【仙人伝説】「丹」の神秘と「丹田呼吸法」

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仙人伝説と不老不死の霊薬『丹』

今回のテーマは『丹田呼吸法』、その前半です。本題に入る前に、ちょっとした不思議な前説から始めてみます。それにより、このテーマがより深く理解できると思いますので、しばしお付き合いください。

中国の伝説には、秘境に住み不老不死を体得し、かすみを食って生きる仙人たちがいます。彼らは神通力を自在に操ります。例えば、

・空を飛ぶ
・水の上を歩く
千里眼せんりがん
・炎の中でも平気
・変身能力
・分身の術
隠身おんしん(透明人間)の術
などが挙げられます。

仙人伝説は、ヨーガの故郷であるインドにも存在します。こちらでは聖仙せいせん(リシ)と呼ばれ、インドの聖典にも多く登場しています。

古今東西、仙人に憧れる人々は跡を絶ちません。中国では仙人になるための3つの方法が知られています。

① 不老不死の霊薬『たん』を手に入れる。
錬金術れんきんじゅつ的な手法で『』を調製する。
③ 修行や呼吸法を通じて体内に『』を生成する。

特に山東半島の東の海中、蓬莱山ほうらいさんという秘境には、不老不死の霊薬『丹』があると信じられていました。かの秦の始皇帝は、徐福じょふくを派遣しました。徐福は数千人の童男童女と東方へと船出し、伝説によれば、蓬莱山ではなく日本に漂着したとされています。

霊薬『丹』を入手するのは困難であったため、多くの人々は薬草や鉱物を用いて、錬金術的に『丹』を調製しようとしました。しかし、その原料には有毒の水銀が多く使用されていたため、その薬を常用した人々は、その多くが早死にしました。

そして、自らの”“の力で仙人に近づく修行(仙道せんどう)が工夫されました。体の内側に『丹』を生成する修行が主流となりました。

白隠禅師、仙人に出会い、病を克服し、丹田呼吸法を広める

時代は下って江戸時代、白隠禅師の話に変わります。この禅師は過去に『塞翁が馬と白隠禅師のエピソード』で取り上げました。

白隠禅師は若かりし頃、過酷な修行の結果、身体と心が極度に衰弱してしまいました。その症状は、

「頭は火のように熱く、腰から下は氷のようで、目からは常に涙が溢れ、耳には奇妙な声が聞こえ、明るい場所では恐怖を感じ、暗い場所では憂鬱になり、考える力がなく、毎夜悪夢にうなされ、食欲はなく、衣服を何枚着ても温かさを感じなかった」

という酷い有り様でした。多くの医師たちに診てもらいましたが、癒されることはなく、生きる希望を失っていたのです。

そんな時に、白隠禅師は「白幽仙人はくゆうせんにん」の存在を知ります。この仙人は京都の白河の奥に隠棲いんせいしており、医道に詳しく、驚くべきことに年齢が三百歳くらいと言われていました。

何としても白幽仙人に会いたいと思った白隠禅師は、多くの困難を乗り越えて彼の元を訪れました。はじめは治療を拒んでいた仙人でしたが、白隠の切実な願いに心を動かされ、ついに養生の秘訣を伝授しました。

白隠禅師はその秘訣を実践し、大病を克服しました。その後、「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山と原の白隠」として名を馳せるようになり、83歳まで健康に生き、衆生救済のために尽力しました。

彼が白幽仙人から教わった養生の秘訣、その中心となるのが『丹田呼吸法』でした。白隠禅師は「ただただ丹田に気を満たすべし」と力説し、この方法により多くの人々が健康を取り戻したと伝えられています。

丹田とは何か?

丹田の語源は?


』は古代中国で不老不死の霊薬、もしくは錬金術的な薬のことを指しました。その後、体の内側で気を練り上げて『丹』を生成する田畑」という意味で、へそ下の場所を『丹田』と呼ぶようになりました。

丹田の場所はどこ?


丹田は臍下三寸の場所(臍から指4本分下)の奥にあると言われています。ツボでいうと【関元かんげん】にあたります。また、「田」という言葉が含まれていることから、丹田はピンポイントではなく、ある程度の範囲を持っていることが伺えます。

ゆえに、下腹部のエリアを指すと考えても問題ありません。しかし、下腹部そのものが丹田というわけではありません。丹田は鍛錬して生成されるものなのです。

丹田を表す3つの要点


1.エネルギーセンター
丹田は、人間のエネルギー(気または生命力)の源と見なされています。呼吸法や瞑想などの修行を通じて、このエネルギーを集中させたり増強させることができます。

2.バランスと安定
丹田は、身体のバランスと安定の中心とも考えられています。武道やマーシャルアーツの訓練では、このエリアを強化することで、安定した動きとバランスを向上させることができます。

3.心身の健康
不老不死はともかくとして、丹田を活性化させることにより生命力(生きる力)が高まります。寿命が伸びるとされ、免疫力や抵抗力も上がります。

メンタルにおいては、心が非常に落ち着きます。丹田呼吸法などの実践を通じて、ストレスの軽減、リラクゼーションの促進、エネルギーの向上、そして全体的な健康の向上が期待できます。

日本の「肚」文化と丹田

丹田という概念や丹田呼吸法は、中国の気功や医術に取り入れられ、仏教とともに日本に伝わりました。「に落ちる」「はらを割って話す」「肚を据える」「肚をくくる」といった言葉からも、日本の身体文化の中心として「肚=丹田」が重要視されてきたことがわかります。

その一例として、武士の切腹が挙げられます。切腹は丹田に刀を入れる行為で、肚(丹田)に「武士の魂が宿る」とされたため、この部分で行うことが重要だったのです。

丹田の解剖学

臍下三寸の位置を解剖しても、丹田と呼ばれる物質的な臓器や器官は出てきません。丹田とは概念であり、エネルギーの中心や身体の重心としての役割を持っています。

丹田のエリアには主にが存在します。腸には独自の神経系があり、近年の研究では腸と脳との間に密接な関連性が明らかになってきています。腸内には人体の70%以上の微生物が存在し、これらは栄養素の合成や免疫機能の維持、さらには精神的な健康にも影響を与えることが知られています。

また、このエリアの近く、特に両側には腸腰筋が存在します。腸腰筋は人間の姿勢の維持や動きのバランスに深く関わる深層筋で、骨盤のインナーマッスルとしての役割を果たしています。この筋肉は、姿勢の安定や身体のパフォーマンスを高める助けとなります。

物質的な「丹田」は存在しないものの、その概念が指し示すエリアは、身体の機能や健康にとって極めて重要です。これは、古代から現代にかけての多くの文化や伝統の中で、丹田が重要であるとされた理由でしょう。

松下師恩の体験談

私は十代のころから、拳法、柔道、合気道を学びました。修行を愛する性格から、自分自身を磨き上げる武道に強く引かれました。この武道の経験は、後にヨーガを深く探求する際に、大きな助けとなりました。

武道の中で、丹田の重要性を体感することができました。丹田を意識することにより、重心や軸がブレなくなり、動きには力強さが増しました。この変化によって、長足の進歩を遂げたのです。

さらに、三十代半ばのある時期、禅寺で21日間の坐禅瞑想に専念する機会がありました。その際、丹田呼吸法と出会い、白隠禅師の教えにも触れたのです。

まとめ

丹田呼吸法の起源といえる、仙人伝説と不老不死の霊薬『丹』からこの記事は始まりました。古代中国の時代から現代にかけて、丹田が重要視されてきた理由を感じ取れたでしょうか? この記事の主なトピックは以下の通りです。

  • 中国の伝説である仙人の存在と彼らの驚異的な能力。
  • 仙人になるための3つの方法と、『丹』の探求。
  • 白隠禅師が仙人に救われたエピソード。
  • 丹田の語源、位置、重要性の解説。
  • 丹田の解剖学的な側面や日本の「肚」文化との関連。
  • 松下師恩の体験談

丹田を中心に、身体と心、そして周りの環境との調和を見つけることが、私たちの生活をより豊かにする鍵であるかもしれません。さて、次回の記事ではいよいよ『丹田呼吸法』の具体的な実践方法について解説します。

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