本を読むことは必要なのか?
兄弟弟子たちはお互いに心から愛し合っていました。たまに誰かが誰かに怒ることがあっても、長続きしませんでした。彼らの話題はいつも、卓越した師ラーマクリシュナの愛についてでした。
ある弟子が「彼はわたしを一番愛しておられた」と言うと、別の弟子が「いや、彼はわたしを一番愛していた」と反論するのです。
そのような議論が続いたので、アドブターナンダは彼らに言いました。「師は財産を一切残さなかったのに、それでも君たちの口論には終わりがない。もし彼がわずかでも財産を残していたら、君たちが訴訟を起こさなかったかどうか、知れたものではない」。彼の言葉に兄弟弟子たちはどっと笑いました。
幽霊屋敷、バラナゴル僧院ではみなが一生懸命に聖典を教学していました。そんな姿をアドブターナンダはじっと観察していました。彼はサーラダーナンダに尋ねました。
「どうして君は山のように本を読むのか? もう学校も大学も卒業したじゃないか。なのに君はまだそんなに勉強している!」
サーラダーナンダは答えました。「兄弟よ、勉強することなく、どのようにしてこれら宗教の真理を理解できようか?」
アドブターナンダは返答しました。「師はこれらの真理についてたくさん話したけど、わたしは師が本を読むのを一度も見たことがない」
サーラダーナンダは言いました。「彼の場合は全然違うよ。母なる神が彼に山のように智慧を与えていた。
わたしたちはその境地に至っているのか? わたしたちは智慧を得るために、たくさんの本を勉強することで、なんとか進んでいくべきだろう」
アドブターナンダはねばりました。「でも師は、本を読むことで真理の一つの概念を得られるが、全く別の概念は聖なる経験から得られると言っていたよ」
サーラダーナンダは答えました。「でも師は、宗教的指導者になる者は聖典も教学すべきだと、言っていなかったかい?」
こうしてアドブターナンダは、弟子たちは各自の素養に応じた理解をしていること、そして師は弟子たち一人一人の素養に応じて、相応しい教えを説かれていたことに気づきました。
バラナゴル僧院でのアドブターナンダ
バラナゴル僧院でアドブターナンダは。しばしば食事を忘れて深い瞑想修行に没頭していました。兄弟弟子のラーマクリシュナーナンダ(シャシ)は次のように回想しています。
「われわれは何度も何度も、ラトゥを通常意識に引き戻し、彼の口に無理やり食べ物を詰め込んだ。食事のときに、何度も何度も彼を呼んでも返事がないので、よく食べ物を彼の部屋に置いて立ち去った。
日が暮れ、夜になり、われわれが彼を夕食に呼びに行くと、手つかずの昼食が腐りかけており、ラトゥが、前と同じ真っすぐな姿勢で、厚い木綿の布にすっぽりとくるまって横たわっているのを見つけた。われわれは、彼にわずかな食べ物を無理やり飲み込ませるのに、多くの工夫をこらした」
アドブターナンダは夜に眠ることはありませんでした。みなの就寝時には眠たふりをして、いびきをかいたりしました。そしてみなが眠ると、彼は起き上がって数珠を繰り始めるのでした。
ある夜、カチャカチャ鳴る音が聞こえたので、サーラダーナンダ(シャラト)はネズミかと思いました。彼がコツコツ音をたてると、その音はやみました。
少しあとに、カチャカチャという音がまた聞こえました。それが頻繁だったので、どうやらネズミではないらしいと気づきました。
次の夜、サーラダーナンダは注意深くしていました。そして最初のカチャという音が聞こえた瞬間、彼はマッチを擦りました。するとアドブターナンダが起きて数珠を繰っていました。
それでサーラダーナンダは笑いました。「わんぱく小僧め、君はわたしたち皆を追い越そうとしているのだね! わたしたちが寝ている間に、君は数珠なんて繰っている!」
あるとき、アドブターナンダは肺炎のために重体になりました。自分で起き上がることもできないのに、夕方には「手を貸して(瞑想の坐法に)坐らせてくれ!」と言って聞きませんでした。
「それはドクターに止められている」と兄弟弟子たちが言い聞かせました。彼は非常に憤慨して叫びましだ。「ドクターに何がわかるか! 師のお指図だからするのだ!」
トゥリヤーナンダの感嘆
やがて多くの兄弟弟子たちが、バラナゴル僧院を離れ、放浪修行に出ようとしていました。トゥリヤーナンダもまた、インドの各地の修行者たちにまみえたいと思っていました。すると彼の心の内側から、一つの声が聞こえてきました。
「彼ほどのサードゥ(出家修行者)をどこで見つけられるだろう?」
トゥリヤーナンダがハッとあたりを見渡すと、アドブターナンダが、横たわりながら深い瞑想に入っているのが見えました。トゥリヤーナンダは思いました。「まったくだ。どこで彼のようなサードゥを見つけられるだろうか?」
その瞬間アドブターナンダは言いました。「君はどこに行くのか? ここで苦行に励むほうがよい」と。トゥリヤーナンダはいましばらく僧院に留まることにしました。
またある日、トゥリヤーナンダはある信者と神について話しながら、次のようなことを主張しました。「神は、無慈悲とか不公平とかいう欠点はお持ちではない」
その信者が帰った後、アドブターナンダはトゥリヤーナンダに言いました。「君はなんという事を言うのか! 君は神の母親のように、『彼』の弁護にまわらなければならないのか?」
トゥリヤーナンダは、釈明して言いました。「『彼』は気まぐれな専制君主、ロシアの皇帝のようなものだろうか? 『彼』は優しくて慈悲深いのだ」
アドブターナンダは再び言いました。「君の神を非難から救うのは結構だ! ただ、君は専制的な皇帝ですら『彼』に導かれている事を認めないのか?」
これを聞いたトゥリヤーナンダは思いました。「彼はこの問題に、なんというすばらしい光を投げかけたものか!」アドブターナンダの言葉は、トゥリヤーナンダの心に深く刻み込まれました。
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