ナーグはいきなり鍋を叩き壊し、苦しみ泣きながら、スレシュに頭を下げ、嘆きました。「わたしはいまだ邪悪な心から解放されていない!」

謙虚な人

人生の最後の20年間、ナーグは慢性の頭痛のため沐浴を断念しました。そのため、彼は乾いたみすぼらしい風采をしていました。そのうえ厳しい修行をしていたので、彼の肉体のあらゆる部分に、精神の謙虚さが映し出されていました。

ラーマクリシュナの在家弟子で劇作家のギリシュは、次のように語りました。「常に己を打ち続けることで、ナーグ・マハーシャヤは、自我の頭を粉々に砕いた。もはや何をもってしても、彼の自我の仮面はよみがえらなかった」

ナーグは道を歩くとき、常に人の後ろを歩きました。ホームレスや子供たちにさえ道を譲り、謙虚に彼らの後ろを歩きました。彼は人の影を踏まないようにも気をつけました。

ナーグは、至高なる神の献身的な召使いでした。神はすべての生き物の中に存在しており、その神がどのような姿で彼の前に現われようとも、謙虚に仕える準備ができていました。

スレシュ、マントラを与えられる

あるときスレシュは、仕事でしばらくクエッタ(現在のパキスタンの都市)に行くことになりました。ナーグは「カルカッタを発つ前に、ぜひ師からイニシエーションを受けてほしい。そうしないと、もう手遅れになるかもしれない」とスレシュに懇願しました。

しかしスレシュはイニシエーションに疑念を持っていました。この件で二人は、何度も議論を重ねました。最後にスレシュはラーマクリシュナの意見に従うことに決め、二人でドッキネッショルを訪ねました。

ラーマクリシュナはスレシュに言いました。「ナーグ・マハーシャヤが言っていることは全く正しい。人はイニシエーションを受けてから、信仰の実践を開始すべきである。なぜ、彼の意見に同意しなかったのか?」

スレシュは「わたしは、イニシエーションで授けられるマントラに信仰を持っておりません」と答えました。

ラーマクリシュナは、ナーグに言いました。「お前の言うことは正しいが、今のスレシュはまだそれを必要としていない。だが、心配しなくてもよい。彼はいずれイニシエーションを受けるだろう」

その後、クエッタに滞在したスレーシュは、あれほど拒んでいたイニシエーションに渇望を感じるようになりました。しかし彼がカルカッタに帰ったときには、ラーマクリシュナの病はひどく進行しており、もはやイニシエーションを授けられる状態ではありませんでした。

スレーシュは、ナーグの「手遅れになるぞ」の言葉に耳を傾けなかったことを強く後悔しました。その後、ラーマクリシュナが世を去ったときのスレーシュの悲しみは多大なものでした。彼は自分の運命を呪いました。

それから毎日、彼はガンジス河の岸辺で、ガンガー女神に対して、己の苦悩をため息混じりに語り続けました。そしてある日彼は、「一晩中微動だにせずに坐り続ける」という請願を立てて瞑想しました。

すると、驚くべきことが起こりました。それは夜明け前のことでした。ラーマクリシュナのヴィジョンがガンジス河から現われ、スレシュに向かって近づいてきました。ラーマクリシュナはスレーシュの傍らに来ると、彼の耳に、神聖なマントラを唱えたのです。

スレシュは師に深々と頭を垂れ、足元の塵をとって礼を示そうとしました。しかしラーマクリシュナの姿は消え去っていました。

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